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【お陰様について思うこと】自分という夢の世界

お陰様だと気づいたら、そのおかげさまの背景には地球があって、さらに言えば宇宙がある。

食べた魚が、スーパーを通り、魚問屋を通り、漁師を通り、海を通り、地球を通り、その地球は宇宙によって何らかのバランスを受けているのかもしれない。

そんなふうにして、おかげさまは、僕たちの宇宙と繋がっていくのかもしれない。

こうして書くのは、僕自身の学びの復習のため、誰かに伝えたいため、自分の素直な発露を止めてしまわないため。そんな理由も、この現実に馴染んで、合わせるためのとりあえずのラベルなのかもしれない。


「嫌なふうに思われたら嫌だな」

なんともあいまいな、この思いが僕の中にすごく大きなものとしてあって、僕を縛りつけているように思った。

「こう思われたら嫌だな〜」

それは巨大にふくらんで、何か命を奪われるか、もっと何か重大なものであるかのような、自分の存在をおびやかす恐れとなった。

だいたい、考えてみれば、人が自分をどう思うかは本人にしか勝手のないもの。
僕が、周りをどう思うかも、その時その時で変わっていく。
僕は、幻のような大きな影を怖がっている。

壁に写る、その巨大な影には、その本体なるものはなくて、そこにいたのは、小さなワンちゃんが尻尾をフリフリこっちをみている。




自分で作り上げた妄想の世界がいつの間にか育って、映画の世界から出てきたみたいだ。それ全体がイリュージョンで、幻想なのだ。
せっかくなら、もっとマシな妄想をすればよかった。

そんな妄想、幻想の世界に頭を抱えて。
いいや、だいぶ楽しそうにしているやつもいるが。

なんともユニークで、最新鋭のゲームをやっているみたいじゃないか。君。

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