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2024/9/9 もうやりきるしかないさ

・泥のように眠るという表現、あまりにも泥のことを舐めている。泥だって、一致団結すれば強力な弾丸になる。泥を侮ることなかれ。





・行ってきました。武道館ライブに。




・開場時間が17時の中、その一時間前に九段下駅に到着したため、衣装展示を見る他に散策することが叶わなかった。皇居の位置とか知りたかったな。また今度、散歩として九段下に訪れることにする。


・ライブ内容は、語ったとて他人が真に関心を持ってくれると思っていないため、多く話すつもりはない。

・ただ、ライブに興味がない人にでも話せることは、演奏中に舞台の下からマグロとともに半裸般若が仁王立ちで現れ、解体ショーを目の前で繰り広げたことだろう。50kgある、二日前に採れたマグロらしい。ライブ後に生放送で4人が刺身にしていた。残りはゲストに配ったらしい。



・創作の動機は人の数あるが、私の中では創作による「恩返し」の側面がかなり強まったライブだったといえる。


・なんのために創作をしているのか?これは創作者なら幾度と足止めを喰らう悩みだろう。別に何故だなんて決定付けする必要なんてないし、私は畢竟「やりたいからやった」という無責任から惹起された創作こそが健全だと考えている。「面白そう」だの「恩返し」だの「見返すため」だの、様々な「やりたい」の要因が相乗していないのなら、それは不健全な創作だろう。

・不健全な創作とは、例えば惰性で手を動かすことか。しかし、能動的な惰性から発展して「やりたい」に繋げることが可能なため、必ずしも惰性が悪いわけではない。

・だが、授業中のノートの落書きから発生した私の創作意欲は、惰性が根源のように思われる。発展性もなく、意欲もまずまずで描いていた。その中でも時たまあった「やりたい」によって描かれた絵は、自分からも存外華やかに見えたが、そういった意欲に導かれる機会は多くなかった。

・現在の私には「やりたい」がいくつかあるため、そこに素直に向き合えば少なくとも向上していけると踏んでいる。そのいくつかの「やりたい」の中で「恩返し」を目覚めさせてもらったのが、今回のライブということになるだろう。これからは向上心と恩返しをマッシュアップしていこうと思います。






・もうひとつ、創作の話をしたい。


・上記の『作る』を『絵を描く』に置き換えて話したい。私は、絵を描くことへの優先順位が別に高くなかった。

・しかし、画力の向上からか、ゲームをする時、アニメを見る時、現実で面白いことがあった時如何なる時も「絵に起こそう」と実行する機会が増えた。今までは意欲だけだったが、そこに行動が伴い易くなったのだ。

・毎日クロッキーをすることによって絵を描くことの抵抗感がなくなっているためかもしれないが、以前よりも優先順位が上がったという点では間違いではない。

・「やりたい」と「やる」はかけ離れている。実行に移すだけで価値観が変わっていくのだから。惰性から「やりたい」を見付けることは、云わばエンジンをかけることであり、私にとってそれはクロッキーになるのだろう。い〜い感じにお絵描き思考に捻じ曲げられたと思っています。




・なんかまとまりのない話群ですまんね!起承転結が上手く決まらない昨今でありますが、クロッキーを載せていきたい所存であります!



・蜂鳥あみ太さん、今回はサンボマスターみたいでした。あみ太さんは横浜出身らしい。赤レンガ倉庫の前でアコーディオンのメロディと共に踊っていても違和感ないかも。


・今回は後半の座りポーズがかなり難しかった。着席しているとは、つまり脚の長さが異なるということ。画面の中で圧縮された脚は、胴体との比率から外れ、複雑な構造になる。しかし、座りポーズを覚えることができれば、着実に発送の幅が拡がる。気後れせずに挑んでいきたい。

・手に関しては、時間以内に手の甲、第三関節、親指に分けることが難しい。重要なのは立体感なので、親指を抜きにして捉えてみるのもアリかもしれない。



・ささ、本日は以上となりましょう。皆様も道中お気を付けて!

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