AIのべりすと様による【ゆく年くる年グンマの年越し】
師走の時の過ぎ行く速さに僕は幾度も狼狽を繰り返してきた。その理由を考えることもなくだ。
ゆく年くる年とはよく云ったもので、時が年を越えてゆく様を情緒豊かに僕達に伝えてくる。
しかし、時も年も同じ時間でありながら「それ」を越えてゆくとはどういうことなのか?
時を越えるということは何を意味するのか?
……そう考えることがある。
そして思うのだ。この世の出来事はすべて相対的なものでしかないのではないか。
たとえば僕が見ている目の前の景色は過去であり、僕は未来に向かっている。だがそれは同時に現在の出来事でもある。
つまり相対性の中にのみ存在する世界なのだと。
仮に宇宙がブラックホールの中にあるならば、外の世界には別の時間が流れている。(外の世界は事象の地平面の外側を並進する時間および回転という2つの等長可変群の作用を受ける)
時が年を越えてゆくとは、この2つの時間の織り成す現象ではあるまいか?
つまり
今こう考えている自分というものは、自分が認識している限りにおいての自分なのであって、決して絶対的存在ではない。
いや
もっと単純に言えば、この自分などというのは、自己像として投影された過去の記憶の残滓に過ぎないのかもしれないのだ。
もしそうだとすれば、時が年を越えてゆくことは当然のことではないか。
年を越えた先には何があるのか? それは誰も知らないだろうし、誰もわからないだろう。
ただ1つだけ確かなことがある。
それは時間と空間の無限の彼方には何もないということだ。だから我々が存在していると信じているものは、すべて錯覚にすぎない。
我々は幻想の中を生きている。しかし我々はこれまで確かに年を越してきた。そして何もない新年に、ある人は希望を、ある人は夢を、そして僕はこれまでの感謝の思いを託したのではないかと、そう思う。それが錯覚でも幻想でも僕らは確かに年を越して、未来を「生きてゆく今、その時」として受け入れてきた。
ならば、この先にあるはずの未来を想像することは許されるだろうか?
そこが何もない暗闇だとしても……
***
『冬枯れ』
雪が降るたびに思いだす人がいる。彼女は僕より5歳上の女性だった。
彼女と初めて出会ったのは小学校6年生の時。師走の慌ただしい時の流れのなかで彼女だけがひとり、年を越えようとする時の環に浮かぶ季節のなかで僕を待っていた。そして今も彼女はそこにいる。
幾度の師走、過ぎ行く時がどれだけ速くなろうともだ。
僕は知っている。僕は言い聞かせている。彼女との歳の差は永遠に存在し続ける、それが未来の存在を証明するものだと。
だからもうすぐ君に会いに行くよ。あの日と同じように……
***
雪が降っていた。
粉のような白い結晶は音もなく降り積もり、辺り一面を純白に染め上げていた。午後を過ぎると見上げる空は高く澄み渡り、その先には透明な未来だけがある。その未来を目指して時はさらに加速してゆき、まもなく時は年を越える。
「いま」もいつかは記憶の残渣となるだろう。それでも彼女だけは僕の記憶のなかにいて、そして僕の未来のなかにもいる。
変わらないものがあるかぎり、未来は年を越えた時の先にある。
だから僕は一人で年を越えて、誰も知らないあの場所に行き、誰も居ない夕日に染まる空の下で雪の花を咲かせる桜の木を見上げ、秘めた想いを花に告げる。
「僕を連れて行って欲しい、彼女の未来へ……」
そしてまた来年、花開く頃に此処で逢うと誓う。(僕は言い聞かせている)
僕達の人生に意味なんて無いのかもしれない。
だけど無意味じゃないと思いたいから、僕は今を生きる。
***
ふと我に返って空を見上げる。
雲を忘れた大つごもりの夕空は妙義浅間の稜線と細い繊月を浮かび上がらせて暮れてゆく。
グンマの年越しが始まろうとしている。
今年はどんな一年だったろう?
この一年が終わる前に振り返り、新しい年の糧にする。そんな時間を過ごす人が、このグンマには多く居るのかもしれない。
僕はどうだろうか? 今年を振り返ると、とてもいい年だったと思う。
仕事もプライベートも、いろいろな迷いを抱えたが信頼できるシャーマンの導きにより此処まで来れた。
そのシャーマンはグンマの年越しで重要な役割を担う。その役目を果たすために彼はグンマを離れることになったのだが、彼の言葉にはいつも勇気づけられる。
年越しを前にして、僕自身も何か特別なことをしようと考えていた。
しかし、いざ実行しようと思うとなかなか難しいものだ。
何が良いのか思いつかないし、何をすれば良いのか分からない。
(僕は言い聞かせている)
夜になると、赤城山麓に自生する特殊なキノコを食べてトランス状態に入った各部族のシャーマン達は、夜通し家々を廻り予言を告げる。家長はシャーマンを酒でもてなし労う。
その姿を女子供は決して見てはならない。
もし見てしまうと不思議な力で死ぬ事になる。
それはこの国の伝統であり、その伝統を守る事は僕にとっても大切な事だと思っている。
そして新年を迎える為の儀式は3日間に渡り行われる。
その間、家長以外の家族達は家に閉じこもり続ける。
***
シャーマンの身の回りの世話をする者達が酒を飲んで騒ぎだした。聞くと今から近隣の部族のシャーマンを襲いに行くと云う。今夜は表通りの松明を絶やしてはならない。
そうしなければ恐ろしい事がおこる。
僕はそれを止めようとしたが、彼等は既に動き出していた。
「待ってくれ! 」
しかし、僕の叫び声など彼等には届かない。
「おい、貴方達、どこへ行くんだ? 」
声をかけたが、トランス状態の彼等には届かなかったようだ。
もう、これは部族の掟なのだ。誰も彼等を止められない……
明朝、各部族の足自慢の若者達がグンマのサバンナを駆け抜ける。
各部族の装束を身に纏い、今夜の戦で倒れた戦士を弔う為に走るのだ。そして3日目の夜には、それぞれの氏族の長に年始の挨拶に行かなければならない。
グンマの年越しとはそういうものなのだ。
今宵は新年を祝う宴が開かれる。
各家庭では餅をつき、新年を祝う。
明朝、僕は5歳上の妻と共にサバンナの傍らに立ち、若者らの弔いに惜しみ無い声援を送ろうと思う。
「運が良ければテレビに映る」
シャーマンは私にそう告げた。
(エピローグ)
年が明け、グンマのシャーマン達は、それぞれの集落へと帰っていった。
残された僕達は、いつもの平和な日常を取り戻しつつあった。
シャーマン達が帰り際に残した言葉を思い出す。
「グンマの成人式は、テレビニュースのネタになる」
彼等はそう言って笑っていた。
僕はそれが冗談だとばかり思っていたが、もしかすると本当なのかもしれない。
そう思いながら、窓の外に広がるグンマの草原を妻と一緒に眺めた。
日陰には、まだ雪が残っていた。
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