noteを始めた

noteを始めることにした。
なにかしら自分にまつわることやそうでないことを、長たらしく話したくなったときツイッターだと不便に感じたからだ。

先々月あたりに推しの子に勢いよくハマった。
有馬かなが可愛くてしょうがなくて、アクかなが摂取したくてしょうがないのに原作は辛くて、pixivに逃げ込んだ。
ところがpixivでも十二分なアクかなの供給は得られず、私は嘆き悲しんでやったこともないくせにssでの自給自足に走った。
ハマってからだいたい2週間くらいだったはず。元からあれこれと手を出すたちというわけでもないが、熱しやすい奴だと思う。
しばらく経って現在。アクかなの二次創作はやっていないし、pixivも漁っていなければアニメすら7話あたりから溜め込んでいる。

中高生の頃に比べれば、恐ろしく冷めやすいたちになった感じがする。
別に明確に冷めたわけではないのかもしれない。慢性的に好きではあるし、TLに有馬かなのグッド絵が流れてきたら沸きはする。
ただ昔ほど特定のコンテンツにどっぷり浸からなくなったというだけ。それは大人になったということではあるのかもしれない。
学生でなくなって、時間が減ったのは間違いなく要因としてある。暇を持て余しているところに餌を垂らされたら食いつくのが当然なので、学生の頃の浸かり具合との間に差が生まれるのも当然といえば当然のこと。
別に何者かになりたいというようなことを思っているつもりはないが、こういう当然の流れを辿ってしまっていることに何かしら感じるものはある。

何かしら感じるものはあるといえば、私は感情やらなにやらを具体的に言語化するのがあまり好きじゃない。
言語化した感情はその言葉の形になってしまって、もとあった不定形な輪郭と違った形になってしまう感じがするからだ。言わぬが花という言葉を拡大解釈して、座右の銘にしようとすら思っている。
しかし最近この弊害を感じることがある。語彙力が無くなっているという形でだ。
言語化を嫌い始めた頃の私は、恐らくそもそも言語化があまり上手ではなくて、そこからくる自分のアウトプットに対するコレジャナイ感を嫌ったのだと、今はそう分析している。
それは言語化を練習している真っ最中なのだから下手で当たり前で、言ってしまえば下手なことするくらいならやらない、みたいな、あまりよくないことをしただけな気はする。

眠れない深夜がくると、突飛な行動に出がちなように思う。いい加減寝た方が良い気がしてきたので唐突に終わる。

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