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キュウゴー感想録1


95の配信が終わりましたのでTwitter(X)にてふせったーで投稿した感想とタグで感想、考察したものを少しをこちらに移して少し手直しました。
原作比較のためにドラマの進行合わせて読み進めています。

脳直垂れ流し故に読みやすさなどと言うものは全く持ってないです。自分で読み直す記録的な意味合いが強いです。





1話
まず萌香が記者でなく高校生。現代の秋久の仕事がカラオケ関係。
ドラマだとカツアゲのシーンとかロフトのシーンとかかなり違う。女の子たちはこの時点ではいなくて男子のみでチーム勧誘のやり取りがある。
原作の秋久は口に出したりとかしないけれど結構顔に出てるし充分この時点で十分尖ってる気はする。自分の親に対する見方もかなりキツめに見ていると思った。ドラマでは変わる前の性格を陰に寄せた分今後ドラマが進むにつれての変化が伝わりやすくなるのではないだろうか。

2話
かけっこの対決の方法が原作よりもなかなか大変になっていた。チーマーにわざと煽って追いかけられるようにするとは…走るだけの勝負をハードにしている。
チームに入ることも原作では割と初めから乗り気だったように思えるのも違いかもしれない。
カラオケのシーンの長回しは伝説になってもおかしくないのでは…?秋久のコギャルズ2人に絡まれて言い合いしているシーン、その前の仕方コップのこぼし方とか最高に良かった。自然すぎる。
原作読んだら全くそんなシーンなくて2話はドラマのオリジナルが強いシーンだった。髪を染められたりファッションを変えてもらったりは原作でもあったけど、ドラマだとまだ正式にチームに入る前で見た目と中身が伴っていない感じが強かった。
クラス替えのドン引きシーンも原作ではメケメケで知っていたから、ドラマで実際みんなあることへの驚きは凄かったと思う。
スカウトから雑誌撮影に参加する内容も少し原作と違っていて、原作では仮入部期間でスカウトされるのを待っていてから、ドラマではこれを機に仮入部してからと言う流れ。
原作では一度現代のシーンに移り、恵理子の登場。
萌香について鋭く追求している。

3話
撮影のシーンは原作だとコギャルズもセイラも写真を撮っている。宝来初対面のシーンでは翔のセコムがあったドラマと違って会話は一対一。
翔のお家の豪邸でのプールのシーンは原作だと大分違っていた。セイラがハーフだしプールには入ってない。原作のQちゃんこの時点でセイラに積極的に話しかけてることが1番驚いた。デートに誘っているが、この時点でセイラが翔に気があることがわかる描写がある。その後先に飛び込んだ翔に誘われてプールに飛び込んでいる。
そして例のシーン宝来が家に来るシーン。
95の2話はどんどんしんどくなっていく話の一息つける唯一の回だったかもしれないと全てを見た今改めて思った。
姉と宝来のシーンはほぼ原作通りでよくやったな…役者凄いな…思わされた。
助けられなかったQに非があるのは当然として、けれど音量爆上げして顔埋めるところがなんとも言えない演技であそこでさらに感情を落とされて見てる側としては辛くなった。
音量上げる直前に声が聞こえて、すぐさま爆音にしていたけど、助けたくてもそんなこと出来なくて結局見て見ぬふりするしか出来ない罪悪感故の現実逃避と言う感じかして余計に辛くなった。

4話
視聴者には3話の時点では何故こうなってしまったかを見せず4話冒頭のあらすじと回想で見せる形にしたのは話の展開的に上手かった。その分当日までQの行動へのヘイトはなかなかのものだった。
回想シーンで姉視点になった時、Q側の視点だと家庭崩壊ないらいしことを3話で言ってたが、姉からしたらとっくに家庭は崩壊に近いものだったと思っている。母親の姉と弟の差が大きく、タバコの匂いについてをそんなことするはずないと見て見ぬふりをしている。原作では早めに書かれていたこの部分を回想にするとは思わなかった。
燻ったまま日が経ち、プラネタリウムに誘われた後にQがドヨンに打ち明けて、あの夜の姉に対する思いと自分に対しての感情が書かれている。ドラマでもしっかりプラネタリウムのシーンと共に再現されている。2人のやりとりを映像で見ると一段と感慨深いものになった。
ここまでで思うのはセリフのないところでの演技が上手い、あらすじでもう一度姉と宝来とQのシーンが少し詳細に流れるがラジカセのスイッチをオンにした時の手が震えてたり、ドヨンに打ち明けてるシーンで涙ツーッと流れてたシーンに引き込まれた。
そして原作だと数ページの分しかない古屋のシーンががすごく作り込まれていて見ている人をひりつかせる映像になっている。とてもエグい、やりすぎではと言うレベルで血だらけになっていた。
(将棋の駒を口にのシーンはのちに中川氏の提案と最終回直前インライにて知る)
古屋のシーンでは宝来を殴る直前まで躊躇していたQとそれを見てる4人のあの一瞬の間、空気感がすごく伝わってきた。
今回の4話では翔のシーンは主にケンカのとこだけだが、そこだけで翔のヤバさや凄みというか伝わる。(そんな人が大将とQに言っていることが不思議だった)
チームの危うい感が拭えず、危うさを感じるからこそドラマで宝来リンチ後に会ったセイラの洗脳という言葉は結構痛いとこついていて、Qはその言葉の意図がまだ分からないから怪訝な顔をしたのではないか。宝来の言うとうりで、現時点ではQも視聴者も翔に対して何も分かってない部分が多い。
1話の人が死んでるんですけどと怒っていた時からだいぶQ自身が変わったと思うのは見た目だけじゃなく喋り方や雰囲気からもそう思う部分がある。
毎話細かく変化をつけてきてて凄いと思ったが撮った系列はバラバラらしい。
何故手を出すことに抵抗があったQが宝来を殴ったのか。古屋のシーンの心情はドラマでは詳しく書かれていなかったので未読の方は読んで照らし合わせて欲しい。繋がりがなくなる恐怖や、翔に対する畏怖みたいな意味合いが強いと自分は感じた。5話の予告のシーンで言っていた否定されるのが怖いに通ずる部分。これもセイラの言っていたように洗脳なのかもしれない。
ドラマだと結構翔が仲間の自分の為になんでもしてくれる、凄いんだぞとQが思って口にしている為原作より大分洗脳感強い気がする。1話2話で陰の要素強めで描かれていたのがここで効いきている。ドラマではセイラと鉢合わせてしまって洗脳されたんだねと言われてしまったが、実際原作では1人で顔を埋めるQにセイラが花火に行きたいと告げてメケメケに向かう。洗脳と言う言葉は出てこなかった。
それとは別にラストのシーンで1人になりたかったのは人を傷つけてしまったことに対して思うことがあったのかと。
ドヨンはチームの常識枠もといまとも枠ではあるなと感じた。常識枠がいるのは助かる部分ある。
しかし仲間のためなら同じ痛みも罪も背負う。それでも線引きは分かってるからやりすぎたら止めに入るが実際には止めきれない、ここで肝になるのが翔が求めるQの主役的部分なのかもしれない。王道だからこそドヨンでさえ止められないチームの暴走を止められる可能性のある男であり、それが主役の役割でもあるということなのか。

4話その他
・宝来たちのことをどうやって拉致ったのか、正面から拉致したか闇撃ち同然の方法で拉致したのか。分からない。
・Qと宝来の一騎打ち後、満身創痍の中Qそっちのけでカラオケで歌う4人の切り替えが中々早くクレイジーさを感じた。歌っているのがCHAGE&ASKAのYAH-YAH-YAHなのも秀逸。もう殴ってるんですよとツッコミを入れたくなる。
・4話以降喫煙シーンが増え、健吾の登場シーンがある。原作ではサラッと出てきた。ローラースケート。
・脚本を手がけた喜安さんのこのポストにより、姉と宝来のシーンに関してはおそらくそうであっただろうというQの主観しか描かれておらず、真実は原作ドラマ共に不明なのでは?と言う新たな考えが生まれたので多分手のひらでコロコロされている。


ここまでまとめてめての総括

原作との違いも多いが大拙なシーンはしっかり盛り込んでいると感じた。ここまでで既に濃い内容を40分程度のドラマに上手くまとめている。現代のターンでは登場人物を2人に絞り、話を展開しているのも人数が増えてこんがらることを防いでいると感じた。
回が増すごとに感想が長くなっていく、自分の思っていたよりもすごく攻めている作品だったこと、この時代に放送したこと、錚々たるキャスト陣で撮ったことに感謝。

2に続きます。

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