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映画「骨を掘る男」感想

先日、公開された奥間勝也監督の「骨を掘る男」について感想と考察。
本映画は沖縄戦戦没者の遺骨収集をされてらっしゃる具志堅隆松さんのドキュメンタリー映画だ。僕は沖縄に何らルーツがあるわけではないが、高校の時から戦争について考えることがよくあり、特に教科書における沖縄戦についての記載の少なさに違和感を覚えていた。様々な都合が出版社側にもあると思うが、実際、高校の教科書に記載されている沖縄戦についての文章は2,3行だったことを覚えている。その2,3行の中でどれほどの人が苦しみ、息絶えていったのか。戦争教育という観点からも本映画はとても意義のあるものだと感じた。

それでは感想と考察。
まず、監督自身も沖縄戦没者の遺族であり、タイトルにもある通り、「遺骨」が本映画の一つのテーマである。つまり、戦時中の沖縄ではなく、数十年前の歴史の出来事となってしまった沖縄戦が現代に残したものをクローズアップしているのである。戦没者遺族にとって「遺骨」とはどのような意味を持つのか。映画の中で具志堅さんが平和の礎に赴いて、慰霊している方々にDNA鑑定の申込書を配っているシーンがある。その中で、具志堅さんの活動で遺骨が見つかるかもしれないことに涙をうかべる方がいらしたのがとても印象に残っている。また、具志堅さんが祖父をなくした女性とガマへ行くシーンがある。そのガマは文献から祖父が亡くなった場所だと考えられるガマで、遺骨は見つかるのだが、それが祖父のものかどうかはわからない。それでも、その女性は、祖父が戦時中その場所にいたかもしれないという微かな実感とともに、そのガマに酒を撒き、手を合わせるのである。戦没者遺族にとって「遺骨」とは、その人が生きていた証であり、よりその人を身近に感じるための心の拠り所となるものなのではないだろうか。
 もう一つこの映画のテーマとして掲げられているのが「会ったことのない人の死を悼むことはできるだろうか」というものである。前述したとおり、監督自身も沖縄戦で祖母の妹を亡くしており、監督自身は彼女に会ったことがない。直接戦争を経験した人が少なくなり、遺族の中で亡くなった人と会ったことがない人も増えている現在、このテーマは鮮烈に人々の間に刻み込まれると感じた。
 沖縄では24万人を超える沖縄戦での戦死者の名前を沖縄県の有志の人達で読み上げるというプロジェクトが行われている。戦没者の「名前」は「遺骨」と同じように、その人が生きていた証となるものである。遺族にとって「遺骨」とは何なのか、、。戦争はもう終わった過去のものではない、遺族の中ではまだ続いているものであるということを私たちは理解しなければならない。

 


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