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処女を喪いたくないはずなのに、誰かに抱かれたい【弐】


前編はこちら


初めての恋人と別れてから、6年が経つ。その間、わたしは誰とも付き合っていない。

彼の部屋で、そこにあるはずのない避妊具を見つけたあの日から、誰のことも好きになれていない。

恋愛をしようと考えるたびに、男性と食事に出かけるたび、友人が手を差し伸べるように誘ってくれた出会いの場に足を向けようとするたびに、「恋愛するなら、処女をあげなくてはならない」という不安に支配されて、苦しくて、重苦しくて、動きたくなくなった。

わたしはその度に嘘をついて、約束から逃げ出した。嘘をついた罪悪感を、「またひとつ純潔を極めた」という汚らしい優越感にも似た感情でごまかして、今日も涼しい顔で生きている。

愛の不良債権

彼はわたしと別れた後、すぐに別の女性と付き合った。

わたしより太ももや腰が細くて、髪が柔らかくて繊細そうで、パンプスのつま先に傷がなくて、いつもリップをきちんと引いている、綺麗な女の人だった。

二十歳を過ぎても童貞だと彼を馬鹿にしていた共通の友人が、ある日わたしに囁いた。「アイツは新しい彼女ができてから、思う存分ヤリまくっているんだよ」と。

そんな言葉、耳に入れたくもなかった。ヤリまくるなんて、本当はこうやって文字にするのも嫌なくらいなのに。そして何より、そんなことを耳打ちしてくる友人の好奇とからかいに満ちたまなざしが、不快でたまらなかった。

友人の気持ちの悪い囁き。
彼の部屋で見た使いかけの避妊具の箱。
自分よりもずっと女らしい新しい彼女。
その瞬間の映像が、音声が、大人になった今でも夢の中で何度も再生される。

それでもわたしは、誰かを愛したいし、愛されたい。甘いキスや優しい抱擁をまた誰かとしたい。毎日そう思っている。

しかし恋愛には代金が必要なのだ。それはきっと、たぶん、絶対に、性行為なのだ。

代金を支払わないまま恋愛を続ければ、それは不良債権になる。そうしていつしか不良債権が溜まれば、ぱりんと破産してしまうのだ。かつてのわたしのように。

新品でなくなること、そしていつか後悔することが怖い

私は彼への支払いを、性行為を拒んだ。

幼少期に性的なトラウマがあるとか、身体機能に不具合があるとか、そういうわけではなかった。どちらかといえば、好きな人に抱かれることに夢を見てきたタイプのはずだった。

わたしは彼と唇を重ねながら、押し倒されながら、いつもこんなことを考えていた。

・もし、彼に処女をあげて、別れてしまったらどうしよう。
・その後もしわたしを愛してくれる人が現れたとしても、処女ではないことがわかったら嫌われてしまうのではないか?
・その人に、処女でないことが理由で嫌われまではしなくても、心の中で残念だとか、失敗しただとか、そんなふうに思われていたら?
・わたしは愛する彼に処女をあげた過去を、毎日恨みながら、自分の愛を「過ち」と責めながら生きてしまう気がする。そんなの耐えられない。

男の人と初めてベッドに沈むとき、わたしと同じようなことを考えた処女はたくさんいるのだろう。それでも、彼女たちは財布を開いて、代金を支払う。わたしは支払いができるはずのその財布を、開かなかった。

誰にも越えられない自己愛

誰かに愛されたい。でも代金は払いたくない。そんな自家撞着を繰り返すうちに、いつのまにか処女であるということが、アイデンティティに融合してしまったのだ。

誰にも愛されなかったから処女なのではなく、愛されたうえで、それでも純潔でいることを選んだ。わたしは高潔なんだ。わたしは、心も身体も「本当の意味で」美しいのだと、そう思うことで、恋愛から逃げ続けた。

処女が、お盆からこぼれた水のように、過去から未来に向かって流れる時間のように、絶対不可逆なものでなければ、こんな思いをせずにすんだのに。

そんな馬鹿なことを考えてしまう自分すら、もうどうしようもなく愛おしい。いったい誰なら、この深く暗い自己愛を超えて、わたしのところへ来られるというのだろうか。

(つづく)

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