ボーカロイドという楽曲と存在について

好きになる曲の系統

まだ人生20数年しか生きてはいないが、一番感情が交差して物事を考えたときはどこだろうと考えると僕は間違いなく思春期の頃だったと思う。
その頃に自分が興味のあったもの、好きになったものは大人といわる今になってでも特別な感情を抱くしはっきりと好きといえる。
これは音楽に対してもそうで、変化はあれど、その人が好きになる曲の系統は思春期にどのような曲を聞いていたかで決まると僕は思う。

ボーカロイドという存在は当時登場したばかりで目新しい新参者だった。
新参者というのは例外なく好奇の目を向けられ、変わり者と評される。
正直、僕は思春期の頃の人間関係にいい思い出がない。そんなときの自分の境遇と登場したばかりのボーカロイドという存在を重ねて没入していったんだろうなとふと思った。
僕にとってボーカロイドという存在は一つの逃げ道でもあり支えでもあった。

自分を受け入れて支えてくれる、そういう存在をボーカロイドに、初音ミクに僕は求めていたし、そんな初音ミクを応援したいという感情が次第に強く芽生えて今があるのだろう。

ボーカロイドのいま

いまボーカロイドは世間に広く認知され一つのコンテンツとなるまで発展した。
特に最近は初音ミクのみならず、クリエイターを好きになる傾向が強く、人と機械の共存という時代になりつつあるのだろう。
投稿される楽曲も増え、そのジャンルはさらに幅が広がりファン層も増え続けている。

ボーカロイドは作り手によりそれぞれの形があり、それぞれの好きがある。
近年の傾向は作り手に焦点が集まり、これまでボーカロイドを支えてきたクリエイター側が表舞台になることが多い。
ボーカロイドという存在そのものが好きな人にとって、表舞台に登場するのがクリエイターに変化しつつあることを嘆く人がいるが、決して支え続けてきたクリエイターという存在がいたからこそここまでボーカロイドが大きくなったことを忘れてはいけない。

いまボーカロイドを好きでいる仲間へ

いまボーカロイドという存在を好きなっているみんなへ、
いま抱いている感情はきっと将来でもふと思い出すことがあるし、この好きはきっと特別なものに変化する。
特に自分が好きなものは人それぞれ違っていくが、自分と違う存在を安易に拒絶してはいけない。僕らが好きなボーカロイドという存在はそれを望んではいない。

おわり


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