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_240805/見えないふり

昨日酒を飲んで帰宅して即ベッドに張り付いて、そのまま朝になった。しばらく粘ったけどさすがに時間やばいからベッドから身体を剥がして急いで風呂入って支度をする。

さえない顔してさえない格好してさえない人たちに囲まれて電車に乗る。心が死にそうになる時間。柴田聡子を聴くと自分だけ別世界を歩いてるような感覚になっていい感じ。

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お昼は久しぶりにカフェに行った。同じ会社のまぁまぁ面識あるグループが同じタイミングで入店して近くにいる。何度か目を合わせて「どーも」と言おうと思ったのに、誰も目を合わせてくれない。気づいてないはずはないのに。

会社の周辺は飲食店が少ないから1人で食事してる時に誰かしらと遭遇するのは珍しくない。声をかけない方が不自然で気まずいから一言くらい挨拶したいのに、向こうがグループでいると大抵気づいてないフリをされてしまう。
「1人で食べてるときに声かけられたくないだろう」という気遣いだと思うけど、絶対見えてるのに見えてないみたいにされる方が居心地悪いんだよな。

「そっちがそれなら」という気持ちで私も存在を気にしないことにして、ガパオライスをもりもり食べた。残った時間で15分くらい読書できた。2回目の『レインコートを着た犬』。

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仕事で特別ややこしいことがあった。他部署のボスのわがままのために、私が人に謝ったりお願いしたりしなければいけない状況である。
まぁ仕方ないか、と思いながら対応する。

自分が気の毒な状況だなとは思うけど、とくに怒りの感情は沸いてこない。代わりに上司や同じ部署の同僚が「ありえない!」と怒っていた。

「○○さん(私)は何されても怒らないから本当に優しいよね」と会社の人から言われる。たしかに、よく怒ったり愚痴を言い合ったりしてる周りの人たちに比べたら私の感情は『無』だと思う。

でも自分が優しい人間だと全く思わない。表出していないだけで、内面には自分でも計り知れないくらいの悪意が渦巻いているという感覚があるからだ。

SNS上で正論を並べて芸能人を批判する流れに全く共感できないのも、この感覚があるからだと思う。むしろ自分の中にも存在している悪意と強制的に向き合わされたような。そんな息苦しさがあった。

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帰りの電車で前に立っていたクマみたいな男性のサンダルから見えるワイルドな素足。指も爪もきれいなまん丸で、どうしても目が引き寄せられる。気づかれない程度に何度もチラ見をした。

帰宅。久しぶりに湿度が重たい日だったな。冷蔵庫で冷やしておいたグリーンダカラが美味かった。


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