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神さんとのお仕事㊳「ほどほどがいい②」

前回のブログで宗教やスピリチュアルに深くのめりこんだら浮世離れをするということを書いたのですが、今回はそれの少し続きのお話です。

「どうしてスピリチュアルを否定されるのですか?」

ある時こうお客さんに質問されたことがあります。否定はしていないのですが、肯定もしていないのは事実です。たぶんスピリチュアルの話をする時に無意識に僕の語気が強くなっているのでそう感じられるのだと思います。僕の中ではスピリチュアルと同様に、今の宗教も否定はしないですが肯定もしないものになっています。

この話もオカルトチックになるのですが、人はスピリチュアルや宗教に深くはまるとまとっている空気感が変わります。どのような空気感かというと、自分はみんなが知らないことを知ることができた「選ばれた人」だという空気が出るのです。その空気が出ていることは本人さんにはわかりません。

それが厄介なのです。

選ばれた人の空気感は人によっては「見下されている」と感じる空気なので、普段から努力をしていない人にとってはその空気だけで攻められているような感じを受けるので、スピリチュアルや宗教に深くはまった人が周りの人とよくぶつかるのは、この空気で知らぬ間に攻撃をしているからなのだと思ってください。

この「選ばれた人」の空気は、自分が「正しいことをしている」と深く思っている人は必ず出てしまうので気をつけてください。

この空気は、常に「自分は間違っていないか」という問答をし続けることで簡単に消すことができるので、変な空気が出てるかもと思ったときは「自分は大丈夫か?」問いかけるようにしてみてください。

「行き過ぎた考えは、どれだけ良いものでも悪になる」

神さんがほどほどを勧められるのは、この法則があるからです。世の中の悪いと思われるものは、ちゃんと使えば「いいもの」がほとんどです。それを忘れないようにしましょう。

この話とは少し毛色が違うのですが、ホラーやオカルトにはまってしまった人も変な人に寄ってこられやすい空気を出してしまうことになるので気をつけてください。フェイクとはいえこれらの映像から出ている空気はいいものではないので、いつの間にか現実とフェイクの境目をなくしてしまった人が何か変な空気をまとっているのだと思います。そういう意味でこちらも浮世離れをした空気なのだと思います。

スピリチュアルや宗教、ホラーやオカルトなどはどれも普段の生活にはない刺激的なものなのかもしれないですが、刺激に慣れてしまうともっと強い刺激を人は求めてしまいます。そうしているうちに知らぬ間に浮世離れを起こしていることがあるので、常に自分の足元を見て周りとできる限り歩調を合わせながら「自分なり」の生活方法を見つけてみてください。

何事も「ほどほど」が一番良いと思います。

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