話してきました、そして昔話あるいはvol2


6/10の事だ。
半年ぶりくらいに母親に会った。
実はまだ前職を辞めたことを話してなくて。
このまま先延ばしにするのも嫌だったから。

久しぶりに見る母親は少し若返って見えた。
若返った?って聞いたら、ジョンググを推し始めたからだそう。
やっぱ推しができると人は変わるのは本当なのかもしれない。

自分から呼び出すのが初めてだったこともあってか、母親は何も言わずにエスパル地下の寿司屋さんに連れていってくれた。
どうやら何かを察していたらしい。

「で、お話って?」

唐突にそれは始まった。

僕は母親の誕生日が近かったからまず誕生日プレゼントを渡した、セラティスのヘアオイル。
でも不思議と母親の表情は変わらない。

あれ、どうしたんだろう…

母親はポツリと、
「え?このために呼び出したんじゃないんでしょ?」と。

自分の息子だからか。
お見通しか。

頼んだお寿司が来る前に僕は前職を辞めたことを話した。
確か結構ストレートに言ったはず。
母親はビックリしていた。
そんな辞めたい素振りも見せてなかったじゃないと。

だから、辞めた理由を全部話した。
何年も前からハラスメントが続いていたこと、
上の人がやりたい放題やっていること、
見た目に関しての暴言のこと、
結局ハラスメントのことを上に言ったとしてもどこかでもみ消されてしまうこと。

話していくうちに、自分の目から雨が降ってきた。
こんなに涙を流したのは祖母が緊急搬送された時以来かもしれない。
きっとうちうちに秘めていて込み上げてくるものがあったんだろう。

どうして辞める時に相談してくれなかったの?

母親は僕に問う。

心配かけたくなかった。
相談したところで止められるのが嫌だった。

こう答えた。
自分の家庭は父親に恵まれなかった。
あまり話して来なかっけど、少し父親の事にも触れようと思う。
話は脱線するかもしれないがいい機会なので。

昔話vol2とでも銘打つ。

父親はある種、ネグレクトだった。
おそらくそれは自分の名前を付けさせてくれなかったことも理由の一つにあるのかもしれない。

僕がこの世に生を受けた時、名前をどちらが付けるかで揉めたらしい。
嘘のような本当の話だが母親+祖母vs父親+父親の親族の論争がおきそうになったとか。
当たり前だが生まれてすぐの記憶は無いので僕にもそれは分からないが母親は頑として譲らなかったそうだ。

そのおかげもあって、僕は母親から悠雅(ゆうが)という素敵な名前というプレゼントを貰うことが出来た。
ちなみに父親側の名前が採用されていたら、仙一という名前になっていたらしい。
母よ、ありがとう。

僕が生まれてから、父親は一度も家事をすることは無かった。
というかしてたのかもしれないけど見たことは無い。
平日は当たり前だが仕事に行き、母親が帰ってきた父親に何も言わずに食事を出す。
身の回りの掃除も買い出しもゴミ出しも母がする。
父親は黙々と煙草をふかして酒を飲む、浴びるように。

そんな光景を幼少期の時から間近で見てきた。

もちろんだが全く遊んでくれなかったわけじゃない。
でもそれも父親自ら率先して動いた訳では無く母親がお願いしたからだった、その時は広い公園にキャッチボールをしに行ったんだっけ、それだけ。
小学校3年生くらいだった気がする。
それくらいから父親と遊ぶことはなくなって、上記の光景を見る毎日だった。

それもあったから、母親は女性への対応に関することには特に厳しかった。
自動車学校ではキープレフトと習うがそれと同じくらいにレディーファーストを忘れるな、女性より上に立つな、女性を立てろ、あれこれ教えてくれた。
母親はバブルを生き抜いた人という事もあるのかもしれないが、自分のような思いを他の人にさせたくなかったんだと思う。

自分が中学生の時だ。
父親がお酒の飲み過ぎで入院することになった。
目の前にいる、訳の分からない管があちこちに繋がれている父親をみて僕は涙した。
何故涙が出てきているのか自分にも分からなかったけど。
きっとまだ心のどこかでこの人が自分の父親という情があったのかもしれない。

でもそんな情も潰えるのは時間の問題だった。

自分が高校生の時だ。
夏休みということもあって、髪を染めた。
高校生の男の子ならあるあるかもしれないね、というか誰しもやるよね。

茶髪の自分を見て、父親は母親にこう言った。

「なんだあれは!お前の育て方が間違ってるんじゃないのか!」

この時にはもう、家庭内別居が顕著に我が家には現れていたので自分は部屋でその怒号を聞いていた。

それを聞いて自分の中の僅かな情も消え去った。
お前に育てられた覚えは無い、と。
お酒の飲み過ぎで入院して管だらけになったくせに、またイキって飲んでるんじゃねぇと。

自分じゃなくて、母親にそんなことを言うのが心底許せなくなっていた。

大学2年生の時、事件は起きた。

父親が職場の社員旅行でお酒を飲みすぎて、バスから降りる時に転落して軽い怪我をした。

命に別状は無かったが、そのまま帰らされて帰宅してきた。
悪びれる様子もなくそのままふて寝してた。
もう自分は父親を父親としてはおろか、人としても見れなくなった。

結果、反省する訳でも無く仕事にも行かなくなり酒に溺れる毎日になった。

母親には申し訳ないけどもう帰りたくもなかった。
帰れば酒と、吐瀉物の匂いしかしない家。
そしてなにか小さなことがあれば直ぐに飛んでくる怒号。

気づけば自分の表情はわからないものになっていた。

大学は実験が始まって、朝早くから遅くに帰ることが多かったからありがたかった。
友達もいなかったから頼れる人も他にいないし。

結果あそこに帰るしかなかった。
御手洗と風呂と寝るためだけのあの家に。
家というより小屋かもしれない。

そんな時だ。
家に帰ると鼻馴染みのない香りが家を漂っていた。
血の匂いだった。
父親が吐血して寝床にいた。

僕は大学から帰って、その光景を目にした。
若干、ぐったりしてる気がする。

自分はそれを見て、自分の部屋に戻った。
救急車は呼ばなかった。
このままこいつが死ねば自分も母親ももう嫌な思いもしないし苦労もしない。
そう思ったから。

それから数時間後、母親が帰ってきた。
同じ光景を目の当たりにして、パニック寸前になっていた。
母親には情があったらしい。

…救急車を呼んだ。

数十分後だったか、救急隊の方々が家に来た。
泣きながら状況を説明する母親、無表情でゲームをしている息子、吐血して倒れてる父親。

きっと救急隊の皆様には不思議な光景だっただろう。
父親は搬送拒否をしていたが救急隊の方から一喝され、運ばれて行った。

当たり前だが父親は再び緊急入院、そのままアルコール依存症を治すために専用の施設に入ることになった。

そのまま両家が集まり詳しい内容は割愛するが離婚が確定した。
なぜこのタイミングだったかというと、依存性等で国から障害者認定されてしまうと離婚ができないからだ。
もしかしたら今は変わったかもしれないが。

ある日父親が一時的に帰宅した。

家族3人がしばらくぶりに同じ空間にいる。
そして家族会議が開かれた。

いつも怒号を浴びせてくる父親が僕を見て細々とこう言った。

「オレら離婚することになったから。
母さんとオレ、どっちについて行くか決めて。」

自分の中で、何かが切れる音がした。

人生を通算しても、人に対してあれだけの罵詈雑言を浴びせたのは初めてだったかもしれない。

どっちに?ふざけてんの?
お前について行くわけねぇだろ
誰のせいでこうなってんの?お前のせいだろ
作っただけで父親になれてると思うなよ
お前オレのちちおやじゃねぇから調子乗んな
どうせまた酒飲むんでしょ、ほら、飲めよ
もう家置いてあのド田舎にいる馬鹿どものとこに帰れよ
オレにも同じこと言ってたからオレも言っていい?
これからどうすんの????ねぇ?サラブレッドなんでしょ?アル中の、お坊ちゃん?
あ、アル中だから考えられないか〜wwww
どうせ明日になったらまた飲むんでしょ?

他にももっと言ってた気がする。
ここには載せられないような事も沢山。
1時間くらい罵声を浴びせ続けた。

父親は涙目でそれを聞いてた。

当たり前だが大学に通うことが学費の関係で難しくなり退学。

母親について行くことを決意して当時やってたバイトの時間を増やしてもらっていきなり就活中のフリーターとなった。

その後無事2人で住む物件も決まってやっとちゃんとした家族の時間を過ごせた。
引っ越した日は母親とたくさんお話した。
今まで大変だったね、って。

元々母子家庭みたいなところはあったが、本当の意味でそうなって自分たちの生活が始まった。

その後のお話はまた機会があればしようと思う。

そんな母親の事を絶対に心配させたくなかった。 
今の職場のことも、現状も全部話した。

僕は怒られると思った。

でも違った。

小学生の時、
学習塾に行きたくなくて泣きながら行きたくないと言っても無理やり連れて行った母親が、

中学生の時、
部活を辞めたいと言っても引退まで続けろと言って辞めさせてくれなかった母親が、

高校生の時、
天気が悪い日以外も電車とバスで学校に行かせてくれと言ってもそうさせてくれなかった母親が、

「人生色々あるからね。
ほかの家に比べると厳しかったと思うけど悠雅がグレずに育ってくれた事が嬉しいし、社長になれ、役員になれとは言わないから悠雅が人様に迷惑をかけずに真っ当に、人並に生きてくれたらそれが一番の親孝行だから。
…大変だったね。長い間頑張ったね、お疲れ様。」

そう、言ってくれた。母親も泣いていた。
きっと泣きながら寿司を食べたのはあれが初めてだったかもしれないが…ハンカチを絞れるくらい泣いた。

本当に自分はアイドルオタクの皆様や、
推しのきこちゃんとゆうかちゃん、
仲良くしてくれるアイドルの方々と、
人に恵まれすぎている。

この場をお借りしてにはなりますが、本当にいつもありがとうございます。
これからも精進していきます。

帰り道に母親と別れて、電車の中でまた泣きそうだったから夜空を見ながら歩いて帰った。

とさ。

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