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神さんとのお仕事㉞ 「-2」

「悪いことをした弊害は、悪いことをした時のしんどさではなく、した後から悪事がばれるまでずっと続く気分の晴れなさだ」

これは悪いことをしても平気で生きていられる人を神さんはなぜ見逃しているのか、という問いに対する神さんの答えです。

悪いことをした人はそれがばれないように常に取り繕って生きないといけません。取り繕うためには必要以上に人の目を気にしないといけないですし、周りの人が自分をどう見ているかで疑心暗鬼になり誰も信じられなくなるので、安心して生きられる場所がほとんどなくなってしまいます。それが神さんが言われる「気分の晴れなさ」なのです。

神さんにとって善行が「+1」だとすると、悪行は「ー2」になります。

ほとんどの人が悪行は「ー1」だと思っておられると思いますが、わかっていて悪いことをやることに対する「ー1」と誰かに迷惑をかけていることの「-1」で「ー2」になるのです。この部分で重要なのは自分の悪行の「-1」は自分の善行で相殺できますが、他の人にかけた迷惑の「ー1」その人の許しがない限り消えないということです。余りあるほどの善行を積んだとしても、その部分は切り分けられるので消えないと思ってください。

だから人に迷惑をかけてはいけないのです。

この消えないマイナスは必ず雰囲気としてその人の周りに漂うので、悪行を行っている人は必要以上に善人のフリをしようとします。そのフリを見てまわりの人は普通に暮らせていいなと思うのかもしれないですが、自分の心の内がばれていないか不安に常に苛まれているので普通では暮らせていないのが現状だと思ってください。何かしらの迷惑をかけた人がテレビでコメンテーターをしていますが、ほとんどの人が取り繕った変なテンションと変な語り口で普通に話せていないのは自分の過去を取り繕っているからだと思ってください。

悪いことをする人は善人のフリをする以外に必要以上に自分を華美に見せようとします。華美も善行同様に自分をごまかすために使っているのだと思いますが、悪行を重ねるほどにその傾向が強くなり止められなくなっていくように思います。自分を成功者だと見せることで周りをねじ伏せようとしているのでしょうが、必ず目には不安が走るので挙動ですぐばれます。悪行を続ける人は態度同様に目にも落ち着きがなくなるからです。どれだけ態度や雰囲気を隠しても瞬間の目の動きまでは隠せないので、怪しいなと思う時はその人の目の動きに注目してください。ちゃんとしている人にはない目の動きが悪い人には必ずあります。

だんだん本題とはそれていますがついでにもう一つ。何かを取り繕っている人は必ず声が大きくなります。野生の防御本能で自分を大きく見せて威嚇するためです。やましいことがない人は隠すものが無いので常に淡々と話します。何も怒るほどのことでもない時にすぐに声を荒げる人は自分の中でやましいことがある人だと思ってください。

神さんは自分自身に返ってくる悪行や怠惰は自業自得なので特に気にはされません。誰の迷惑にもならないからです。

誰かの迷惑になっている人には、力を貸されることはないですが罰を与えることはされません。自分で自分を苦しめているだけだからです。

誰かにばれることを怯える生活より、できるだけ誰にも迷惑をかけない生活のほうが簡単だと思うのは僕だけでしょうか?

善人や聖人君子と思われるより、普通の人が一番気楽だと思います。

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