アラブの春とバーレーン  ―  #SaveHakeem運動に見るナッジ

ハネムーン


2018年11月27日、男はオーストラリア・メルボルン発の飛行機の中にいた。目的地は観光大国タイのスワンナプーム空港である。傍らには新妻がおり、これから一週間を過ごす予定のハネムーンに心を躍らせていた。

かつて男が何度か旅行で訪れたプーケットのビーチ。透き通る様な海、点在する島々がのどかさを演出する風景、パラソルの下で飲むトロピカルジュース…愛する妻にも一度味わって欲しいと願い、今回の新婚旅行を計画した。

およそ9時間のフライトも終わりに近づき、飛行機は空港に向けて着陸態勢に入った。時刻はもうすぐ21時になろうとしている。窓から見えるタイの夜景は、以前と変わらず男を出迎えてくれているようだった。この時点で、彼はこれから自分を待ち受けている苦難をまだ知らない。

本記事はその男、バーレーン出身のサッカー選手ハキーム・アル・アライビを巡る76日間の拘留を題材とし、今から約10年前に勃発したバーレーンにおけるアラブの春の顛末、そして行動経済学の理論であるナッジについて解説を述べるものである。



Red Notice (国際指名手配)


スワンナプーム空港に到着し飛行機から降りた矢先、アライビは現地警察に拘束された。国際警察インターポール(The International Criminal Police Organization: INTERPOL)による指示であった。彼はバーレーン政府からRed Notice(国際指名手配)を受けていたのである[1]。

アライビにとっても、その心当たりが全くない訳ではなかった。何故なら2014年にオーストラリアへ“政治的な理由”から亡命をし、難民としての立場が正式に認められ、メルボルンのセミプロクラブPascoe Vale FCでプレーするサッカー選手、というのがハキームの置かれた立場だったからだ。数日後、バンコクにあるクロンプレム刑務所に収容される事が決まった[2]。

それでは何故、オーストラリア政府から政治難民ビザ(Refugee Protection Visa[3])を得られておりRed Noticeの対象からは除外されていなければならないにも拘わらず、アライビは逮捕されてしまったのか。その原因はオーストラリア連邦警察(Australian Federal Police)とオーストラリア内務省(Department of Home Affairs)、オーストラリア国際刑事警察機構(National Central Bureau)の間でバーレーンからのRed Noticeとアライビの身分を照合する過程で、アライビの政治難民ビザの確認漏れが発生したためであった。そのヒューマンエラーの結果、アライビがメルボルン国際空港で出国手続きをする際に、彼の渡航情報がオーストラリア国境警察(Border Force)からバーレーン側へ入り、スワンナプーム空港での逮捕に向けた準備が進められる事となったのである。王政の国同士これまで良好な関係を築いてきたタイとバーレーンの間でも、アライビに関する密な情報交換と連携が取られていた[4]。



アライビの生い立ち


ここからは、何故アライビがバーレーンを亡命するに至ったのか、その経緯を述べていく。時系列順にアライビの身に起こった事を明らかにするため、彼のサッカー選手としての生い立ちを振り返りたい。

アライビは9人兄妹の7番目としてバーレーンの首都マナマからほど近いジダフスという町で生まれ育った。傍らにはいつもサッカーボールがあった。路地裏や狭い空き地でもボール一つさえあれば時間を忘れて友達と楽しい時間を過ごすことが出来たからだ。10歳になるとマナマに拠点を置くサッカークラブ、アル-シャバブに所属し本格的にトレーニングを開始した。

フィジカル的にも恵まれていたアライビは、より肉体的な強さが求められる守備的なポジション、センターバックでその才能を開花させた。憧れの存在だというスペイン代表セルヒオ・ラモスと同様、相手チームが蹴り込んでくるロングボールを強烈なヘディングで跳ね返し、ドリブル突破を仕掛けてくる敵を体ごと弾き飛ばした。実力が認められ、バーレーンのユース世代の代表チームに選出されたのは2009年、15歳の時であった。



アラブの春とバーレーン


ユース代表での試合も経験し、サッカー選手として順風満帆のキャリアを歩むアライビであったが、アラビア半島を巡る情勢は刻一刻と変化していた。時は2010年12月、始まりはバーレーンの西北に位置する地中海北アフリカであった。チュニジアのジャスミン革命に端を発し、エジプトやリビアといった近隣諸国へ波及した民主化運動アラブの春は、あっという間にバーレーンを含めた中東諸国までをも飲み込んだ[5]。

宗教的には、バーレーンはスンニ派とシーア派が共存する人口約180万人のイスラム教国家である。国を統治する王家ハリファ家はスンニ派であるが、国民の大部分はシーア派が占めており、アライビもシーア派を信仰していた。2011年に入り、そのスンニ派政権に対するシーア派市民らによる抗議活動が広まり、2月14日のバレンタインデーには首都マナマで大規模な暴動が発生した。

この時、レスリング選手やハンドボール選手と共に、多くのサッカー選手もそのデモ活動に参加しており、例えば2004年のアジアカップ日本戦で2得点を挙げ大会得点王にもなったアラ・フバイルも看護師として怪我人の手当に携わっていた。

結果として、湾岸協力会議(Gulf Cooperation Council: GCC)に加盟するサウジアラビアが主体となって指揮した軍隊「半島の盾(Peninsula Shield Force)」の支援もあり、バーレーン政府がこれらの暴動鎮圧に成功した。サウジアラビアの積極的な介入がなされたのは、バーレーンがシーア派に政権を奪われ、シーア派国家であるイランが勢力を増す事を恐れていたためであった[6]。


写真1 近代的な高層ビルが立ち並ぶ首都マナマの現在の街並み


フバイルら暴動に加わったスポーツ選手達はその後逮捕され、代表チームへの参加権を剥奪された[7]。この一連の事件に対するバーレーンサッカー協会会長サルマン(後述)の振る舞いに対し、選手の保護を怠っていると批判をしたのがアライビであり、それが後に尾を引くことになった。以降もスンニ派政権とシーア派の間で不安定な情勢が続く中、彼にとって運命を決める事件が起きたのは、マナマでの暴動から一年以上経過した2012年11月7日であった。

本人の証言によれば、その日所属クラブでの公式戦を終えたアライビは自宅に帰ると、待ち構えていた警察によって兄と共に連行され、そのまま4カ月間拘留されてしまう。アル・カミス警察署を襲撃した罪というのがその理由であったが、アライビは同時刻にアル-シャバブの一員としてサッカーの試合に出場しており身に覚えのない事であった。

その情報の正確さを確かめる術がないため本点に関してはこれ以上の言及を避けるが、この事件が契機となり身の危険を感じたアライビは2014年1月カタール遠征の際に帰国せずそのままイラン、イラク、マレーシアを経由しオーストラリアへ亡命を果たした。前年の2013年11月には年齢制限のないフル代表での試合初出場を叶えただけに、苦渋の決断となった。そして前述の様にアライビは2018年11月、タイで再び拘束される事になる。



アジアのサッカー界を束ねるバーレーン人、シェイク・サルマン・アル・ハリファ

アジアサッカー連盟(AFC)の会長を2013年から今日まで務めるシェイク・サルマン・アル・ハリファは、同時にバーレーンサッカー協会会長である。世界サッカー連盟(FIFA)の副会長でもあるサルマンは、バーレーンのサッカー界が政治とは切っても切り離せない状況を生み出している張本人でもある。前述のとおり、バーレーンは少数派スンニ派の王家が国家を束ねる君主制度を取っているが、サルマンはその王族の一人であり政界に繋がりがあるからだ。

オーストラリアの元サッカー代表選手であり、現在は人権派ジャーナリストとして活動するクレイグ・フォスターは、AFCやFIFAを通してアライビ釈放を画策したが、これら国際サッカー組織からの積極的な協力を得る事が出来なかったのはサルマンの存在が影響していたからだと考えている[8]。それでもフォスターらのFIFA訪問などの動き自体がメディアを通じて世界へと発信され、人々の注目を集める事に成功していた[9]。国際問題化する中で力を発揮したのが、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)であった。



#Save Hakeem運動の広がりとSNSナッジ

Pascoe Vale FCとフォスターに加え、Human Rights WatchやAmnesty Internationalといった国際人権NGO、中東で難民支援活動をするGulf Institute for Democracy and Human Rights(GIDHR)というNPO等が中心となって行われたキャンペーンが#SaveHakeemである。SNSの一つであるTwitter上で#SaveHakeemとともに、アライビの窮状を訴えるツイートが広まった。国際的に有名なプロサッカー選手が支持した事もあり総計2,107,423回にも上り、フォスターによる関連ツイートは3000万以上の「Like」により世界中に拡散された。

これら市民運動の後押しを受け、タイのプロサッカークラブによる抗議活動が巻き起こり、オーストラリアサッカー23歳以下代表チームのタイ遠征はボイコットされた。そしてオーストラリア政府によるアライビ解放を要求する声明文公表により、タイ政府とバーレーン政府に対する世界からのプレッシャーはピークに達していた。筆者はこれらアライビの支援者らによって展開された一連の働きかけに、ナッジの連鎖を感じた。

ナッジとは、アメリカ合衆国の経済学者であるリチャード・セイラーとキャス・サンスティーンが提唱した行動経済学の考え方の一種である。元々は倫理的な国家建設を目的とし、福利厚生や一人一人の自律と尊厳、そして自治を守るために人民をひじでそっとつつく(ナッジ)ように誘導する事の有効性を説いた。嘘や強制的な人心操作では決してなく、人々が選択する環境(いわゆる「選択アーキテクチャ」)の改善を通して、より賢明な選択が出来る[10]。誰もが自分の意志で選択を決めたと思えるための適切な情報公開や初期設定されたデフォルトルールが強い影響力を持つことが心理学の観点から明らかにされ、近年では政府だけでなく一般企業やNPOでも取り入れられている[11]。


写真2 ナッジを提唱した経済学者リチャード・セイラー



イギリスの行動科学チーム(BIT)によると、ナッジを成功させるためにEASTの観点からの戦略構築が推奨されている。Easy(簡単)に実践でき、Attractive(魅力的)かつSocial(社会的意義がある)な内容であり、Timely(時宜を得ている)であることが成功条件であるとした[12]。これら4点を満たしていたことが、#SaveHakeem運動が成功した理由であった。簡易的に#SaveHakeemを付け加えてツイートするだけというシンプルさがあり、理不尽にも幽閉されている一人の人間を救うという社会的意義を備え、スターサッカー選手らとの一体感を得られる魅力的でタイムリーな活動だったからこそ、人々は続々と参画した。

また、世界的なベストセラーとなった『Freakonomics(邦題:ヤバい経済学)』の著者スティーブン・レヴィットとスティーブン・ダブナーは、ナッジを取り入れる上で「物語を語る」必要性を主張している[13]。物語のおかげで、人々は自身をその対象に自分を重ね合わせられる。#SaveHakeem運動は宗教や政治的側面からの難民救出といった生々しい打ち出し方ではなく、「サッカー界のファミリーとして仲間を助けたい。いや、何としてでも助け出さなければならない」という文脈で物語を語った事で世界中の共感が得られたのである。

スワンナプーム空港で拘留されてから76日後の2019年2月12日、アライビは無事釈放されオーストラリアに“帰国”することとなった。彼はオーストラリア政府から前述のヒューマンエラーに対する謝罪を受けると共に、正式なオーストラリア市民権を獲得する事が出来た[14]。今年27歳になったアライビは、現在もメルボルンのPascoe Vale FCでサッカーが出来る喜びを噛みしめている。



写真の出展

l  写真1 Zairon. Manama Skyline, Bahrain, via Wikimedia Commons, Creative Commons Attribution-Share Alike 4.0

l  写真2 Nyman, Bengt. Richard H. Thaler EM1B8783, Nobel Prize Laureate in Economics 2017, via Wikimedia Commons, Creative Commons Attribution 2.0


参考文献

l  Foster, C. (2020), Fighting for Hakeem, Hachette Australia, Sydney




[1] アライビへのRed Noticeがバーレーンから発行されたのは、アライビがタイへの観光ビザを申請した日だと考えられている。なおRed Noticeとは、加盟国のリクエストに応じてインターポールによって発行され、対象者を起訴し裁判を要求するものである。INTERPOL Website, “Red Notice” (2021年10月1日閲覧)

[2] 刑務所では、バーレーンに送還されたら命の保証はないという恐怖心が彼を支配していた。「オーストラリア外務貿易省(Department of Foreign Affairs and Trade)から事前に海外渡航は問題ないと助言を受け、タイ大使館で観光ビザも事前に取得したのに何故?」と困惑していた。

[3] オーストラリアの政治難民ビザに関する詳細はこちらを参照願う。Australian Government Department of Home Affairs, “Protection Visa” (2021年10月1日閲覧)

[4] Sanderson, P. (2019), “Stuck between two kings: a possible explanation for Hakeem al-Araibi's detention”, Sydney Morning Herald.(2021年10月1日閲覧)

[5] 田原牧.(2014), ジャスミンの残り香 ――「アラブの春」が変えたもの, 集英社

[6] GCCはサウジアラビアに加え、バーレーン、アラブ首長国連邦、クウェート、オマーン、カタールの6ヶ国で形成されている。西野正巳. (2016), “「アラブの春」後の中東情勢(2011~2015)の概況と考察”, 防衛研究所紀要第 19 巻第 1 号

[7] フバイル自身はその後代表に復帰している。Fox Sports. “Leading Bahrain players A'ala and Mohamed Hubail arrested for taking part in anti-regime protests”. (2021年10月1日閲覧)

[8] フォスターらアライビ支援者達はFIFAやAFCによる、バーレーンとタイの国際サッカー大会出場権はく奪といった制裁を要請したが、これら国際サッカー組織は”状況を憂慮する”声明文を公表するに留まった。FIFA Website, “FIFA statement on Hakeem Al Araibi” (2021年10月1日閲覧)

[9] 筆者自身も丁度この時期にイギリス・リバプール大学院に在籍しているタイミングで、BBCニュースやThe Guardian誌でアライビに関する情報に接していた。

[10] Thaler, H. R. (2018), “Nudge, not sludge”, SCIENCE, Vol 361, Issue 6401

[11] 例えば、ドイツの実験ではグリーンエネルギーの使用を選択制にするのではなく、そのメリットを明確にすると同時にデフォルト使用設定にする事で利用率を10倍にする事に成功した。Sunstein, R. S. (2020), Behavioral Science and Public Policy, Cambridge University Press (吉良貴之(訳)(2021), 入門・行動科学と公共政策 ナッジからはじまる自由論と幸福論, 勁草書房)

[12] Sunstein, R.S. (2016), The Ethics of Influence: Government in the Age of Behavioral Science, Cambridge University Press (田総恵子(訳)(2020), ナッジで、人を動かす ――行動経済学の時代に政策はどうあるべきか, NTT出版)

[13] 人に何かを伝え興味を引くためには、真実を時系列的に語る事で強烈な印象を残す事が不可欠である。Levitt, D. S. and Dubner, J. S. (2014), Think Like a Freak: The Authors of Freakonomics Offer to Retrain Your Brain, William Morrow (櫻井祐子(訳)(2015), 0ベース思考---どんな難問もシンプルに解決できる, ダイヤモンド社)

[14] ABC. “AFP Commissioner personally apologises to Hakeem al-Araibi over his detention in Thailand”. (2021年10月1日閲覧)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?