BFC3落選作品

 「ダイエット」

 チョコレートが口のなかでとけていく感触を味わっていると日が暮れる。ぼくは最近チョコレートが手放せなくなっていた。
朝食に、チョコレートスプレッドを塗りたくったトーストに板チョコを挟んで作ったサンドイッチを腹に入れ家を出る。昼食は上司に付き合わなければならないのでオフィスに帰って板チョコを三枚いただく。仕事をしながらGABAもつまむ。大容量のボトルタイプを日に二つ。帰り道にコンビニで買ったジャイアントコーンのクッキー&チョコをかじり帰宅してから夕餉にチョコレートケーキをワンホール掻っ込む。お風呂から上がると腹ごなしに板チョコを二枚ほおばりチョコレートドリンクで流し込む。ここらでさっぱりするためにエッセルスーパーカップのチョコミントをたいらげ一日労働をしたご褒美にチョコレートの宝石、ゴディバを口にする。
 チョコレートは素晴らしい。一種の麻薬だというのもうなずける。この世のなかで最も必要なものだ。ぼくはそう思う。ぼくがぼくであるということはチョコレートのおかげである気がしているし、実際そうだ。チョコレートを毎日口にしているせいか歯が茶色くなってきている気がしたけど、仕事の用でどうしてもチョコレートを一時間ほど食べられないとき、歯からチョコレートの味がしみだしてくるので助かっている。ぼくが日々食べ続けるチョコレートによって自分が構成されていくようでうれしかった。ぼくは幸福なのだと思った。
 生活者としてのぼくから考えても、チョコレートは安価だし、とびきりおいしいのだから文句のあるはずもなかった。チョコレートと共に生きていくことがぼくのすべてだから、それがぼくにとって生活を害するはずもなく、こんなことを考えたぼくを自分で叱った。ぼくはもちろんすぐチョコレートと自分に謝った。ぼくが全面的に間違った考えを一瞬でも抱いたのだから、当たり前のことだ。ぼくはこのときはじめて自分の存在を知った気がする。
 チョコレートを食べ続けたことによって、不都合が生じはじめていると感じたのも事実だった。ワイシャツは第二ボタンが留められなくなり、腹がせり出してスラックスのジッパーがあがらない、太もも同士がこすれ、目がちかちかとする。端的に言ってぼくは太ったのだった。太ることは特段嫌ではなかったし、チョコレートで大きくなっていく自分という存在を頼もしくも思っていた。それよりも問題なのはいま持っている服が着られなくなることだった。新しい服の購入はその分だけチョコレート貯金を切り崩すことになる。口座にはまだ四百万近くあったから当分の間は逼迫されることはないけれど、それでもチョコレートのために割く総額が減ることは業腹以外のなにものでもない。ぼくは自分に叱られた。詰めの甘さに忸怩たる思いだ。
ときおり、ぼくはチョコレートとの蜜月に明らかな不足を感じはじめていた。チョコレートを要求しているのは自分で、ぼくとチョコレートの睦言はもっと時間をとるべきなのだと自分が要請していたからなのだけれど、それでぼくは仕事をやめた。
 チョコレートは定期便で送ってもらっていたから不足することはなかった。それをなによりも喜んだのは自分だったし、チョコレートもだったのかもしれないけれど、ぼくにはそれが、ぼくが求めているのかわからなくなっている瞬間が訪れるようになった。ぼくは自分が求めているのはチョコレートなのか、チョコレートを求めているぼくなのかわからなくなっていた。ただ間違いないのはチョコレートが毎日送られてくることで、そうすればぼくはチョコレートを摂取し続けるだけだった。
 ぼくは玄関から動かなくなった、それは自分に要求された結果なのかもしれない。ぼくはだんだんぼくを占める自分の身体が大きくなっていくのを実感していた、ぼくは反対に小さくなっているような気がした。ぼくはそれは止められるはずがなかったし、自分もそれを求めているようだったから、危懼もなくそのままにしておいた。とにかくぼくはチョコレートを口のなかで溶かした。
 チョコレートがだんだん視認できなくなってきて難儀したけれど、自分が身体を動かせば口のなかにはチョコレートの味が広がった。身体を動かさなくてもチョコレートの味は口のなかに常に存在するようになって、すこし楽になったような気もした。それを自分は感じているようだった、ぼくはそれをどこからか見ているような気がしたけど、ぼくはそれを自分に教わったから知ったことを、自分に教えてもらった。自分がいらいらしているのがわかった、これまでもずっとそうだったのだろう。叱られて、叱られて、ぼくはそれでもだめだったようだ。
 ぼくはふかくねむった。
 水中で聞こえる泡ののぼる音のようなものがずっと聞こえていて、ぼくは自分が水を飲んでいるのを感じた。自分がどんどん膨張していくのを見た。外側に拡大していく自分がチョコレートを口にしていて、チョコレートもそれを喜んでいるようだった。ぼくはその気持ちを自分が知り、それを自分に教えてもらうことでしか知ることができなくなった。それでいいのだと思った。
 身体はますます広がっていき、自分の身体を巻き込みはじめたそうだ。自分がチョコレートを口にするたびに外側に広がった身体がめくれあがり翻って内側へと食い込んでいく、凝縮されていくなかで、引き絞られて茶色い液体がたくさん出ていったらしい。それを自分は快いと感じたみたいだった。
 チョコレートをもう食べる必要はないと自分は思った。
 自分は、ぼくのダイエットに成功した。

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