Typhoon
☆-HIRO-☆ page.51
2024年8月11日 (日)
夏の後半に毎年やって来る台風。数えてはいないが、これまで幾度の台風と遭遇しただろうか。
子供の頃から台風の最中は大抵家で過ごしており、風雨の激しい時に外を出歩く事は殆どなかった。
とは言え、ピーク時でなくても通学、通勤時間などに暴風雨の洗礼を受ける事もあるだろう。
よく見るニュース画像では必死に傘を差し歩く人が流れるが…案の定傘が煽られて壊れたり、中には突風に足を取られて転倒したり…ちょっと考えれば分かりそうなのにと思ってしまう。大体、横殴りの雨に傘は無意味であるし、歩くには邪魔なだけ…そのような時、外を歩くには上下雨合羽に長靴の装備が必要と思うのだがなあ。
雨合羽と聞くと蒸れてベタベタになるとお思いの方もおられると思うが、最近は透湿性の素材も開発され、少し高いものを購入すれば中々快適に着ることができる。
自転車で通院する自分には透湿性のレインジャケットは必需品と言える。蛇足ながらよく傘を差して自転車を漕ぐ人を見かけるが、厳密に言ってあれは道交法違反。片手運転であり…もし風に煽られたら転倒の危険も…
ところで、古語では台風を「野分」と言っていた。野の草が風に吹かれ、分け目がつくほど強い風が吹く様からこう呼んだとか。なんとも物の見方と言うか…風流ですねえ。
春分から数えて、二百十日つまり新暦の9月1日前後に起こる嵐を「野分」と呼んだという事だ。
因みに古来、日本家屋は重い屋根瓦で家をしっかり押さえ込んでいる。これは台風で屋根が飛ばされないようにとの考えだそうだ。一方、地震には弱く倒壊の危険もあるのだが、それほどの大きな地震は台風ほど頻繁には起きないという考えなのだろうか。
さて話しが少し横道に行ったが…
台風などの暴風時、止む無く外を出歩く時はそれなりの装備を整えねばならないが、自動車の運転はどうなのだろうか。やはり高速走行は危険であろうが、ゆっくり慎重に、何が起きてもすぐ対応できるスピードで行けば大丈夫だろう…と以前は思っていた。
“台風を舐めてはいかん”と思い知らされた出来事がある。
その時大きな台風が来ているのは知っていたが、最接近するのは翌朝、明け方との事だった。
九州に来てまだ日が浅かった自分は夜のうちに移動すれば大丈夫だろうと簡単に考えていた。夕方に北九州の顧客訪問を終え、その足で大分に向った。まだ下道しかない時だったし、時間かけてゆっくり行けば何とかなるだろうと簡単に考えていた。
大分県に入り中津を越えた辺りから車の流れが遅くなりだした。
途中川を越える橋に差し掛かった時、大きな運送会社のトラックが2台ほど傾いて、かろうじて欄干にもたれ掛かって止まっていた。
こんな光景を見るのは初めてだった。風は強かったがそこまで酷くは感じてなかったのだが…おそらくトラックが橋を渡ってる最中に急に突風に見舞われたのだろう。
そこを過ぎ、少しは流れるかなと思ったが、暫く行くとまたノロノロと流れが悪くなる。
やがてピタリと流れが止まってしまう。そのまま数時間、辺りはすっかり暗くなり、お腹も空いてきた。
この先、宇佐のあたりで“鰻”を食べるつもりでいたが、それどころではない。このままここでいつまで足止めを食うか…これはあまり食べたくはないのだが。遅くとも深夜には大分のホテルに着きたかったが、果たしてどうだろうか。
引き返した方がいいかも知れないとも思った。実際何台かの車はUターンして行った。
しかし、何故かこんな時に意地を張る自分は“ええい、こうなりゃ行けるとこまで行ってやれえ”と断固前進と心に決めていた。
車は全く進まなくなり、風が吹き荒れる。流石にトラックのように横倒しにはされないものの、車が時々下から持ち上げられるように浮き上がるのを感じる。
途中に見た町工場もトタン屋根が見事に吹き飛ばされていた。自分の車にも何か飛んで来て、右のドアミラーに直撃、見事に割れてしまった。
何時間かかっただろうか、少しづつ進み行き着いた所には倒木が道を塞いでいる。これでは戦車でもない限り先に進めない。ここまで来て止むなく撤退を決める。
帰り道は比較的スムーズに進む。大分を抜けて行った台風から遠ざかるためか順調に進めた。
北九州までの道、途中にある信号機は皆ソッポを向いていた。想定外の強風に煽られた為だろう。
時折、突風は吹くものの落ち着いている。道端に枝葉が散乱している事が台風の傷跡を示している。
やっと福岡市内に辿り着き、開いてたラーメン屋さんに駆け込んだのはもう深夜というか明け方近くだった。なんとも無意味な時間を過ごしてしまった。
翌日車を修理に行くと、「あれだけの風にあってドアミラーだけなんてまだラッキーですよ…フロントやリアウインドウやられた車がたくさん入ってますから…」と言われた。そうか、まだラッキーだったのか…
翌月、鳥栖(九州自動車道の真ん中)経由で大分に向かうと、途中 日田のあたりで山の杉がごっそり倒れていた。(まだ大分自動車道も途中までしか開業してなく、途中から下道だった。この時の林業の被害も相当なものだったと後で知る)
関東育ちだった自分が知る台風は、ある程度勢力の弱まったものだったのだと思い知らされた。
九州を上陸する台風はかくも凄まじく、決して侮ってはならないと肝に命じた。
とは言っても…沖縄地方の人達が聞けば“まだまだアマい”と言われてしまいそうだが。
後で考えて怖かった話しということで、無理やり「真夏の怪談まつり2024 」に付け加えさせていただきます。
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