悲しいので本を読む


初めに

いつもテーマに沿って書いていたのですが、脱線して。今日はタグもつけないです。ひっそりと。

悲しいので本を読む

私の仕事はカレンダーに忠実に休みが入るため、GWは祝日になった分だけ休めます。どこに行っても混んでいるだろうという推測から、特にどこか遠出もしないため基本的には暇です。そのため、遠出しなくともよい、かつ同じように休みが取れるという理由から、近年は会社の同僚を家に読んで遊ぶことが増えました。今年も何人か呼んでみんなで遊んでいました。

同年代の人と集まると、自然と子供のころにやっていたゲーム(テレビゲーム)や、アニメ、漫画などの話になります。ここでいつも私は話についていけなくなってしまいます。

私は子どものころ、経済的な理由からゲーム機を一つも持っていませんでした。小学生の頃は学童保育に預けられていたため、そこに置いてある漫画は読めましたが、自分のお小遣いで好きなタイトルを買うことはしませんでした。(行けば読めるので)また、学童保育に行っていたことで、学校が終わってから夕ご飯までの間の17時~19時ごろにやっているアニメは家にいないため見ることができませんでした。そもそもアニメを見る習慣がない家だったため、家にいても見なかったかもしれませんが…
小学校の終わりごろにDSが一台我が家にやってきたため、家にゲーム機がない状態からは脱しましたが、ゲームらしいゲームは遊び大全と脳トレとどうぶつの森くらいで、RPGや横スクロール系のゲームはやったことがありませんでした。これが中学生くらいまでのゲーム体験の全てです。

当時で印象に残っているのが、小学5年生の時に授業で先生が「ゲームが家にない人手を挙げて」と言ったときに、クラスで手を挙げたのが自分だけだったことです。先生の期待値としては、誰もそこで手を挙げず、みんな持っているよな?だから~、と話をつなげることだったようで、先生に「○○(私の苗字)…本当か?」と疑われました。授業はそのまま進みましたが、私はその時に、ゲームを持っていないことは普通ではないと再認識しました。

ゲームを持っていないことを理由にいじめられたことがないのは幸いですが、この年になって当たり前のようにゲームの話をされてもちんぷんかんぷんで、もはや何から質問すればいいかもわからない状態になります。このGWでも、知らないゲーム用語が飛び交い、まるで一人だけ方言を理解しない人みたいになってしまい、正直精神的に疲れてしまいましたし、悲しい思いをしました。

もちろん私はもう大人なので、自分の力でゲーム機を買っていくらでも遊べばいいのですが、そもそも素養がないためやり方がわからない、楽しみ方もわからない状態で、結局諦めてしまいます。根本的に向いていないのだと思います。でもさすがに会話くらいはできるようになりたかったです。

終わりに

本をたくさん読むようになった理由は、図書館に行けば無料で本を読めるからです。お金を使わずに得られる娯楽の中で一番面白かったのが読書でした。本であれば、わからない単語が出てきても、いったん辞書を引いて調べることができます。会話のように流れて行ってしまって、止めることも後戻りもできないものではないので安心します。ゲームの世界は私にとって異文化であり、理解が及ばないことが多々あるのですが、それは行ったことのない外国の小説を読むことと似通っているかもしれません。

ここから得られる教訓としては、相手が全て知っていると思って話さないこと、自分のコミュニティでは当たり前でも世間的には当たり前ではないことの認識をすること、くらいでしょうか。空気を読まなくてもよいので、わからないときは正直に質問することでしょうか。本ならもっと寛容なのにな、と思ってしまう数日間でした。

最後に、全く文化的な背景がわからず、知らない食べ物もたくさん出てくるものの、読んでいて面白かった本を。脚注は偉大。

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