見出し画像

マーク・トウェイン

”奇跡ならどんな証拠もその答えになるが
    事実には証明が必要だ”


マーク・トウェインは著作家で、小説家でした。
「トム・ソーヤーの冒険」を書いた人です。

哲学者というより世界中で演説など小説家として
生涯を過ごした人で有名です。

彼のこの言葉は皮肉を交えているように感じる
人もいるでしょう。私は正直言って皮肉を交えていると
思います。ですが、それは些細な事です。

この言葉は誰がどういえ、真実だからです。
奇跡ならというのが作家らしい文頭で、他の分野の
人よりもユーモアがある言葉で夢があって私は好きです。

哲学の面白い所は各界に存在するというところです。
つまりは哲学とは、探求し追求し続けた者たちだけが
見ることの出来る世界です。

対象は何でもいいです。
しかし、何が起ころうとも頑張り続けると言う事は、
想像よりも遥かに難しい事です。

人生には色々な事が、自分の身や近しい人の身にも
いつ起きるかも分からないですし、
どれだけの規模の事が起こるかも分かりません。

その中で、頑張り続ける事は非常に難しいものです。

だから哲学は最初は誰かに学ぶものではなく
自分で道を切り開いた者にしか見えないのです。

そして哲学の醍醐味は、答えは我々が生きる
この世界に存在するというのが前提だと言う事です。

つまりは、人生にとって不必要な事は無いもので
あって、知れば知る程、独りでも楽しめるのが
特徴と言えるでしょう。

他でも書きましたが、哲学を多少学んでおくと
漫画や映画、ドラマに至るまで言葉を変えて
使われていることは多々あります。

そういった作品は、やはり人気が高いものが
目立ちます。初めてそれを目にする人にとっては、
激しい感動や、熱い情熱を感じることが
できるので、人気も当然高くなります。

偉人たちが残した言葉は、人の心を打つものが
大多数を占めます。

”奇跡ならどんな証拠もその答えになるが
    事実には証明が必要だ”

この言葉のように、言葉を巧みに使える人の
言葉には、何かしらの刺激を受けるものが
多くなります。

この言葉の私的ですが、気持ちの良い点は、
奇跡ならどんな証拠もその答えになる」

この言葉になります。
マーク・トウェインが奇跡を見たのかどうかは
分かりませんが、奇跡というものは、その定義が
まずは難しいものであるということです。

だからこそ、反論できない言葉となっている点が
非常にやられた感を感じてしまいます。

今、私は苦笑いしながら考えていますが、
ロマンもあり、ユーモアのセンスも良くて、
奇跡と事実の違いを明確に言葉としています。

奇跡とは何か調べてみました。

常識で考えては起こりえない、不思議な出来事。
または現象。
神の超自然的な働きによって起こる不思議な現象。

なかなか手強い。実に手強いです(笑)
一瞬では反論することは出来ない程、
実に綺麗な言葉として残してます。

”奇跡ならどんな証拠もその答えになるが
    事実には証明が必要だ”

ダメです。この言葉には反論の隙さえ
見当たりません。

私の人生で奇跡があったかどうかは
どんな証拠もその答えになる時点で、
記憶に留めておく事すら出来ないという
事になります。

それは自分では気づかないものも
含まれるし、これは自分だけで感じ取れる
ものでは無い点もあります。

外からの視線、つまりは知り合いや友人等
からの事も含まれています。
自分では奇跡では無く、実力だと思っていても
視点が周囲からになると、奇跡と見える場合も
あるので、この言葉は納得はできませんが、
反論出来ない以上、納得するしかありません。

久しぶりに良い言葉が私のメモに残っていました。
日付は2012年とあります。

当時の私はこの言葉に対して、
賛辞しか述べてません。

今も再び出会い、重ねて素晴らしい言葉だと
思い知らされました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?