往復書簡

ダンス:遠藤七海 写真:岩上涼花
共作ではなく、写真がダンスの背景でも、写真からダンスがうまれるといった力関係も存在しない。
関係のない関係性。
強いて言うなら往復書簡。


"ta.Re:"を辿る

岩上-そもそもなんで写真とダンスをやろうと思ったんですか?

遠藤-コフレ(遠藤が所属するダンスサークル)で写真を撮ってもらった時に同じ作品を撮ってるのに撮り手によって見え方が全然違ってて、この人の写真は真っ直ぐだとか、この人は場を撮ってるけどこの人は人を撮っているとかそう感じて、そういうのが写真の質感なんだなって思った。同じようにダンスにも動きの質感ってあると思ってて、写真の質感をダンスで再現することは可能かをやりたくて。

岩上-それで、写真とその写真に写るものの前後の動きをやろうと思った?

遠藤-いや、前後の動きを辿るんじゃなくて、写真の見えとダンスの見えの印象を一緒にしたかった。

岩上-最初、人のいた痕跡をテーマに写真を頼まれたと思うんですけど。

遠藤-あーそうだったかも。でも、それは痕跡を辿るという意味ではなくて人がいたという温もりがある写真がいいと思って。

岩上-それがあんまり分からなかったんですよね。温かみのある写真かーと思って。

遠藤-私は岩上の写真が温かみがあると思ってて、というか人を撮ってて、写真から体温を感じたの。だからそういう写真と動きの温度が合わせられたらそれは同じ質感になるんじゃないかと思った。
でも、方向性が変わっていったのは岩上の写真がどうこうではなくて、単純に写真を見て動こうとした時に、写真をなぞってしまう。

岩上-被写体を?

遠藤-そう。何が写っているかとか、そこから想起されるストーリーに動きを触発されることになってしまって、それって写真じゃなくて被写体の実物を見ても同じなんじゃないかと思って。それじゃあ、写真を使う意味がわからなくなるから、写真を見て動くって方向から一旦離れた。
それで、自分が見せたいものを考えた時に、動きの質感っていうのはミニマムな動きにこそはっきりと現れているんじゃないかと考えて。でも、ミニマムな動きから質感を捉えるには普段ものを見る時の見方とは焦点の合わせ方が違うと思うんだよね。それって記録写真と作品としての写真の見方が違うのと同じで、それが写真を見る面白さだと私は思ってて、今回は写真を見ることとダンスを見ること、2つの見ることを普段の見るとは違うレイヤーで提示する方にスイッチした…というかなってた。


Re:カメラと身体

岩上-「写真の質」ってあんまり考えたことなくて、初めてななみさんに人を撮っているって言われた時にそうなんだって思って驚きました。結構人に言われたことに引っ張られるので、撮り方を振り付けられる感覚です。

遠藤-他の人には、自分の写真についてなんて言われたことがある?

岩上-昔撮った写真に比べて写真の視野が広がったって言われたり、被写体に依らず動きとか流れを撮ってるんじゃないかって言われたりとか、あとは悪夢っぽいとか。

遠藤-悪夢っぽい?!

岩上-自分が見た夢ではなくて誰かの夢。あと、映画のインサートっぽいとか。

遠藤-分かる。

岩上-別にそういうことを意識してるわけじゃないので、その度に「へー!」って思います。

遠藤-むしろどういう意識で撮ってるの?

岩上-どういう?!

遠藤-例えば私はインプロするときに肩からで動くとかっていうのは実際は足から動いちゃうからイメージで動くしかないじゃん、そういうイメージから動くってことが苦手なんだよね。結局イメージで動こうとしたところで自分のクセとかパターンにしかならないと思ってるから。新たな動きを見出すためにはもう少しタスクを緩やかにするかイメージと言えばそうなんだけど、壁に触れる時に隙間を作らないようにとかっていうのは私にとってはタスクしてやりやすいって今回やってて気づいたかな。写真とダンスは同じには語れないかもだけど。

岩上-あ、なんか、やっぱりカメラで撮る写真とスマホで撮る写真は心持ちが違いますね。

遠藤-どう違う?

岩上-…うーん…。やっぱり写ルンですで撮るのが1番好き。あ、これってパッと撮れるから。

遠藤-見ている風景とファインダーで区切られている風景で変わったりすることはある?

岩上-一眼で撮るときはファインダーを覗いてからシャッターを切るまでにあちらこちら考えたりすることはあります。写ルンですは目じゃなくて手で撮る感じ。触るというか、カメラで触りに行くことができるから好き。

遠藤-逆にさ、スマホの写真って超視覚的じゃない?

岩上-うん、視覚的。

遠藤-全体を撮るというよりはどこか一つに焦点が当たる写真。

岩上-そうなんですよね。背景を避けたくなるったり、写したいもののために撮る方向を決めたり。

遠藤-目的があるというか全体を見ることが少ない…

岩上-そっか、質感より被写体。

遠藤-だから、今回写ルンですを選択したのは良かったのかな。

岩上-一眼はシャッタースピードの違いが楽しいかも。

遠藤-それは被写体の見えがシャッタースピードによって変わるから?
そういう写真によって見えてきたものが楽しいの?それとも撮っている時が楽しいの?

岩上-うーん…出てくるものが楽しくて撮っているわけではないかも…カメラを構えて待っている間が結構楽しい時間なのかも…あれ、何の話でしたっけ。どういうマインドで撮ってるか、か。
旅行に行ったときの景色はキレイに残したいけれど別に一眼じゃなくてスマホでいいかなって思ってて、逆に散歩で公園とかに行ったときに水を撮るときは一眼で、街中とかは触りたいから写ルンです。

Re:Re:ダンスを撮る

遠藤-撮ったものが楽しいんじゃなくて撮っていることが楽しいっていうのは動きにも共感できて、振付したものを見るのも楽しいけど、考えている間が楽しいって思う。手で撮る、目で撮るっていうのはダンスでいう内観を重視して踊るのと、見えを想定して踊ることと感覚が似ている気がする。だから撮ることと踊ることって近しいものがあると思う。

岩上-私はそれはへーって感じです。

遠藤-ダンスは動画より写真の方が親和性高いと思ってて。

岩上-それよく言ってますよね。

遠藤-ダンスを写真で収めることと、ダンスを動画で収めることってどれぐらい質が変わるかって話で、写真は撮り手の知覚がダイレクトに写真に表れる気がして、映像はダンスと撮り手の間に映像の知覚が一枚挟まるような気がするんだよね。もちろんダンスも映像も動的だから映像の方が何だったかはわかるんだけどどんなだったかは写真の方が伝わってくる気がして。それこそ動画は言葉で尽くされてしまうからそれ以上にもそれ以下にもならないみたいな。

岩上-へー、面白い。

遠藤-そう思ったから今回これをやったのかも。目に見えているもの、言葉で尽くされているものを同じと捉えるのは誰にでもできることだけど、そうじゃない見方をしてピントを調節していけたら日常への眼差しも変わるんじゃないかって。わたしはそうやって日常にときめきを感じている。そういうことを提示するのもダンスとか写真が担うべきところかなと…なんか大きな話になっちゃった。

岩上-(笑)逆に映像側の意見も聞いてみたいですね。

遠藤-確かに。

Re:Re:Re:ダンサー思考

岩上-そういう日常の知覚の仕方を振り付けていくって「ダンサー思考」だなって思います。

遠藤-これはダンサーの押し付け企画になってしまったのか。

岩上-いやいや、何も押し付けてはいないと思うけれど、これは「写真×ダンス」とか「展示×上演」っていうのは適切じゃない気がします。確かにそこにあるのは「展示と上演」という形態かもしれないし、「写真とダンス」っていうものかもしれないけど、もっと…ダンスっていうのも大いに誤解があるし、身体表現も正しいかわからないし、生活というのもまた違うと思うけれど…「ダンサー思考」っていうものというか…

遠藤-全てにおいてダンス事で考えがちだから…だからこの先私が演劇や映像、インスタレーション、何をやろうともやっぱり全部「ダンサー思考」から始まっていくと思う。

Fwd:"ta.Re:"を辿る

岩上-結局、写真ではなくタスクから動きを生みだす方向になってからは変わってないですよね。

遠藤-うん。まあ、踊る話もあったけど、タスクというより行為を眼差す方向になった。これは傲慢な話かもしれないけれど、このを上演を通して見ることに対するきっかけをサジェストできたら…別にこの上演は私のゴールでもなくて、お客さんにとっても誰にとってのゴールでもなくて、連続している生活の中での一点にすぎなくて、この点によって変化を求めているわけでもない。それこそ種まきって感じ。

岩上ー自分にも種まきだし、観客にも種まき。

遠藤-種って沢山蒔いたとしても全部発芽するとは限らない…けどそれでいい。自分か誰かに芽が生えてまたどこかに新しい種が生まれれば。

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