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鉄道150年特集バックステージ⑪・番外編・写真展「薗部澄が写した『汽車の窓から—東海道』

きょうもまた、鉄道150年にちなんだ写真展を見てきました。

戦後の混乱も落ち着いてきた1950年から58年の間に、「岩波写真文庫」が286巻刊行されました。編集長はフォト・ジャーナリズムの草分け名取洋之助、約60巻分の写真を、小型カメラの代名詞、ライカで撮ったのが、写真家の薗部澄(きよし)でした。

名取は1930年にドイツに留学デザインを学びます。バウハウス教育に触れたこともあったようです。帰国後、1934(昭和9)年創刊の対外宣伝グラフ雑誌『NIPPON』の編集長として前衛的技法を駆使した誌面を作ります。薗部は名取と袂を分かった木村伊兵衛のいる東方社で、陸軍の宣伝雑誌『FRONT』の仕事をします。両誌ともふんだんな予算を使って合成、エアブラシ修正など当時の最先端技術のオンパレード。人数を増やしたり飛行機を増やしたり、プロパガンダ写真なのですが……。

戦後写真の潮流は、「見たままを写す、レンズで観察する」といった作風が主流になりました。中でも岩波写真文庫は,写真的には中庸路線ながら、戦後日本フォト・ジャーナリズムのひとつのメルクマール(指標)となります。名取はドイツ留学時代に学んだ、複数の写真でストーリーを構成する「組写真」を全面的に導入し、「テーマの全貌を記録する」ため、綿密な計画やコンテが描かれて撮影されたようです。薗部は何度も「はと」に乗り、64ページの写真集のために使われたネガは169本にのぼったと言います。岩波書店が当時の出版ジャーナリズムの頂点にあった時代、「岩波ジャーナリズム」の妥協を許さない完璧主義の仕事が見られるのも、大変興味深く感じました。

展覧会のテーマ『汽車の窓から—東海道』は、東京駅から昭和20年代後半の、まだ蒸気機関車が牽く非電化区間が残る東海道線を大阪に向かう特急列車「はと」を軸に、車内風景と沿線風景を描きます。列車内では、最後尾の1等展望車の車内でくつろぐ人たちや、食堂車の皿洗いや客室乗務員「はとガール」の仕事風景など、貴重な列車ルポが見ものです。

さらに、鉄道150年記念として開かれた今回の写真展では、車窓から見た鉄道風景が集められました。これが見ものです。駅まで貨物を運ぶ馬車、砂利採りの手押しトロッコ、電線工事などの鉄道施設やそこで働く人びとが生き生きと写し止められています。現在の東海道新幹線のぞみ号で東京—新大阪間は2時間半弱、「はと」は8時間かかっていました。速度が遅い分、さまざまな戦後の営みが見えてきます。1958(昭和33)年の電車特急「こだま」号で東京—大阪間は6時間半、そして1964(昭和39)年、東海道新幹線「ひかり」号が開通、東京—新大阪間3時間10分となりました。現在、「のぞみ」は最速2時間22分で結んでいます。(偽)

「薗部澄が写した『汽車の窓から—東海道』
千代田区一番町25 JICCフォトサロンで10月30日まで。

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