流浪の月

凪良ゆうさんの著書「流浪の月」を読みました。

いつも通勤電車の中が読書の時間と決めていて、自宅では一切読まないんですが、朝読み始めて、仕事中早く続きを読みたくてうずうずして、帰りに最寄り駅降りずに終点まで乗って読んでやろうかと思ったほど物語に引き込まれました。

おうち帰って、ちょっと読もうと思ったら、最後まで読んでいましたね。

殴り書きの感想になります↓

「事実と真実はちがう」
この言葉がものすごい、ちゃんと、理解できる。こんなにも苦しく、真実をわかってもらえない人生があるかと。序盤からすでに、更紗には絶対にたくさん幸せになってほしいと思いながら読んでいた。最後、梨花がくやしくて泣いたというところで、ずっと欲しかったものがわかった。文と更紗だけが、知っている真実を、第三者の梨花が知って解ってくれたのだ。爆発的に泣いた。どれほど言葉で伝えても、なんなら言葉を重ねれば重ねるほど真実がなくなってしまうようで、その真実を梨花が証明してくれた。2人の理解者になってくれた。どれほどのことか。この世界のどこかにたったひとり手を離さないでくれていた人がいる、あのとき強くお互いの手を握って、お互いに心を支えた。15年たって、また手を心を繋ぎ合えた。でもこの関係性に適切な名前はない。世間が納得するような名前はない。彼が悪かどうかは、彼と彼女しか知らない。でももう、事実がどうだということは、もう関係なくなったのだ。梨花の「ここにいたい」という気持ちを深く理解できた更紗。そして文が優しいひとであることを誰にもわかってもらえなかったのに、たったひとり梨花はわかってくれた。更紗のこともわかってくれた。真実を知ってくれた。2人にとってそれが全てだ。もう世間なんて言うところにもういないのだ。

めちゃくちゃに心を打たれまくった。

とにかく更紗がとてもすきだ。「今度はどこに行く?」とたのしそうに話す更紗に最後に会えてわたしはよかった。

生きるのはつらいことばかりだと言った文が、「これ以上何を望むことがある?」と心の底から思えたこと、2人が幸せに暮らせることがほんとうに嬉しい。

わたしは小学生のころ、更紗ほどなにかがあったわけではないが、なんと言葉にすればいいのかもわからんが、よく親がしぬことを願っていた。ベランダから見える月が家に落ちてこないかとか、幼なじみと家族を交換できないかとか、目を閉じて10秒数えたらわたしだけの世界になっていないかとか、そういうことをだれにも言えず理解もされず、みんな結局おかあさんがすきなんだなあということに絶望していた。高校で唯一の理解者ともいえる友達ができたことは本当に救いだった。お金を貯めて、家族には一切相談をせず上京して初めて一人暮らしをしたとき、うれしくて泣いた。酔っ払って帰宅して、部屋にわたししか居ないのだと実感して嬉しくて嬉しくてよく泣いた。更紗が亮くんから逃げれたとき、その事を思い出した。小学生のわたしは母をみていてこんな風な大人になるならしんだほうがマシだと思っていた。大人になることがたのしそうじゃなくて、生きていくこと、将来に、漠然と希望がわかなかった。
文はもっと、自分が生きていく未来に希望なんてなかっただろう。でも、更紗に出会った。なにが起こるかわからないのだ。


その頃のわたしに言ってあけだい。20年後だいぶたのしく大人やってるよ、そこの地獄から這い出て、想像以上にたのしく暮らしてるよ、大丈夫。身近にわたしのすきなものを否定するひとも居ないし、わたしの大切なものを嗤うひとも居ない。すきなこともたくさん増えて、やりたいように自由にやりまくっているよ。すきなブランドのお洋服を着て、髪の毛ピンクにして、からだのあちこちにタトゥーいれて、ボーナスで震えながらDiorのバッグ買ったり、お気に入りの植物たくさん育てて、すきな音楽に囲まれて、しあわせに心豊かに生きていく術を身に付けたよ。面倒なことは極力しないでも、まあやりたいことを概ねできているの、本当にしあわせではないだろうかと、小学生のころ想像していた未来を今考えると、めちゃくちゃに楽しいよ。この本を通して過去のわたしに会えた気がする。勝手に今の自分にも自信が持てる、素敵な本に出会いました。ほんとうに勝手に自分の過去と重ねてしまっただけなんだけど。

自分のしあわせは、自分で決めれるよねえ。


おわり

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