斜陽 好きなとこ

しばらくしてお母さまが、
「なんでもない事だったのね。燃やすための薪だもの」
とおっしゃった。
私は急に楽しくなって、ふふんと笑った。機にかないて語ることばは銀の彫刻物に金の林檎を嵌めたるが如ごとし、という聖書の箴言を思い出し、こんな優しいお母さまを持っている自分の幸福を、つくづく神さまに感謝した。


「お母さま、私ね、こないだ考えた事だけれども、人間が他の動物と、まるっきり違っている点は、何だろう、言葉も智慧《ちえ》も、思考も、社会の秩序も、それぞれ程度の差はあっても、他の動物だって皆持っているでしょう? 信仰も持っているかも知れないわ。人間は、万物の霊長だなんて威張っているけど、ちっとも他の動物と本質的なちがいが無いみたいでしょう? ところがね、お母さま、たった一つあったの。おわかりにならないでしょう。他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。いかが?」

何も無い。何も無い。忘れてしまった。日本に着いて汽車に乗って、汽車の窓から、水田が、すばらしく綺麗《きれい》に見えた。それだけだ。電気を消せよ。眠られやしねえ


人から尊敬されようと思わぬ人たちと遊びたい。けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。


僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂《うわさ》した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻《うめ》いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。
 どうも、くいちがう。


不良でない人間があるだろうか、とあのノートブックに書かれていたけれども、そう言われてみると、私だって不良、叔父さまも不良、お母さまだって、不良みたいに思われて来る。不良とは、優しさの事ではないかしら。


私はただ、私自身の生命が、こんな日常生活の中で、芭蕉《ばしょう》の葉が散らないで腐って行くように、立ちつくしたままおのずから腐って行くのをありありと予感せられるのが、おそろしいのです。とても、たまらないのです。


私には、常識という事が、わからないんです。すきな事が出来さえすれば、それはいい生活だと思います。私は、あなたの赤ちゃんを生みたいのです。


「よくわからないけど、どうせ直治の師匠さんですもの、札つきの不良らしいわ」
「札つき?」
と、お母さまは、楽しそうな眼つきをなさって呟《つぶや》き、
「面白い言葉ね。札つきなら、かえって安全でいいじゃないの。鈴を首にさげている子猫《こねこ》みたいで可愛らしいくらい。札のついていない不良が、こわいんです」
「そうかしら」
 うれしくて、うれしくて、すうっとからだが煙になって空に吸われて行くような気持でした。おわかりになります? なぜ、私が、うれしかったか。おわかりにならなかったら、……殴るわよ。


世間でよいと言われ、尊敬されているひとたちは、みな嘘つきで、にせものなのを、私は知っているんです。私は、世間を信用していないんです。札つきの不良だけが、私の味方なんです。札つきの不良。私は、その十字架にだけは、かかって死んでもいいと思っています。万人に非難せられても、それでも、私は言いかえしてやれるんです。お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか、と。


人の力で、どうしても出来ない事が、この世の中にたくさんあるのだという絶望の壁の存在を、生れてはじめて知ったような気がした。


ヴェランダは、すでに黄昏《たそがれ》だった。雨が降っていた。みどり色のさびしさは、夢のまま、あたり一面にただよっていた。


お母さまのお読みになる本は、ユーゴー、デゥマ父子、ミュッセ、ドオデエなどであるが、私はそのような甘美な物語の本にだって、革命のにおいがあるのを知っている。お母さまのように、天性の教養、という言葉もへんだが、そんなものをお持ちのお方は、案外なんでもなく、当然の事として革命を迎える事が出来るのかも知れない。

人間というものは、ケチなもので、そうして、永遠にケチなものだという前提が無いと全く成り立たない学問で、ケチでない人にとっては、分配の問題でも何でも、まるで興味の無い事だ。

お母さまと過した仕合せの日の、あの事この事が、絵のように浮んで来て、いくらでも泣けて仕様が無かった。夕方、暗くなってから、支那間のヴェランダへ出て、永いことすすり泣いた。秋の空に星が光っていて、足許《あしもと》に、よその猫《ねこ》がうずくまって、動かなかった。

もうだめだ。だめなのだと、その蛇を見て、あきらめが、はじめて私の心の底に湧《わ》いて出た。お父上のお亡くなりになる時にも、枕もとに黒い小さい蛇がいたというし、またあの時に、お庭の木という木に蛇がからみついていたのを、私は見た。

幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽か光っている砂金ようなものではなかろうか

それから、三時間ばかりして、お母さまは亡くなったのだ。秋のしずかな黄昏《たそがれ》、看護婦さんに脈をとられて、直治と私と、たった二人の肉親に見守られて、日本で最後の貴婦人だった美しいお母さまが。

おうどんの湯気に顔をつっ込み、するするとおうどんを啜って、私は、いまこそ生きている事の侘びしさの、極限を味わっているような気がした。

生きているのが、悲しくて仕様が無いんだよ。わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりのあるものでなくて、悲しいんだ。陰気くさい、嘆きの溜息《ためいき》が四方の壁から聞えている時、自分たちだけの幸福なんてある筈《はず》は無いじゃないか。

僕は、僕という草は、この世の空気と陽《ひ》の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです。

人間は、みな、同じものだ。
 これは、いったい、思想でしょうか。僕はこの不思議な言葉を発明したひとは、宗教家でも哲学者でも芸術家でも無いように思います。民衆の酒場からわいて出た言葉です。蛆《うじ》がわくように、いつのまにやら、誰が言い出したともなく、もくもく湧《わ》いて出て、全世界を覆《おお》い、世界を気まずいものにしました。

東京の冬の夕空は水色に澄んで、奥さんはお嬢さんを抱いてアパートの窓縁に、何事も無さそうにして腰をかけ、奥さんの端正なプロフィルが、水色の遠い夕空をバックにして、あのルネッサンスの頃のプロフィルの画のようにあざやかに輪郭が区切られ浮んで、僕にそっと毛布をかけて下さった親切は、それは何の色気でも無く、慾《よく》でも無く、ああ、ヒュウマニティという言葉はこんな時にこそ使用されて蘇生《そせい》する言葉なのではなかろうか、

それから、一つ、とてもてれくさいお願いがあります。ママのかたみの麻の着物。あれを姉さんが、直治が来年の夏に着るようにと縫い直して下さったでしょう。あの着物を、僕の棺にいれて下さい。僕、着たかったんです。


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