”ぶっこわれ”

東海オンエアのしばゆーが大変なことになっているけど。
私は最近の東海オンエアになんとなし危うさを感じていた。
もう東海オンエアはジェネワン時代の、やりたいこと適当にやって気の合う仲間でゲラゲラ腹抱えて笑いあう、『好きなことを仕事に』しているYouTuberじゃないのです。東岡崎のご当地好感度タレントなのです。とある自治体の興行を一身に引き受ける、きわめて公的なグループなのです。
当初は下品でくだらない若い衆の集まりだったこの集団。この、『おふざけで面白い』、だけどたいした炎上もせず、破滅的なスキャンダルもなく、老若男女なんとなく笑顔で見れてしまう”品のある”YouTuberの座を、そういった”品のある”毎日投稿を、どれだけの我慢と犠牲と個人の根性でもって維持していたのか。
まっすぐな定規がギリギリまでたわんでるような危うさがなんとなく伝わってました。「あと2年、3年で限界が来るだろうな」「もう10年とかはいかんじゃろ」これって私だけじゃなく、東海オンエア好きな子ならみんなそう思っていたんじゃないですか。
ギリギリまでたわんだ定規が跳ね返ったときの衝撃でもって、1日にして東海オンエアはこわれてしまった。
でも、これって、正常な自浄作用だと思うんです。
無理と負担を重ねてやってきた不自然なものは、絶対にどっかでガタが来るんです。どこかで、たわんで貯まったエネルギーを放散しなきゃいけなかった、ぶっこわれなきゃいけなかったんです。
それが10周年なのはかえってカッコイイのかもしれない。
この、ギリギリまでたわんだ定規感を感じるものは他にもあります。
東京です。
真夏の嫌な日射、同じようなメロディでぺらぺらな愛を歌う騒音、汚い湯気の向こうにそぼえたつ高層ビル、醜い欲望を転写したような看板の群れ、本当に今にもなんかが飽和してぶっこわれそうじゃない。


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