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プロジェクト「縁食(えんしょく)」


2024年

5月6日:ニンニクの芽を

ルヌガンガのオーナーに。

4月28日:サイトウコーヒーさん主催「縁食会」に

行ってきた。

イチゴは食べちゃったけど、今日収穫したスナップエンドウとアスパラガスをおすそ分けに持っていく。

サイトウコーヒーに行ったら、ヤギさんの様子を確認。
足が弱くなって立てなくなったとのこと。
8歳。

田植えの手伝いがあったら、来れないなあと思ってた。
でも、今日は水入れと代かきをしてて、始まったとしても午後からみたいだったので来れてよかった。

来る前のぼくのイメージでは炊き出しに近くて、発泡ポリスチレンの容器に豚汁とおにぎりをもらって、地べたに座って食べる感じだった。

これには衝撃を受けた。
世の中にはぼくの想像のはるか上を軽々と上回っていく人たちがいる。
本当に素晴らしいなあ。

味もおいしかった。
久しぶりに、旬のタケノコを食べた、という感じ。

なにかぼくも一緒にできることがあれば、と思う。

4月21日:映画トークイベントに参加した際に

イベントが開催された本屋のオーナーと、イベント主催の方に、新タマネギをお渡ししました。

4月13日:イベントに参加した際に、新タマネギを

イベントに参加したついでなのか、新タマネギを手渡したかったついでにイベントに参加したのか、それはよく分からない。
でも、たぶんぼくはこれから、大切に育てた野菜たちを、大切にしたい人にわたしていくんだろう。
そう思う。
100円、200円、そんなお金ともう交換したくない。

3月28日②:相手の立場になって考える

ぼくがどんなに大切に育てた野菜を送ろうとしても、相手が求めていなければ、それは迷惑でしかない。
自分のことしか考えていなければ、善意も悪意に変わる。

3月28日①:認めてもらおうとして無理をしない

楽しいから農のある暮らしをしている。
その中から生まれたものを、大切な人にも食べてもらえたらいいなと思ったから始める「縁食」。
褒めてもらいたいからやるんじゃない。
認めてもらいたいからやるんじゃない。
無理をしない。
自分を大切に、大切な人も大切にしたいからこその「縁食」。

はじめに

ぼくは今まで、たくさんの優しい方々と出会い、さまざまな場面で大変お世話になってきました。
ですが、うまく人間関係を築くことができずにこれまできてしまいました。

仲良くなりたいという気持ちはあるのに、それをうまく表現できない、逆に、近づきすぎてしまって、依存してしまうようになったり、自己中心的、自分の都合のいいように相手をコントロールしようとして関係が壊れるということを繰り返してきました。

そして、「自分は社会に必要のない人間だ」「誰も信じられない」「まわりはすべて敵だ」という思いにとらわれ、自らのシャッターを閉じてしまって引きこもってしまったのでした。

友人を失い、職にもつかず、つけず、そんな自分が生きている意味はあるのだろうか、というモヤモヤが頭の中にうずまいているときに、偶然読んだ本がありました。

自分探しイズム (著)「アダルトチルドレンの生き方: 劣等感が消え自分を好きになる本」(Kindle版)です。

コミュニケーションができなくて人間関係がうまくいかないのは、人生がうまくいかないのは、心が成長していないために甘えているから。もうひとつ、心が成長してないために他人の気持ちがわからないから。
そして、人間なら誰もが持つ自然な欲求(つまり自分)を拒否されて育ったということは、心が成長できないだけではなくて認知も歪む。脳は幼少期に固まる。
たとえば一例だが、次のような感じ方をする。
・私は誰からも愛してもらえない。
・責められてないのに責められていると感じる。
・人はみんな悪意のある冷たい人間。
・周りの人はみんな敵。
・役に立たないと受け入れてもらえない。
・私は価値がない人間。
・私は迷惑をかける存在。
・自分と一緒にいると相手は楽しくないだろう。
・飲み会などに参加すると浮くだろう。
・うまくいったときは運がよかっただけ。
・失敗した時は自分の能力のせい。
・自分の長所を長所と思えない。
・誰にでもあるふつうな点をものすごい短所と感じる。
・他人を拡大評価し自分を過小評価。
その他もいっぱいある。相手は絶対こう考えているだろう、周りは絶対に私のことをこう思っているだろう、このようなこともズレていることが多い。これでは人間関係がうまくいくはずがない。

「アダルトチルドレンの生き方: 劣等感が消え自分を好きになる本」

幼少期に親から愛されることによって心が成長する。
それがうまくいかなかった場合、ぼくのように心が成長せずに大人になってしまう。
それが「アダルト・チャイルド」。

心が成長していないぼくは、いつも誰かに甘えている。依存している。
自分が世界の中心で、いつも自分の思い通りにならないと気がすまない。
認めたくないけれど、書かれていることはすべてぼくのこと。
人生を折り返すくらいの年齢になって、ようやく自分のことを気付くことができたのでした。

これはぼくにとってとても大きな意識改革でした。

ぼくは、学生時代からずっと、心に大きな穴があいたような、自分に何か欠けているような違和感をもち続けて生きてきました。
これからは、そんなぼくでもいい、存在するだけで価値がある、自分が好き。
これまで無意識に思い込んできたネガティブな思考を振り払って、本当に自分を大切にすることをはっきり意識して、生きていくと決断しました。

そのうえで、このままのぼくでもいいけれど、もっと楽しく笑顔になれる生き方ができるようになるために、第一歩を踏み出します。

先日、2024年3月17日に開催した種の交換会に参加してくださった方が、本を紹介してくれました。

藤原辰史「縁食論――孤食と共食のあいだ」です。

半分くらいまで一生懸命読んで、それ以降は、ぼくにはかなり難しかったので、飛ばし読みしました。

この本のタイトルにもある「縁食」という言葉が、今のぼくの心に響きました。
「縁食論」とは、子ども食堂や炊き出しなどを例として、無料で食事を提供するような場所をつくることが、商品としての食となっている現代の価値観を、大きくより大切なものにできるのではないか、という論だとぼくは理解しました。

今までお世話になった方々、不義理をして縁が切れてしまった方々、これからも大切に繋がっていたい方々。
もしかしたら、この「縁食」という考え方で、ぼくでも何かできるのではないか、と思いました。

ただ、いきなり無料で食事を提供するという大きなことはいくらなんでもハードルが高すぎます。
でも、例えば、うちで大切に育てた野菜などを、相手のことを思いながら箱に詰めて、手紙を添えて、届ける。
近い方には直接。
遠い方には宅急便で。
見返りを求めるものではなく、感謝の気持ちを込めて送る。
これなら、形は変わっているものの、「縁食」の思想を実現できそうです。

2024年、プロジェクト「縁食」を始めます。

ぼくが野菜づくりを始めて5年目になりました。
うちで収穫した野菜などをセットにして、感謝の気持ちを込めて届けます。

今のところの目標は、ダンボール50箱分。

実は今、スマホの連絡帳に登録してあるのは、家族と親族、車屋さん、動物病院などだけです。
友だちの連絡先は、ぼくの甘えや依存が原因で関係がうまくいかなくなったりする度に消去してしまって、現在0人になってしまいました。

まずは、「縁食」を届けるリストをつくるところから始めます。
昔、年賀状を出していた頃につくった住所録が、古いパソコンのHDに残っている、はず。

ぼく、やってみます。

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