見出し画像

あなたは経木を知っていますか?

こんにちは。 
ぼくは福島県只見町で経木を作っています。

経木と聞いて、ああ、あれか、と思われたあなた、そうとうご年配の方ですね? 
経木は「きょうぎ」と読みます。
木材を紙のように削った薄い板で、厚みは0.15mm~0.2mm程度。板というよりは紙に近くペラペラで、現在のように多様な包装材がなかった時代には主要な包装材として使われていました。ボール紙(厚紙)が作られるまでは和紙と経木を貼り合わせて箱にもしていました。ぼくはタバコ呑みではないけれどマッチ箱蒐集が好きでして、経木で作られた古いマッチ箱を持っています。
原料となる木は杉や松などの針葉樹。これらには抗菌作用があるため、特にお肉やおにぎりなど食品の包装材として用いられていました。調湿機能にも優れていて、お肉から出るドリップを吸収したり、おにぎりを乾燥から防ぐなどの効果もあります。

そしてなによりも自然由来の天然素材。燃やしても燃焼により発生する二酸化炭素は森林が吸収し樹木の成長を促進させるため環境負荷はありません。万が一、風に飛ばされてどこかへ行ってしまっても大丈夫。腐ったり朽ちたりしていずれは土に還る100%生分解性です。

気候変動、温室効果ガス、海洋マイクロプラスチック…。不安なキーワードに溢れる現代において、経木はそれらを解決するソリューションのひとつ、今こそ見直されるべき包装材と言えるでしょう。 そんな経木ですが、今ではほとんど目にしなくなってしまいました。一体なぜでしょうか? 

日本最古の包装材

経木の歴史は古く、大和時代から包装材として使われてきたそうです。いまでは紙やラップ、ビニール袋など包装材の種類は多種多様にありますが、昔は経木くらいしか無かったのだろうなと容易に想像できます。 ちなみに名前に「経」の字が使われるのは、紙のない時代にお坊さんたちがお経を経木に書いていたからなのだそうです。

そんな経木の長い長い歴史に変化は突然訪れます。昭和30年代の中頃、発泡スチロールなどプラスチック製品の台頭とともに経木は包装材としての活躍の場を奪われ、隅に追いやられてしまったのです。経木の不遇の時代の始まりです。

斜陽産業となった経木業界

発泡スチロールの登場が一番インパクトを与えたのはおそらく漁業関係でしょう。それまでは木製のトロ箱に氷を敷き詰めて海産物を流通させるしかなかったため、新鮮な海産物の流通には距離の限界がありました。しかし断熱性に優れた発泡スチロールがトロ箱として採用されると、漁港に水揚げされた海産物を全国津々浦々まで新鮮な状態で輸送することが可能になりました。

また、発泡スチロールは安価に大量生産が可能で耐油・耐水性に優れていたことから、計り売りが中心だった食品の販売方法も変わりました。トレーにあらかじめ計量された商品を陳列するスーパーマーケット方式の大型店が増えたのです。その一方で計り売りが中心の専門店が軒を連ねる商店街は姿を消していきます。世の流れとはいえ、ちょっと寂しいエピソードですね。 
そして経木中心だった包装業界が一変したことで、全国に多く存在していた経木屋さんの多くが廃業し、プラスチック包装材を取り扱う販売店へと姿を変えてしまいました。最盛期には全国に800軒以上もあったという経木工場は、もう十数軒ほどに激減しています。いまや包装材の主流は間違いなくプラスチック製品です。この数年でテイクアウトが定着しましたが、容器はプラスチックや発泡スチロールがほとんど。環境負荷を思えば嫌だなと思っても、注文した食事がプラスチック容器で提供されれば受け取ってしまいます。

これはなんとかしないといけません

でも、そんなぼくも数年前までは経木のことなどなんにも知りませんでした。
それがどうして経木を作ることになったのか。 
そのへんの経緯をこれからお話ししたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?