初エッセイで図工美術について書くの稀有すぎる

エッセイと言われて僕が思うことは、いわゆる意識高い系の例えばキン○コン○の西○さんみたいな文才のあるインフルエンサーが自分の思っていることを徒然なるままに書き綴るものであると思うし、そう言った人は少し鼻につくのは正直なところであるし、こう言った狭いコミュニティで何かの批判をするのはもってのほかで自分のポリシーには合わない。前置きはこれくらいにしてこれから僕が思う図工美術に対して思っていることを書いていこうと思う。いきなりどうしたとなるかもしれないが、大学の授業の課題だから仕方ない。これは図工美術の先生ないしその卵にあてたものという体だが、そう簡単に伝わるはずがないので何も気にせず書いていく。
さて、ここまで全く内容のない文章を300文字くらいつらつらと書いてきたわけだが、どうだろう。めっちゃ読みにくいでしょ。改行もないし。こっからは改行するから安心して欲しい。
内容もあっち行ったりこっち行ったりで、このようなただ文字を書いて文字で余白を埋める能力は美術のおかげで身についたようなものだ。
皮肉の効いた書き出しで申し訳ない。どうせこれを書いているみんなもほぼほぼ批判的に書いていると予想できるのでまあいいとしたい。
話を戻すと、中学校の美術はとくに高い成績を残して高校受験に必要な内申を獲得するべく、うちの学校ではとにかく美術の先生に好かれて成績を上げてもらうことが必須だった。何かがあり嫌われた生徒がいたが正直目も当てられない。
そこで、どのようにしたらいいかというと、美術の時間は毎時間振り返りカードが配られ、その時間にやることや思ったこと工夫したことなどを書く枠しか書いていない紙なのだが、これをびっしりと埋めることが先生に好かれる前提条件であったので、内申が必要な生徒は必死こいて埋めた。僕もその例外でない。
僕のような美術センスのない人間はこういうところで点数を稼がないといけないのだが、残念、字も汚いのである。しかも飽き性だった僕はかなり雑に振り返りカードを書いていた、というより余白を埋めていた。今まで書いてきたこのエッセイのようにね。その結果は読者の想像に任せるがこのように余白を文字で埋める能力は身についた。

思い返せば、今までの図工美術は余白を埋める行為でしかなかったと思ってしまう。先ほどの振り返りカードの件もそうだし、小学校の図工もまっさらな紙に、はいっ!好きなもの描いてっ!という授業の記憶しかなく、クリエイティブ能力に欠ける僕は、まっさらな紙をもらっても書き出すのにかなり時間を要してしまう。それが苦痛に思う人も少なからずいると言うことを知っておいてほしいと思う。例えば、目の前にある筆箱をこう言った手法を用いて描いてみようみたいな、できない人へ道標を見せてほしかったなと今思えば思う。
つらつらと図工美術の嫌なことを書いてきたのだが、ずっと嫌いというわけではない。僕はわりと図工室や美術室のものがごちゃっとあるような、絵の具のツンとした匂いが香るあの空間が結構好きだった。あまり学校の場所で好きなところはあまりなかったが、ここだけ好きだったのでなんかいい思い出だ。
エッセイなんて自分から書いてみようなんてなかったが、書いてみると意外とすらすらかけるものだった。ちょっとおもろいかも。

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