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死への人生改革の決意

これまでの自分の人生は、割りかし「やりたい!」「やろう!」と思った事を実行に移してきたほうで、有言実行型と不言実行型のどちらかに分けるなら前者だと言えるかもしれない。

プロの歌手になりたいと言って故郷を出たあの日以来、有言実行できる男になるべく努めてきた。無論すべてがそれに当てはまるわけでないが。

一昔前であれば"人の一生は80年"などと言われていたが、近年は大きく変わり"100年時代"と言われるようになった。
だがしかし、与えられた人生の時間なんて、ほんの一瞬で短い事を何度も再確認すべきだ。とするなら何をやるべきで何をやらなくてもいいかを考え始めなきゃいけない。

優先順位という言葉があるが、人間は生きている間中ずっと選択を迫られている。やるかやらないか、やるならテキパキやるかたっぷり時間をかけてやるか、テキパキやるなら普段の自分のテキパキさでいくかダイエット効果が出るくらい急ビッチでやるか、、、と、常に選択の繰り返し。こんな事を書いている私にも迫られている。夜中の3:50にまだ文章を書き続けるか寝るか。

今の自分にとってやっておかなきゃいけない方をチョイスし続けて生きていければいいのだが、そうもいかず適度にやったり、いやむしろ自分にとって本来なら最優先でなければならないことの方を割りかし後回しにしがちかもしれない。

タイトルに"人生改革"とつけたのは、これまでの生き方を振り返ったのではなく、自分にはどれくらい残りの人生があるのかと改めて考えたのだ。80年生きられるならあと40年くらいだ。しかしいつ病気になるか、いつ何の事故に巻き込まれて不慮の死を遂げるかも分からない。この後眠りについて、何らかの理由でそのまま目が覚めない事もなくはないだろう。こんな事を考え始めると人生は自分のものであって自分のものでもないような気すらしてくる。

「今を精一杯生きなきゃいけない!」分かっちゃいるがなかなかそうならないのだ。しかし世の中の成功者と言われる人達がそこを重んじ続けて成功した、し続けている事は認めざるを得ないところだ。
そうなる為には自分にとっての起爆剤が必要だろう。または奮い立たせ続ける何かが必要かも知れない。

私はずっと一つの夢を追い求めて中学の頃から生きてきた。しかしそれには到達できなかった。それである種の燃え尽き症候群的な事に2年近く陥っていたのだが、最近あらたな楽しみを見つけた。それは、自然と生活する事。畑をやってみたり、魚釣りをやってみたり、鶏を飼ってみたり、山菜を採りに行ったりと、自然に近い生活をしてみようと思うのだ。都会やその近郊と比較すれば不便な事もある事は承知の上だ。人生改革というからにはそれくらいの大きな変革が必要だと思う。これまでと全く違う生活環境に身を投じる事がそうなるための近道かもしれない。

"いつ死ぬか分からない"というこれを、人は忘れがちだ。特に若ければ若いほどそんな事とは無縁のような生き方をしてしまう傾向にある。

死へのタイムリミットは私にもあなたにも刻一刻と迫っているのだ。人生を無駄にしてはいけない。自分のために、誰かのために今立ち上がらなきゃいけない。

最後にもう一度言わせてほしい。
決して与えられた人生を、無駄に生きてはならない。

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