最後のお別れができないということ

これは自分のために書く言葉。
自分の気持ちを救うために書く文章。

あと五分で叔母の告別式が始まる。
香川県高松市で。
そして僕は東京でこの文章を書いている。

僕は昨日の通夜にも行けなかったし、
ほどなく始まる告別式にも参列できない。

叔母の急死を知ったのは弟からの深夜三時の電話だ。親族からの深夜の電話は悪い知らせに決まっている。

少し息を整えて出た。

でもまさか叔母の死の報せだとは思わなかった。不意を突かれて呼吸が苦しくなり、暗闇の中で深呼吸する。

かなり前に癌は完治したはずで、お正月に帰郷した時も元気に迎えてくれた叔母。
紅茶のパウンドケーキづくりが得意で、行くと必ず出してくれていた。
そういえば今年のお正月はなかった。

数日前に「お米送って」とメールした時も(叔母の家は農家でいつも美味しいお米を送ってくれていた)「二、三日したら送るね!」という返事が来ていたのに。

結局そんなのんきなメールが最後のやりとりになってしまった。

弟によると、しばらく前に癌が再発。新薬を試したり、再入院を繰り返したりという状態だったらしい。そして最近は自宅療養に切り替えていた。

本人の希望で伏せていたのだ。いつも明るい存在でいつづけた叔母らしい。以前癌にかかった時も完治してからそのことを知らされた。
だから叔母の辛そうな顔や苦しそうな表情は思い描けない。

そんな状況だとは知らなかったので、突然の死の報せを現実のことと認識できない。
それでなくても新型コロナウィルス騒ぎで日常が非現実的な様相を呈しているのに、この報せでもうアンペアオーバーだ。
心のブレーカーが落ちて、感情が点灯しない。

叔母は近所に住んでいたことや、ついに子供を授からなかったこともあって、自分の子供のように僕や弟を可愛がってくれた人だった。

両親が厳しかった僕たちにとって、ある意味避難所のような存在。

おばさんと呼ばれることを嫌がり「おねえちゃん」と呼ばせていたが、僕ら兄弟にとっても姉のような人だった。

そんな叔母と最後のお別れが、できない。

叔母の告別式に参列できないのは、叔母の死を知った日の朝、身近に新型コロナウィルスの罹患者が出たからだ。

濃厚接触者ではないが、ウィルスを保菌している可能性はゼロではない。
告別式には両親含めお年寄りが参列するし、香川に住む弟の会社の規定では「関東圏から来た人と接触したら2週間の出社停止」だ。

そして「東京から親戚が来た」というといろんな噂がたつらしい。

弟は「噂なんて気にしない」と言ってくれたが、万が一両親や参列者に何かあったら、僕が行くことで予想もつかない迷惑をかけたら、と思うと「それでもいいから行く」という決断はできなかった。

そして、行かないと決めた瞬間、ホッとした気持ちが生まれてしまった。
叔母の(おねえちゃんの)死という現実に向き合わなくてすむという安堵感だ。

笑顔しか思い描けない叔母の、亡くなった顔を見なくてすむという気持ち。

「コロナのせいで行けなかった」のか「コロナのおかげで行かなくてすんだ」のかが、突然あいまいになる。

誰かのために行けないのではなく、自分のために行かない、のではないか。

新型コロナ騒動を現実逃避の口実にしてるだけなんじゃないか。

たぶんずっと答えの出ない自問自答。

ただわかったのは、葬儀は亡くなった人のためではなく、生きつづける人のためにやるということだ。

葬儀はいやおうがない。時間に沿って粛々と進められ、迷う間もふける間もなくやがて「最後のお別れをしてください」というあの瞬間がやってくる。

そのいやおうのなさが、死を現実のものとして身体と心に染み込ませ、これからの人生を生きつづけていく準備をさせるんだろう。


途中で書けなくなってしまった。
今日で叔母が亡くなって五日だ。
そしてまだ亡くなったという実感はない。

行けなかったのか、行かなくてすんだのか。
行かないという決断は正しかったのか。
どちらもまだわからない。

新型コロナ騒動はますます大きくなり、四十九日に帰郷できるかどうかさえ危ぶまれている。

実感がないまま月日が流れる。

このままだと、お米がなくなったらまた叔母にメールして、来ない返事をしばらく待ってしまいそうだ。

こうして文章を書いているのは、自分の心に叔母の死を染み込ませ、向き合うためなんだと思う。

叔母の葬儀という儀式の代わりに、自分の感情に向き合い、言葉にするという儀式。

自分の人生につける跡としての文章。

そしてこの跡は「いま」が「あの時」になった未来に、僕を救うかもしれない。

すでにこの文章を書くことで、というか書いている間は、僕の気持ちは鎮まってくれている。

「鎮魂」とは亡くなった人の魂をというより、生きつづける人の魂を鎮めるという意味なんだろう。

そしてここに書いた鎮魂の言葉は、今の自分を、未来の自分を、もしかしたらこの言葉に触れた誰か知らない人をも、少しだけ救ってくれるのではないか。くれるといい。

言葉には、言葉にするという行為には、力がある。

だから僕は言葉を大切にしたいし、大切な人には心からの言葉をかけてあげたい。

いまは叔母に言葉をかけようとすると謝ってしまいそうだからやめておくけど。

かける言葉が見つかった時、ようやくきちんと向き合えるのかもしれない。


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