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神さんとのお仕事73「白い服」

「大事にされ過ぎると弱る」

神さんはよく「心を強くしたい」と思っておられる方にこう言われます。人の心と体は負荷がかかると自分を守るために強く成長するようになっているのに現代では負荷から人を遠ざけることが良しとされ過ぎたため、自分に対する攻撃に過剰に敏感な「攻撃的な自己保身をする人」が増えてしまったように感じます。その結果として、何事にも「過剰に」気をつかわないといけなくなったため、自分たちで自分たちの首を絞めるようになってしまって「生きづらい」と感じている人が増えました。

では、どうすればその「生きづらさ」から解放されるのでしょうか?
答えはとても簡単で

「自己保身のレベルを落とせばいい」

これだけでいいのです。過剰に守り過ぎているから弱っていくのならば、ある程度の負荷を受け入れて心と体を鍛えれば守る範囲は減っていくので自ずと精神的な負担は減っていきます。車や電車で移動していた箇所をたまには自転車や徒歩にしてみるのもいいと思います。人づきあいや会社とで接し方や考え方を少し変えてみるのもいいと思います。避けていた不得意な分野に挑戦するのもいいと思います。少し自己保身をせずに「これが普通」と接してみる考えを持ってみればストレスの範囲は格段に減りますし、前より少し打たれ強い心ができ「生きづらさ」が減ると思います。

「白い服のままでいようとするから遠回りばかりをしているんだ。白い服を汚せば道を選ばず歩けるようになる」

神さんはいつもこう言われます。「白い服」とは「自分自身」のことだと思ってください。偏見かもしれませんが、スピリチュアルや信仰心の厚い人ほど「白い服」大事にしすぎて心を弱めているように思います。さらにいうと、心が弱い人は人付き合いや社会生活の「必要な面倒や我慢」をせず、あまり実生活では意味を持たない「不必要な面倒や我慢」ばかりをして自己満足に浸っているので心が弱ってしまっているのです。

実生活がうまくいっている人は、ある程度の「譲歩」とある程度の「受け入れ」をうまく使っていて

「生活に必要だからこの仕事をするだけ」
「必要な集まりだから出席するだけ」
「自分がやりたいからやるだけ」

この程度の軽い感じで行動に「大きな意味」を持たせずすべての責任の主体を「自分」にしているので行動も決断も軽く早いのです。白い服を汚すことにも汚されることにも「自己責任」にできているから何をするのも軽く動けるのです。

一度汚れてしまえばある程度の汚れは気にならなくなり、自分の前にあるぬかるみや水たまりを避けずに歩けるので無駄な遠回りをするストレスもなくすことができます。もっと言えば、自分のことを汚してくる人を敵視する人数が格段に減るので人付き合いも軽くなります。

誰もが聖人君子では生きれないので、まずはある程度汚れることを恐れず「どうにかなる」という気持ちで何事にも挑んでみてください。きっと何かが変わると思いますよ。

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