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🟥日航機墜落事故から39年…元JAL客室乗務員が「事故ではなく事件」と言い切るワケ ✔️自衛隊機のミサイルが垂直尾翼を破壊 ✔️多くの人が自衛隊機が追尾する姿を目撃 ✔️事故現場の報道を故意に遅らせたメディア ✔️当時多くの生存者がいたという証言も 真相を知る米軍・米国

多くの木々がなぎ倒されていた痕跡がない

尾根に突っ込んだとしたら、多くの木々がなぎ倒されていたはずなのに、その痕跡がまるでなく、空中で破壊されたものが炎と共に落下したとしか思えない現場となっています。

墜落場所の特定に13時間かかっている

救難活動のために21時30分に出動した陸上自衛隊が現場に到着したのは翌日の午前9時、11時間30分を要しています。
時間がかかった原因は、誤った墜落位置情報が流されたためであるとしています。

消防・警察や災害派遣要請によって出動した航空自衛隊の地上捜索隊、陸上自衛隊の各捜索隊など、地上からの捜索に時間がかかり、21時30分の群馬・長野の陸上自衛隊への派遣要請から11時間30分後の翌朝9時まで現場に到達することはできませんでした。

沖縄嘉手納基地から横田基地に帰投中の米軍C-130輸送機は、123便墜落の約20分後に、横田基地から探索命令を受けて一帯を捜索、墜落の約30分後である18時30分前に、墜落現場の上空600mで旋回し、正確な墜落地点を横田基地に知らせています。

この報告を受け、米軍横田基地はC-130機に救難チームを乗せたヘリを現場に向かわせ、午後8時50分、C-130機が米軍救援ヘリの到着を確認。

米軍ヘリは救助活動続行を申し出たが、「日本の救助隊が向かっている」との理由で帰還を命じられたのです。

午後9時20分、日本機 (F4) が事故現場上空に到着、午後9時22分、C-130機は航空機が日本の救助隊であることを横田基地に確認した後に現場を離脱しています。

航空自衛隊の基地司令官から、元自衛隊員の友人に電話がありました。
「えらいことをした。無人標的機を民間機に当ててしまった。今、百里(ひゃくり)基地から偵察機2機に追尾させているところだ。」
電話を受けた男性が匿名を条件に証言。

公式記録にはありませんが、123便に対しファントム2機の追尾がたくさんの人に目撃されています。

無線傍受していた航空管制官が、アメリカ空軍機の無線を傍受し、「当たってしまった」、「それはビンゴだろ」というやり取りを傍受していました。

右は、東京 奥多摩付近にて、墜落7分前の123便を捉えた写真です。

日本航空CAを務めていた落合由美さんの証言

生存者は吉崎博子さん、美紀子さん、川上慶子さん、落合由美さんの4名。
その生存者の1人、落合由美さんの証言です。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、パ-ンという、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。
バーンではなくて、高めのパーンです。急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。
前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」
「パーンという音と同時に、白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」

「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。
白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。
すっと消えた、という感じだったのです。」




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