重力井戸の底のサル、大海を知る

 昨年参加した東方Project二次創作合同誌『科学世紀合同』(主催:ネモさん,常行丼)に寄稿させて頂いた文章が再掲可能になっていましたので、ここで修正を加えて公開します。
 テーマは「6000年間の大航海時代」「その自然な帰結として前進していく、希望に満ちた宇宙的『科学世紀』を待望するヒトの叫び」です。「そうはならなかった」宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの科学世紀を知る立場から、楽しんでいただければ幸いです。



「夜空に浮かぶ星さえも」

 我々が産まれてくるずっと前、オルドヴァイ峡谷に神秘的な聖石が置かれた頃、バカなサルである我々の祖先は物事の前後を認知した。次いで前世紀の中頃、人々は犯してきた過ちの数々に気づいた。
 そして今、我々の目の前にはそんなバカなサルたちの尻拭いをするためだけの仕事が、数え切れないほどある。ぞっとしない冗談のような話で、その内容に分け入ればたちまち狂ってしまうだろう。
 だが幸いなことに、悪い話ばかりではない。
 南北両大西洋における加速主義の流行と東アジアにおける人口推移の再増加は、確実にサルたちの追い風になっている。
 このサル——言い忘れないうちに言明しておくと、もちろん我々自身もバカなサルである——がこの世紀の始めに予想したよりも温暖化のペースはずっと遅くなり、二〇四一年以来経済格差は縮小を続けている。サルが実践をもって、分別という言葉を会得しつつあるのかも知れない。これらは、概ね十本前後の指から編み出された、諸科学の帰結ではあるが、しかしその期待の割に成果が注目されない世界も存在する。

フライ・アス・トゥー・ザ・ムーン?

 二〇二九年にアルテミス三号と嫦娥十号が繰り広げた、あの劇的な月面レースの後、宇宙開発は緩やかに進展している。月面初の恒久的太陽光発電所で知られるシャクルトン・クレーターで、アルテミスと嫦娥の船員は手を握りあった。当時ますますエスカレーションしていた米中対立を忘れさせるようなヒューマニズムに溢れる出来事だった。そしてガガーリン以来の「宇宙飛行士」の時代の終わりを飾る——シャクルトンの最後の冒険は「南極探検の英雄時代」の終わりを飾った——ような出来事だった。
 そうしてやって来たフロンティア時代でコロニー建設に励んでいる人々とは、そのような人道主義者よりも若干、或いは相当に「ダーク」である。人種主義的加速主義者、終末論的宗教原理主義者、スターリン主義者、ウルトラ・ロマンチスト——あまり面白い話ではないが、地球に対して彼らはみんな団結している。その出自・思想を考えれば、驚異的な「ファランステール」が結成されていることは、希望でもあり、厄災でもある。
 ユーラシア大陸——別にユーラシア大陸に限った話ではないのだろうが、大抵のものはユーラシア人の凌辱の結果として永久に忘れ去られてしまった——の歴史ある都市の多くが神に由来する伝承を持つ。対してアームストロングの左足に次いだのが、彼らの右足だったことは、偉大な一歩の帰結である。
「このコロニーは人間たちが創った」
 あと四半世紀もすれば語られるようになる伝承はこのように要約され、共同体で継承されるのだろう。
 ただ残念なことにと言うべきか、幸いなことにと言うべきか、月を目指そうとする国家や企業は少ない。多くの国々は厄災の玉手箱である月を避け、火星-木星間のアステロイドベルトを目指している。
 そもそも月にある興味深い資源と言えばその創造に対するインスピレーションを除けばヘリウム3と固体の水ぐらいで、我々の最も親しい隣人とは枯れた衛星なのだ。

「長い道のりだったが、我々はここにいる」

 これはアラン・シェパードが月面に降り立った瞬間に発した言葉だ。我々は今、もう一度この言葉の意味を考える時に来たのかもしれない。
 二〇五三年、南アフリカは明らかにケネディをオマージュした大統領演説の中で、十年以内の本格的な有人火星探査を表明し、中国、アメリカ、インド、イラン、そして有象無象の企業と個人がこの順でこれに続いた。演説の妥当性は括弧にくくったとしても、それ自体が感動的な印象をかなりの人間に残した、ということは誰もが合意できるだろう。
 そして地上人の好感情と同様に重要なことがある。それはアルテミス-嫦娥以来の間重力圏レースが大々的とは言えないにせよ、様々な人々の意識に浮かび上がってきたことだ。
 月面では人種主義と決別した加速主義者とユートピアン共産主義者の集団「前哨展望社」が真っ先に反応した。彼らは「CNSAより早く、NASAより遠く!」と始め、月面マスドライバーの建設を宣言した。地球と比べれば格段に浅い月の重力井戸は、人類の星間知性化にとって明らかに経済的である。この計画は資源不足と建設優先順位の問題から凍結されたが、地球重力に暮らす人々に多大な衝撃を与えた。
 兎も角も停滞と飛躍を繰り返しながら、サルたちは火星までの距離を一歩一歩詰めている。ただしどんなに速やかに物事が進んだとしても、アポロのような鮮やかさは期待できない。既に南アフリカとイランと大抵のビリオネアは予算超過を理由に計画を凍結し、ロシアと日本と大抵の企業はこの事業の優先順位を大幅に落とした。
 しかしながら火星への欲望は脈動している。それは地球人類の、ひいては星間人類の威信を掛けた戦いなのである。

原始星間文明

 我々サルは道具を得た後、数十万年に渡って階梯を登り続けることによって機械文明へと到達した。そして収穫加速の法則に従って機械文明は後進に道を譲ろうとしている。
 下手を打てば重力に引かれて落ちてくるため、取り扱いには十分注意しなければならないが、衛星軌道や星間空間においては地球ではできない規模の創造を展開することができる。
 ある芸術家は軌道上に月を象徴するモチーフをキロメートル級で建設することを提案し、宗教原理主義者たちから顰蹙を買った。地球でも、エウロパ軌道にSF図書館を作ろうという個人的でささやかな提案から、向こう百年開拓の見込みのないエッジワース・カイパーベルト全体の領有権を要求した企業まで、いくつかの例を見ることができる。
 その中でも最も実現に近い巨大構造物の例は、日本が進める衛星計画『トリフネ』だろう。火星探査からの撤退後、JAXAの全力が注がれてきたトリフネ計画では十数キロ平方メートルの広さの中に自然環境が整備され、標準から月レベルまでの重力加速度において生態系がどのように展開されるかを追う、壮大な実験が地球軌道上で予定されている。最終的には地球環境への適用も視野に、既に今年から機材の打ち上げが始まっている。
 サルは社会の形に合うよう自然を改造するが、ここに至って究極の段階へと到達したのかもしれない。

重力リアリズムを突破せよ

 ユーリイ・ガガーリンがボストーク一号で大気圏外へ飛び出してから、今年で一世紀だった。モスクワでは大々的に祝われると共に、彼の早すぎる死が改めて悼まれた。
 そうは言っても、大多数の人々の目線は重力に従って地球に向いている。やはり宇宙とはサルには広すぎる海なのかもしれない。
 しかし忘れないで欲しい。我々はバカなサルだがそれでも標準重力加速度の下でも、アフリカから南米大陸の南端までを踏破して見せたのだ。いわんや低重力下でサルたちの歩みを阻むものが、己が恐れ以外に存在するだろうか?

 
 我々の目の前には星間知性の大講堂がそびえ立っているのだ。


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