オーバードーズ(OD)について⑤〜OD加速〜
成れ果てちゃんです。
前回は1人暮らし事件について書きました。
今回はさらにODが加速していった流れについて書きます。
まずODが加速したのは病み垢の彼の要因が大きいです。
また病み垢のおそろしさについては書こうと思いますが、ひとまず置いておきます。
まず、この言葉を使うのはあまり好きではないのですが、彼も私もいわゆる「メンヘラ」でした。
依存性気質があり、依存するとその対象にべったりになります。
私は彼にべったりになっていました。
彼もまた私にべったりではありましたが、彼はよく私が通話出来ない時にほかの女の子と話したりする人でした。(私と話せず寂しいからと彼は言いました)
彼がいつもの時間に連絡をくれない、ほかの女の子と連絡をとっている……そんなことで私は「病み」ました。
そして病むたびに薬を酒で流し込むことがしばしば増えました。
私は彼に依存していたので、彼がほかの女の子と連絡をとったりが許せなかったのです。
もちろん病んでいないときも彼と通話するときはブロンを飲んでいました。
もはやこの頃になってくるとブロンの多幸感は薄れ、アッパー(あがる、ハイになる)効果だけを得ていたようにも思います。
ブロンはカフェインが含まれていて、夜も眠れなくなっていき、半徹夜なども増えていきました。
でも、寝られないのは、夜行性気味だった彼と話すのにはちょうど良かったんです。
もはやこの時期は何のためブロンを飲んでいるのかわからなくなりつつありました。
それでもハイになるのが楽しかったんだと思います。
そんなこんなで彼と通話するときブロンを飲み、病んだらブロンを酒で流し込み……といった生活をしていました。
ブロンを飲むと、元気が出ました。
病んでいる気持ちも一時的に吹き飛び、幸せと元気の前借りが出来たのです。
病んでるときは寂しさを埋めるため病み垢界隈のスペースに参加したりしていたのを覚えています。(彼が他の子と連絡取るのは嫌がるくせにね。)
これは記憶の1つですが、1度スペースに入りながらブロンを60〜70ほど酒で流し混んで、トイレでゲロを吐いてそのままユニットバスにもたれて4時間ほど気絶していたことがありました。
今思うとぞっとします。吐いたあと記憶がなくて、風呂場で気を失い、目が覚めたとき「えっ……?」となったのは今でも鮮明に覚えています。
スペースのみんなからもいきなり応答がなくなってびっくりした、と言われました。
まあそんなこんなで、病んでいるときはとことん病むんですね。
そして、彼は私を狂わせる天才でした。
どんな危険な目にあっても、私の依存気質と薬での思考回路のめちゃくちゃさからか、私は彼と薬なしでは生きて行けなくなっていました。
この頃さらに病んでいるときはメジコンも飲むことがありました。
でも、なんと私にODを教えた1人である彼、その頃にはODをやめてしまっていたんです。
私にもODをやめろと言ってきましたが、もう私には無理でした。
病んではメジコンやブロンを酒とOD。
病んでなくてもブロンをOD。
もう薬漬けでした。
しかしそんな彼との関係性が少し変わってきます。
それで私は違う意味で薬をブーストさせることになるのですが……
次回は少し、彼のことを、彼との関係性への推移を書きたいと思います。
ODのことだけ読みたい人は飛ばしてもらっても結構です。