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【2020.04.20】何かを許せる気持ちを生むものだけをユーモアと呼びたい。

今朝は目覚ましが鳴るのを待たず、5:00前にすっきりと起きることができた。昨晩はテレビで『キングダム』を観ていたので4時間くらいしか眠れていない計算だけれど、それはもうびっくりするくらいすっきりした朝だった。天気が悪いにもかかわらず。

最近ゴミ収集が来る時間が早まっている気がするのでさっさとゴミを出し、ゆっくりラジオ体操とストレッチ。

「あれ、なんか今日、すごく良い感じじゃないか?」

頭がすっきりしているうちにボランティアで受け持っている原稿の確認を済ませ、優雅な気持ちでいつもの朝食をいつもよりちょっと良いベーコンを使ってつくり、気分が最高潮に達すると同時に手を滑らせ味噌汁を床にぶちまけたところでいつもの朝に戻った。

やっぱりね。これぞ我が人生。

さぞかし昼は眠くなるのだろうと思っていたけれど、12:00前に20分ほど机に突っ伏して昼寝をしただけで、またしてもすっきり。午後いちの打ち合わせも、引っかかっていた疑問点が解消され、原稿の編集方針も新しい道が見えた。とても良い感じ。

あとは汁物をこぼさなければ完璧な夜を迎えられる。そんな思いを胸に夕食は慎重に食べた。

早い時間から起きているので、今日はスカッと眠りに就けると嬉しい。夢もいらない。目に強い光が入るPC作業は、眠る前の毒。早めに終えられるように、この日記も今日は早めに手を付けている。


4月20日。TABLE FOR TWOの東京外大支部「W-Win」を創設してから11年の記念日。来年で、なんと干支一周! 驚きだ。

「1人の100歩より、100人の1歩ずつ」

これを標語に、たくさんの人たちの小さな1を集めて、世界の端っこの端っこから変えていこう、という気持ちで始めた。このスローガンと精神はずっと貫かれているらしく、活動をただの「継続」ではなく「進化」させていってくれている後輩たちを本当に誇りに思う。

ただ、大きな気がかりがある。

多くの国で展開されている休校措置は、アフリカを中心としたTFTの支援国でも例外ではないそう。となると、学校に行けなくなる子どもたちには給食が提供できなくなる。

一日一食とれるかどうかという地域があるなか、給食は子どもたちが栄養を確保するための非常に重要なもの。臨時措置として、家庭への食材提供や、教育番組の放送時間外に学校で給食を受け取れるようにするなどの対処をしているそう。

コロナの影響は、ビジネスだけでなく国際支援の場にも大きな影響を与えている。より命に直結する活動において支障が出るわけだから、本当に大きな問題になっているのだとあらためて実感する。


ちょっと暗い話になったので、緊急事態宣言発表後で一番笑った動画を。43秒からの超展開に腹がよじれた。

この動画は好き。Twitterを中心に、「批判」の文脈で様々な大喜利が飛び交っているけれど、それら(特に品がないもの)は個人的にあまり好きではないし、シェアして広げてムーブメントにしたいという気持ちにもなれない。「笑い飛ばさなければやっていけない」という気持ちもわからなくはない。けれど、相手を見下し、嘲笑うタイプのウケ狙いは好きになれない。これは「ユーモア」ではないと思う(そのつもりでやっているわけではないのかもしれないけれど)。

モモ』や『はてしない物語』で有名な作家ミヒャエル・エンデは、『永遠に幼きものについて』という素晴らしい講演のなかで、こんなふうに語っている。

ユーモアは狂信的でも教義的でもない。それはいつも人間的だし、やさしい。ユーモアとは、自分の不完全さを苦渋に陥ることなくみとめ、気持ちを楽にしてくれる、あの意識の姿勢です。そしてまた、他人の不完全さも微笑んでうなずける。ユーモアとは英知と同一ではありませんが、とても近しい類縁関係にあります。

これは、僕が知るなかで最も好きな「ユーモア」の捉え方。何かを許せる気持ちを生むものだけをユーモアと呼びたい。怒りの方向へ共感を呼ぶ「風刺」と違うのは、その点なのかもしれない(もちろん、ときとして怒りも大切なパワーになるとは思うけれど)。

ちなみにこの素晴らしい講演は、エンデの創作ノートや手紙、さらにはメモなどを多数収録した短編集である以下の本から読める(値段がすごいことになっている......)。


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