人生とは-光る言霊-

毎月行われる例祭ではお護摩が焚かれ、修行者の因縁切りが順調に運ぶよう浄化し、後押しをしてくれていた。そしてその後にご法話を拝聴する。
ご法話の内容はとても分かりやすく、ご自身が歩まれてきた道で筋道の通ったものだから心に響いてくる。
当時、仏教界では「異端児」として非難もされていたが、教えだけでなく実践行として説き。指導してくださった。
やはり、頭だけの教えでなく、実践・体得してこそ説得力を持つ。

私も、とにかく指摘された因縁について、一日も早く解決したく行に励んだ。
そして、或る時のご法話で「特異点」の話をお聞きする。

ーーーーーーー
それぞれの人生には、宿命と運命があるという。
宿命は、
前世から決まっているもので変えることができない。
運命は、
文字が示す通り、運ぶものであるから変えられるという。
人が生まれて肉体を離れるまでの間のほとんどが宿命といわれている部分で、バス停に譬えれば、停留所が宿命であり、停留所から停留所までをどのようなコースで辿るかは、自由意志であるのだと昔昔聞いた。

つまり、誕生という出発点から、肉体を脱ぐときの終着点までにはいくつかの停留所がある。たとえば、出発点から何年か後に病気をするとか、入学があったり、家族との別離があったり、就職や結婚があったり・・・と、節目節目になる時期と出来事などが停留所としてあるのだという。
この停留所は、宿命だからそこは避けては通れない。
ならば、どんなにコースを変えても、宿命から逃れることができないことになる。それが運命と言ってしまえば身も蓋(ふた)もないが、
確か「0.」いくつだったか、あるいは数パーセントだったか数字は忘れたが特異点というのがあって、それを活かせれば運命は変えられるという。停留所も変えることができる点を特異点と。
当時の私がそのお話を聞いてどれほど理解できたかどうか?
でも、可能性がたとえ僅かでもあるならば、それを試してみるのが最善ということになる。

ところで、私は子供の頃より父が晩酌をしている傍らで宿題をやったり、テレビを見ていたりして、何かと父の歩んできた人生の苦労話などを聞くことが多かった。「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」「なんでもすぐに分からないといって人に聞くな」「聞く前にまず、自分でよく調べること。それでもどうしても分からなかったら人に聞きなさい」「聞くは一時の恥、知らぬは一生(末代)の恥」「信用は見えない宝」「お金では買えないものがある」「信用を築くには時間がかかるが、失う時は一瞬だ」「無形の財産を大事にしなさい」等々、テレビを見ていても、そこに題材はいくらでもあるわけで、お酒が入ると何度でも繰り返し話して聞かせた。それは、父の実体験から来る教訓でもあったわけで、とても説得力があった。私は父の話し相手になって、そういう話を聞くのが好きだった。
だから、私は素直に苦労も厭わず、せっせせっせと人の嫌がることでも進んでした。それは、確かに自分を忍耐強くさせたし、辛抱強くもなった。
けれど、人の心の内側もよく見えるから、嫌だなと感じることも多く、何故?何故?と悩んだり、人間嫌いになることもあった。それは、自分の中にも見ることなので余計に自身を憂鬱にさせた。

そういうことも内面的に抱えていたので、なんとしても自分を変えたいと思っていたため、私は、その特異点にかけてみようと思った。
定められた停留所をそのままに歩むなんて嫌だった。自分自身も、家族も、みんな変えたいと真剣に思った。

いつそれが成就するか?そういうことは大した問題ではなく、とにかく自分の運命を変えることを意識のなかに深く刻んだのだ。

こういうのは、何かの保証があってやるものではない。
多くの人が、結果がどうなるのか分からなければ行動を起こさない傾向にある。
本当かどうか分からないのに無駄な努力はしたくないのだ。それは一種の諦めである。
そして何も行動を起こさずに人生を嘆く・・・

私は、そういう人生は耐えられない。やはり、人生とは自分で切り開くものだと思うからだ。
勿論、できるかどうかはやってみなければ正直分からない。けれどやる価値は十分にあるのだ。
可能性があるのなら、達成できなくても地道にこつこつ歩むことがどんなに大切であったかは、今の私にはよく分かる・・

当時は、特異点というのがあると聞かされても、それが何なのかも分からない。そんな「点」がどこにあるのか?目に見えるものでないだけに漠然としていて「ふ~~ん??」なんていうようなものだったが、何か解ける鍵がそこにあるような気がした。

とにかく「因縁を切るんだ!!」「自分(の運命)を変えるんだ!!」という思いだけは、ことあるごとに深く刻んだのだ・・・


そして、あれから何十年???
年を重ねるごとに特異点とは何だったのか?いろいろな形で理解できるようになっている。なるほどなるほどと。
恩師が何も分からない弟子(修行者)に明かりを灯し、導いてくださったお心遣いが、言葉に言い表せないほど有り難く感じている。
正に恩師の「特異点」のお話そのものが「特異点」の入り口そのものであったと、今、この文章を活字にしながら確認してしている。実に有り難い事で感謝、感謝です。

                                                      ーーーーーつづくーーーー


私を生かし活かしてくださりありがとうございます。
感謝、感謝申し上げます。(-人-)

                                        

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?