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鉄道150年特集バックステージ⑤・白井昭さんとSL動態保存の過去・現在・未来

月刊『東京人』2022年月号「鉄道をつくった人びと」特集に寄せて

いわゆる地方ローカル鉄道のことを、最近、国土交通省は「地域鉄道」と呼んでいます。高齢化・少子化による人口減少・過疎化の波が押し寄せ、存続が苦しくなってきました。各社が生き残り策として打ち出したのが観光鉄道化でした。周遊イベント列車、レストラン列車などさまざまなアイデアが実行されているところにコロナ禍の外出制限が直撃。路線の存廃を真剣に議論しなければならない時が、各地で間もなくやってきます。

しかし、半世紀前にこれらの課題に直面し、観光鉄道に切り換えることで現在まで存続してきた鉄道があります。静岡の大井川鐵道です。ドル箱だった大井川上流域の林産資源や、産業用森林鉄道色の濃い井川線のダム建設資材の貨物輸送がなくなり、大井川渓谷沿いに走る路線はもともと沿線人口が少なく存続の危機に。そこで1969(昭和44)年に名古屋鉄道から出向してきた白井昭さんが打ち出したのが、蒸気機関車動態保存でした。1970(昭和45)年に明治のベストセラー貨物機関車B6・2109号を千頭駅構内で動態保存運転を始め、1976(昭和51)年には北海道で使われていたC11227号で金谷—千頭間の本線定期運転を開始。以来、現在まで蒸気機関車の保守技術を継承しながら動態保存運転を続け、現在では「きかんしゃトーマス」が人気を博しています。

白井さんの施策は単に「SL保存で客寄せを」という発想とは異なり、地元と連携したり弁当屋などの産業を興すことでSL列車に乗りに来る乗客の食事、遊び、宿泊など、地域を面でつないで全体の収入を上げようというもの。駅などの古い施設のミュージアム化、40年近い歴史を誇るスイスのブリエンツ・ロートホルン鉄道や台湾・阿里山鉄道との姉妹鉄道提携もその一環。道のりは決して平坦ではありませんでしたが、地域鉄道各社が、これから観光鉄道化で実現させようとしている施策のほぼ全ては、白井さんの手で既に行われているのです。

経営者として優れた手腕を発揮した白井さんは、もともとは鉄道技術者でした。1948(昭和23)年、名古屋鉄道に入社。電車整備工場勤務、教習所の教官を経て、1960(昭和35)年、特別料金なしで前面展望が楽しめる革新的な電車「パノラマカー」を開発の中心となって世に送り出し、以来2008年の引退まで中京地区のシンボルとなりました。さらに名鉄が資本参加し開業に協力した東京モノレールの最初の車両開発を行うなど、1960年代、新幹線とは異なるフィールドで鉄道技術界のトップを走っていたと言っても過言ではありません。

しかし、終戦の年に名古屋工業専門学校(現在の名古屋工業大学)機械工学科に入学した白井さんの専攻は蒸気ボイラーでした。国鉄入社を志しましたが、卒業年次の国鉄は復員者であふれ、新規採用の道は閉ざされていたのです。もし白井さんが国鉄に入っていたらどうだったでしょうか。国鉄の新型蒸気機関車製造は昭和23年のE10形でストップ、動力近代化に舵が切られます。白井さんは新型電車開発から新幹線開発の道に進んだかも知れませんし、蒸気ボイラー自体は鉄道用として衰退するものの産業用としてさらに発展しますので、もしかしたら原発技術者に転じる未来もあったかも知れません。

そんな白井さんに「蒸気機関車動態保存の本質とは何か」と問うた答えが、インタビュー記事「SL保存は『産業革命の保存』」です。知る人はほとんどいないであろう、機関車のボイラー内部の「ステー」という部位がキーとなるのですが、内田利次さんに600形蒸気機関車の図面を提供いただき、さらにステーに着色していただいて読者のみなさんに示すことができたおかげで、鉄道専門誌や趣味誌でも取り上げられない記事が成立しました。白井さんの記事最後の一言は、技術者・経営者・歴史家として地域鉄道が抱える問題を全て経験してきた人間として、大変重い言葉だと感じています。(偽)

*大井川鐵道は9月の台風15号の大雨による土砂崩れで不通が続いており、新たな苦境の中にあります。そのような状況のもと創業100周年を迎え、新たな機関車の動態化に取り組むクラウドファンディングを実施中です。保存技術・復元技術も産業革命の保存と言えます。日本で初めて取り組んだ大井川鐵道のSL保存の灯を消してはならないと考えるものです。
https://readyfor.jp/projects/daitetsu

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