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神さんとのお仕事⑱「主義主張の現在地」

「多様性の時代」と言われるようになり、さまざまな主義主張が世の中を飛び交うようになったのですが、最近はその主義主張が脱線してしまっておかしな方に向かっている人が見受けられるように思います。主義主張をすることは悪いことではないと思いますが、その強さが強くなるほどわきまえないといけないことも多くなります。今回はそのあたりを書いていこうと思います。

「〇〇を認めてほしい」

主義主張のほとんどはこれくらいの小さな意見から始まります。ほとんどの人が意見が受け入れられたら満足をして終わるのですが、ごくまれに次々と主義主張をして「自分の環境だけ」を良くしようとされる人がいます。そういう人を見て神さんは

「脱線している」

と言われます。自分の主義主張が認められたから何を言っても自分のいうことは認められると勘違いをし、好き勝手を言っている状態を脱線しているという感じだと思ってください。神さんは最初の主義主張が必要ならば力を貸してくれますが、脱線している主義主張には絶対に力を貸されません。

しかし「自分の声の力」に魅了されてしまった人は、声が届かなくなると大声を張りあげて自分の主張をして「声の力」で屈服させようとします。最初のうちは声の大きさに耳を傾けてくれる人は出てくるでしょうが、度が過ぎてしまうとほとんどの人が声の大きさに聞くことが疲れて去ってしまうどころか、大きな声は騒音だと認識して声の主を敵視しはじめるのです。

主義主張で失敗する人のほとんどがこのパターンで、最初は味方だった人がどんどん敵になっていくのです。失敗するほとんどの人が「最初の主義主張」の位置がズレていることや、「利他の主義主張」が「利己の主義主張」になっていることに気づいていないのです。

「主義主張をする時は自分の現在地に気をつけなさい」

神さんがお客さんによく言われる言葉です。人の現在地は知らないうちに「利他」から「利己」にズレていくので細心の注意を払って確かめ続けないといけません。普通に生活していてもズレるので、主義主張をしている時はなおさらズレやすいと思ってください。それを怠ると人は必ず間違いを起こします。

何度も書いていますが、あれもこれもと際限なく欲しがるのは「餓鬼・畜生」の所業です。人は欲に囚われ主義主張ばかりをして感謝や還元を忘れると簡単に「餓鬼・畜生」に落ちます。「餓鬼・畜生」に落ちた人は「目つき」が「きつくなる」か「澱む」感じの普通の人の目ではなくなるのですぐにわかります。

そうならないためにも何かを主張する時には「自分の立ち位置」を見て、「自分がその主張に足る」ことをしているかを確かめ、足りなければその差を埋める努力をする。主張をしはじめたら常に「自分の現在地」を確かめ、主張が受け入れられたら感謝をしすぐに普通の生活に戻る。受け入れられなければ再度「その主張に足る」人になる努力をする。そうしていれば常に「人」でいられるように思います。

自分の主義主張で自分の首を絞めて苦しんでは本末転倒だと神さんは思っておられます。

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