【独自】今月11日、珠洲市内で牧場を経営している松田徹郎さんと一緒に、孤立状態にある別の牧場へ歩いて向かいました。
牧場は珠洲市の山中にあり、唯一つながる道は地震で崩落。車では行くことができません。
周辺は発災直後から停電や断水となり、携帯の電波は10日ほど前に復旧したばかりです。

孤立状態となった牧場主は元旦の地震から4日後、要請を受けた自衛隊のヘリによって救出されており、牧場はいまも無人の状態です。
牧場主は電波状況が不安定な中、辛うじて送信できたメールで孤立状態にあることを行政へ伝え、救助を求めたそうです。
自衛隊のヘリで救出された牧場主は〈牧場の名前を出さないこと、牛舎以外の映像を出さないこと〉を条件に、私が現地で撮影した映像の公開を許可してくれています。
危険な崩落箇所を越える必要があるため、好天の日を選んで現地へ向かいました。

孤立状態にある牧場の牛舎は松田さんから聞いた話の通り、屋根だけを残して完全に倒壊しており、牛舎の周辺にはウサギなどの小動物以外の足跡はなく、静まりかえっていました。
近づくとわずかに腐敗臭を感じ、事前の想像が当たっているかもしれないと思い、覚悟を決めて牛舎の中を覗き込みました。
倒壊した牛舎の中を覗き込むと、1頭の乳牛が立っており、その周辺には天井板らしいコンパネが散在していました。
この牛舎は「つなぎ牛舎」と呼ばれる造りで、30頭の経産牛(搾乳牛)が15頭列になって向き合っています。
人間が来たことに気づいたのか、牛舎の中から牛の鳴き声が聞こえてきました。

換気口から牛舎の中へ入ると、数頭の牛が崩れた柱などに挟まれた状態で死んでおり、押し潰されずにいた牛たちは怪我や衰弱に耐えながら辛うじて生きているような状況でした。
強い余震が頻繁する中、牧場主が1人でどうにかできるような状態ではなく、自分の命を守るだけで精一杯だったと思います。
元旦以降、能登半島では余震が頻発しており、孤立した牧場に留まり続けるのは大きなリスクを伴います。
救助要請は正しい判断であり、道が寸断されずにいたならば違う結果になっていたかもしれません。
救出までの5日間、牧場主がどんなに悔しく怖い思いでいたのかを想像すると胸が苦しくなります。

松田代表は19日にも孤立した牧場に出かけており、その時の様子を伺うと「11日には生きていた牛の大半が死んでおり、ごく数頭が生きていた」とのこと。
能登地区には発災前、2市4町に16戸の酪農家が営農していましたが、19日時点で生乳が出荷できているのは6戸のみといった状況です。
松田牧場も出荷ができておらず、停電は19日に復旧しましたが、断水の厳しい状況が続いています。

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能登半島地震による一次産業の被害は甚大で、酪農を含む畜産業も被害が深刻で再建できるかどうかわからない状況です。
苦しんでいるのは畜産業だけではありませんが、このような被害があることを広く知って欲しいとの思いから投稿しました。
同行した松田さんも同じ考えです。


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