ドクターKシリーズ通算100巻記念真船一雄トークショー レポ

2024年2月10日に行われた、真船一雄先生のスーパードクターKシリーズ通算100巻記念のトークショーに参加してきました。
以下はそのレポートになります。
個人の記憶とかんたんなメモに依拠したレポートになりますので、不充分なものであることをご了承の上お読みください。
※以下スーパードクターKをSDKと表記します

2024年2月12日にコミックナタリーにより詳しいイベントレポが公開されました。

こちらのレポートに含まれなかった質疑応答もありましたので、このnoteはこのまま残しておくことにします。

※2024年2月19日にmixaliveサイトにて読者質問の一問一答が公開されました
https://online.mixalivetokyo.com/blogs/k2comment/k2_comment

トークショーはクエスチョンへの歴代編集者の回答があり、それに対して真船先生がコメントしていく形式で行われました。

登壇者(好きなキャラクターはスクリーンに表示されたスライドより)
 ●真船一雄先生
 好きなキャラクターは高品龍一、富永研太、宮坂詩織、ドクターTETSU、刈矢俊一郎etc
 ●梶原和哉さん
 初代担当者 担当時期は1988〜1990年
 イブニング初代編集長
 KAZUYAの名前の由来(真船先生談)
 好きなキャラクターは高品龍一
 ●林田慎一郎さん
 二代目編集者 担当時期は1988(? メモミスかも)〜1994年
 ムードメーカーで真船先生の結婚式の司会も務めた
 好きなキャラクターは高品龍一と斎藤淳子
 ●畑山真弓さん
 K2編集者 担当時期は2012〜2022年
 取材力が素晴らしく、「絵を描くことだけに専念させてくれた人」(真船先生談)
 好きなキャラクターはサブキャラの皆さん
 ●塩崎哲也さん 現担当編集者
 元テレビマンという異色の経歴
 「イシさん東京へ行く」は彼のアイディア
 好きなキャラクターはドクターTETSU

Q.1「あなたの好きなエピソードは?」
A.
畑山さん:『K2』394〜395話「応召」
    『SDK』6巻カルテ6「スペースオペレーション」

これぞ「K!」という真髄が詰まったエピソード。どの回もそうだが、真船先生は打ち合わせで決まった要素を「超えた」原稿を描かれる。メインの患者以外も、登場するキャラクターがすべて救われるのが大きな魅力。「応召」でも、はじめは"小悪党"ぽいノリだった同級生が、一也たちの活躍に触れて改心し一つ上のステージに上がるのが印象的だった。
「スペースオペレーション」もスケールこそ違うが、登場人物全員を救ってくKの魅力が詰まっている。
真船先生:「応召」は良きサマリア人のエピソードとそれを国試に活かせないか?という打ち合わせのなかで生まれた。打ち合わせで決まったことにプラスアルファ積み重ねを!というスタンスは『K2』が始まって以降特に意識している。
「スペースオペレーション」のほうは、荒唐無稽で馬鹿にされるのでは?と焦りつつ描いた。元から宇宙開発に興味があり、たくさん揃えていた資料がこんな形で役立つとは思わなかった。
林田さん:「スペースオペレーション」のとき、打ち合わせが大盛り上がりだったことを覚えています

A.林田さん『SDK』14巻カルテ9「極道の流儀」
初代編集の梶原さんが他誌へ異動され、切羽詰まっていて時期で思い出深い。
この回は極道の無茶振り(彫り物を傷つけずにオペせよ)にKが敢えて応えない掟破りのオチ。
信頼を積み重ねてきたKだからこそ、敢えての掟破りという破調も許されるのでは? 超絶スキルで解決するパターンを外すのもアリでは?という発想だった。
林田さんは任侠モノが好きで、Kがヤクザや「凄いやつ」に認められる展開も大好き!だそう

A.梶原さん『SDK』10巻カルテ8 カメラ小僧」
カメラ小僧は当時の社会問題で、それを活かした。スペースオペレーションに比べると随分スケールが小さいがそれも「K」らしさ。
このエピのアイディアソースはO.ヘンリの『金庫やぶり』、金庫に閉じ込められた子供を助けて己の正体を晒すか否か葛藤する金庫やぶりの姿をヘンタイカメラ小僧に重ねた。
読後感爽やかでよかった。
真船先生:宇宙かと思えば盗撮、F1かと思えば畳職人。舞台が縦横無尽で資料集めに苦労した。カメラ小僧エピはきわどいアングルが多く、資料のためにグラビア雑誌?を買うのが恥ずかしくて仕方なかった

A.塩崎さん『K2』451話「イシさん東京へ行く」
はじめはイシさんと一也を絡ませる?などと提案したが、真船先生から戸倉教授を出そうと提案があり、結果キャラクターのマリアージュが生まれさすがと思った
真船先生:資料内に「現地の人も悶絶するすごい匂い」とあり、絶対に使おう!と思った。耳鼻科なら戸倉教授…とトントン拍子に転がって出来たエピソード。 


Q.2「真船先生との思い出で印象深いことは?」
この質問にはまず真船先生、梶原さん、林田さんが揃って
A.「医療監修で現役外科医の中原とほる先生を訪ねたこと」
と挙げられました。

真船先生:中原先生のお住まいは愛媛の風光明媚なところ。ご自宅に招いていただいて宴を催していただき、中原先生もおおいに盛り上がっておられた。
そこに急患の知らせ。まるで絵に描いたように先生の顔色が変わった。医者の顔になった。あの日見た凄みが『K2』の道尾先生登場回で活かせたと思う。

梶原さん:プロとしての、医師としての顔と、朗らかに冗談を飛ばす日常の顔との落差。プロの凄まじさを知らされた。

塩崎さん:中原先生は今も現役(81歳だそう!)でTwitterもなさってるんですけど、さっき最新の投稿を見たら「漫画の新人賞に応募して賞をとった夢を見た」と書いておられました。
(いつまでも矍鑠たるものかな、と笑うみなさん)

A.畑山さん「本物のお医者さまから電話が来た」
漫画のなかに間違いでも!?と戦々恐々としながら電話をとると、内容は「今度K2に登場するオペをすることになったが、漫画の記述が本当にわかりやすいので、患者さんへの説明に使って良いですか?」だった。嬉しい驚き!
医療に関しては本当に間違いが無いよう細心の注意を払っている。それが嬉しい形で結実したと感じた。
真船先生:資料を集めて出来る限り正確を期すが、どうしても想像で埋めなくてはならないシーンは存在する。毎回ヒヤヒヤしながら描いているし、指摘は真摯に受け止めたいと思っている。

Q.3「連載開始当時の話を」
梶原さん:K2立ち上げ時にイブニング編集長だった。イブニングを救うため、ヒット作の第二弾がほしかった。
当時(2004年ころ)、娯楽としてのケータイが台頭して隙間時間が奪われるようになった。電子書籍はまだ普及しておらず、マンガ雑誌苦境の時期だった。
どうにか読者にまず手に取らせる必要があった。当時、インパクトある「二世もの」が増えたのはそのせい。K2もいわば同じ発想だった。
しかし、真船先生のストイックさを知っている自分は、ともすれば売らんかな…のこの企画を真船先生に持っていくことに葛藤があった。快諾いただけたときは嬉しかった。
振り返ってみれば、Doctor.Kの終了から5年が経った頃で、KAZUYA⇒一人⇒一也の繋がりを描いていく良いタイミングだったのかもしれない。結果、イブニングは助かった。
医学アクションから始まったKシリーズはいまや大河医学漫画ともいうべきものへと変化しており、この歴史を紡いだ真船先生はすごい。
真船先生:当時、週刊連載で2度失敗し、自分のポテンシャルを疑っていた時期だった。そんなときに話をもらったK2には「全てをこめた」。第一話には全部を注ぎ込んだ(このあたり、お話されながら噛みしめるように言葉を区切られていたのが印象的でした)。
K2最序盤の心臓移植の回を読んだ梶原さんに「絵がうまくなったなぁ!」と言われ、実に嬉しかった。

林田さん:SDK連載開始当時、『ミスター味っ子』、『風のマリオ』、『第三野球部』、『ブレイクショット』、『おがみ松吾郎』などが次々ヒットし、『SHOGUN』、『スーパードクターK』でさらに部数を伸ばしました。マガジンが盛り上がっていく時代の立役者の一つ。

梶原さん:当時、業界第3位だった。辣腕五十嵐編集長がマガジンに来て、サンデーを抜いてやろうとしていた時期だった。伸びる時代にありがちな危うい雰囲気もはらみつつ、盛り上がりがすごかった。

林田さん:そこへ新人として入り、緊張感すごかった。

真船先生:スーパードクターK立ち上げといえば、僕は高校生のときに一度体をこわした。先日、高校生当時に描いたプロットの束のようなものを見返したら、その中に既に医者モノがあった。SDKの話が来て、怯みながらも嬉しく、たくさん資料を読んで頑張ろう!と思った

梶原さん:北斗の拳でブラック・ジャックをやるというのが当初のコンセプト。医学モノはドラマを作りやすい。真船先生はアクションも上手いが、人の心の盛り上がりを書くのが上手く、良い組み合わせになるのではと

ここで林田さん?から真船先生が立ち上げた草野球チームの話が出る

真船先生:草野球チームはSDK開始前から始めていた。寝る時間を削ってでも野球。一度水島新司先生のチームにも勝った。瞬間的には業界一位だったんじゃないかな…直後に負けて水島先生に怒られたけど…。水島先生は漫画より野球のこととなると怖い

Q.4 「真船先生に聞きたいこと、つたえたいこと」

A.塩崎さん:「逃げたいと思ったことはありますか?」
真船先生:予定された休載以外で、一度だけある。週刊連載の時代だった。アシスタントさんに「もうできないから、やめる」と伝えたら、アシさんは「ご苦労さん」と返してくれた。自分がストレスをためているのをそばで見ていたアシスタントは察するところがあったのだと思う。逆に「真船先生がやめると言う、その場に立ち会えてよかったよ」とまで言ってくれた

A.梶原さん:「華佗の話はいつやりますか?」
SDK当時の打ち合わせ雑談で、K一族はいつから医者やってるの?という話になった。そこで出てきたのが三国志演義の華佗。演義の華佗は曹操に処刑されるにあたり、医学書を妻に託すが、妻は「こんなものがあったから夫は亡くなるハメになったのだ!」とそれを焼いてしまった。…………と、見せかけて、医学書が日本に渡り、当時は医者といえばシャーマンだから、卑弥呼に渡り、卑弥呼がK一族の始祖って話はどう?という裏設定がある。………んだけど、いつ描いてくれるのかなって。
真船先生:冗談まじりそんな話をしていたから、三国志大戦のカードの話が来たときにはご縁があるものだと思った。華佗のストーリーはいま梶原さんがお話したとおりなので、客席の皆さん絵に描いてください。

A.畑山さん「優しい鬼」
鬼とかいって皆さんギョッとされたかと思うんですけど、真船先生はこの通り物腰やわらかいが、納得できる面白さに到達するまで決して引かない。
真船先生:打ち合わせで資料を読んでからいつも、沈黙の20分間、がある。その間頭をフル回転させて黙っているので、怒っているように見えたかな? 怖かったらごめんなさい。

A.林田さん「お礼申し上げます」
↑このコメントと一緒に写真が2枚掲示される。写真は真船先生が描かれた林田さんの似顔絵がプリントされたTシャツとトートバッグ。
林田さん:僕は昨年講談社を定年退職しましたが、その際に真船先生に作っていただいたのがこれ。嬉しかった。SDK担当の8年間で編集としての足腰を作っていただいた。
真船先生:医療監修さんとのやりとりのフォーマットを作ってくれたのが林田さん。年齢も近くお兄ちゃんのようにかんじていた

事前アンケートされた観客からの質問コーナー

Q.無料公開からのブーム。変化はありましたか?
A.真船先生:僕自身は特に変化はない。ただ、美術系の勉強をしている姪っ子が、今まで僕の漫画に興味をもっていなかったのに、出たグッズを実家に送ったらそれをこっそり持っていったと聞いて嬉しかった

Q.医療知識を活かして誰かを助けられたような場面はありますか?
A.真船先生
:もちろんそんな僭越なことは無いが、親類が手術を受けるときなど「どんなオペか」を説明するのは得意

Q.独特の擬音はどのようにして生まれましたか?
A.真船先生:納豆やご飯を食べるときの擬音は、一般的なものから一歩踏み込んで考える。面白い音が浮かべばいいなと考えている

Q.休みの日の息抜きはなんですか?
A.真船先生:ドクターストップがかかるまでは草野球。そのごはプラモデルをはじめ、セミプロレベルまで行ったと自負している。しかし、猫を飼い始め、アルコール塗料が猫に障るのでやめた。いまは猫いじりが息抜き。猫飼い歴は10年くらい。

Q.T村診療所の詳しい間取りを教えて下さい
A.真船先生:最初に外見を決めちゃったんですよね。それでずいぶん矛盾が出ちゃってます。こういうのは最初にちゃんとすべきですよね(笑)

Q.一人先生や富永先生の生年月日、年齢などは決まっていますか?
A.真船先生
:詳細は考えていませんが、K先生(真船先生は一人先生をK先生と呼ぶんだ!!とめちゃくちゃテンション上がりました)は、最初の雪の中から現れたイメージが強く2月くらいの生まれ、富永先生は梅雨明けのカラッとした7月くらいのイメージ

Q.村井さんの下の名前は?
A.真船先生:これは最初から決めてまして、「いつじ」。執事のいつじ。決めてたんですけど、出すチャンスがなかった。そういうキャラクターはたくさんいます。

Q.影響を受けた作家は?&デビューまでの経験を教えて下さい
A.真船先生:小学校3年生くらいから、ちばあきお先生の「キャプテン」を模写していた。模写したキャラクターで自由に試合をさせていたりもした。その後、ちばてつや先生の「あしたのジョー」、ウルフ金串とジョーのクロスカウンターが大好き。
高校生になって、将来漫画家になりたいと具体的に考える頃には小林まこと先生のようになりたいと思っていた。
そして、大島やすいち先生に弟子入りした。これは本格的な「弟子」。アパートに帰るのは月に一度か二度で、まかない作りからなにから全部やって、先生が何を自身で描き何をアシスタントへ指示するかなど、漫画家のイロハを覚えた。
その後、梶原さんと知り合い、新人賞に応募してSDK連載へと至った。

トークショーは以上で終了となり、壇上の皆さんからの謝辞がありました。

いろいろなお話を伺うことができ、真船先生の真摯な人柄に触れることができ、とても豊かな時間でした。
特にK2開始時に込めた思い、最後の挨拶で触れられたある悲劇への言葉は、客席で聞いているだけで涙が出そうになりました。
サインしていただいた色紙は一生の宝物です。
真船先生、歴代編集者の皆さま、企画してくださった講談社の方々、改めて本当にありがとうございました。

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