結局自分は自分にしか救えないことについて

 こんにちは、迅です。今日は常日頃から思っていることについて。自分は自分にしか救えない。これは決して他の人から救ってもらってはいけない!という意味ではありません。限界を迎える前に、誰かを頼っていいと思います。ですが私の場合、本当に自分を救ったのが自分しかいないんです。悩みを一番聞いてあげたのも、解決してあげたのも、寄り添ってあげたのも全部自分。もしかしたら私が忘れてしまっているだけかもしれませんが、私は誰かから救ってもらうという記憶を持っていません。勿論、実生活で色々とお世話になっていることは認めます。私にできないことや私だと効率の悪いことを多くの人が分担して手伝ってくれています。しかし、それは救いとはまた別だと思うんです。
 言語化とても難しいのですが、一番シンプルな言葉で表すとすると、救いというのはアイデアであって行動ではありません。支えるというのは行動です。ご飯を作ってくれたり道を作ってくれたりします。あるいは知らないこと・できないことを代わりにやったり伝授してくれます。また、精神面での成長を促してくれることありますが、結局成長は自分でしなければ勝手に成長はしません。一方救いというのは「どのよう行動するか」「どのように考えていくか」によってもたらされるものだと私は思っています。そうやって自分で決めた上で周りの手助けを借りる。あるいは、周りの意見を参考にその方向性を決める。そういったことはあっても、完全にその方向性を他人が決めるということはないと思います。また、望ましくないと思います。

 でも、時に「誰の意見も参考にできない。何が正しいのか分からない」ということがあります。そりゃあ自分の中での基準を作れていないのだから当然ではありますが。
 確かに私は何度かそういった状況を乗り越えてきたはずなのですが、マニュアル化された解決策というのはまだはっきりとしていません。なんとなく、というものであれば、「いつかきっと自分だけの価値観を見つけられる」とまず堪えることにして、それだけでは意味がないので「完璧じゃなくても、少しずつなら共感できる人はいくらか居る」と自分を納得させて、最後に「自分にしかできないことがある。ここで終わってはいけない」と自分で励ましています。またこうなる前はぼーっとして現実逃避をし始める傾向にあるので、しっかり頭と体を休ませるようにしています。大抵何かをしていないと落ち着かない、何か聞かないと、何か見ないと、何か考えないと……という思考になるのですが、かえって頭を疲れさせるだけですので何もせずに過ごします。
 でも何もせず過ごすというのも中々難しいので、自分の思っていることを書いてみたり、適当にイラストを描いてみたり、歌をくちずさんでみたり、何かを入れるのではなく出すようにしています。1時間弱ぼーっとできたら最初のうちならすぐ治るので、最近は思い悩むことも減っている気がします。

 恐らく私だけじゃなく、人類の中の一定数が何かしら理由で消えてしまいたいと考えることがあるのだと思います。でも、少なくとも私は本能的にそれがいけないことだと分かります。同時に、まだ挽回余地があること、私がいようがいまいが関係ないなら迷惑もかけないことも知っています。だからまだもう少し、なんとか生きようと思っています。そもそも私はまだ何も成し得ていないのですから、ここで生涯終えてしまってはいささかもったいない気がします。

では。

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