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「名ばかりの成功者になるよりも、真に価値ある人になれるように努力しよう」アルバート・アインシュタイン(理論学物理学者)

哲学者の概念は現実社会との繋がりが
あり、夢や空想とは一切関係ないことが定義と
されている。

その為、哲学者という大きな枠の中に、
自分の理論に基づく分野があれば、哲学者と
呼ばれる事もあるが、理論的に成立しない場合は
哲学者では無いと言える。

アインシュタインもその中の一人と言える。
自身での理論から哲学者と呼ばれる事も多いが、
彼自身はあくまでも、理論物理学者であった。

そのため、哲学はしばしば勘違いされる事も
実際多い。あくまでも1つ以上の何かしら
現実の世界との繋がりを持つ持論を証明する理論
が必要となる。

物理学者や数学者が哲学者に多いのは、理論に
強い分野だからだとも言える。

アインシュタインもそうであったが、
柔軟なスタイルは持ち続けていた。
彼は女性から非常に人気があり、実際、
彼を慕う女性は大勢いた。

それはやはり、ユニークさや言葉の表現力に
魅せられたのも、モテる男の秘訣の1つだった
と言えるだろう。

それは時代に左右されないものである事は、
男女ともにそれは理解できる事だろう。

カウンセラーさんに以前、聞いた事がある。
「私は理論的に正しい事なら苦言を求める」
と言った。
何故そのような話になったかと言うと、
父母の言動から人間性自体に、疑い持ち始め
ていたからだった。

年齢を重ねても、何一つとして正しい事はせず、
目的の為なら手段を選ぶなという考えをしていた。

だから、カウンセラーさんにそう尋ねた。
彼女は少し間を開けて答えた。
「実際に苦言を求めているのは、殆どいないです。
口では言っても、現実に苦言を言われれば大抵の
人は、それに対して嫌だと思うのが現実です。
私も苦言を言われる事を嫌っている一人です」

私は黙ったままそれを聞いた。そして再び尋ねた。
「私のような人間は担当している患者にいますか?」

彼女は少し考えて、
「おそらくいませんね。〇〇さんだけです。
〇〇さんは、行動でそれを示しているので、
苦言を求めているのも確かでしょうし、
子供の頃から尋常では無い体験をしてきた
ので、許容範囲が普通の人よりも大きいから
受け止められるだけで、普通の人には
難しいことなんです」

私はなるほどと思いながら、時間がきたので
帰った。帰りの車中の中で、自分でも実際に
起きるまでは、予想はしていた事よりも、
複数に渡る精神の苦痛や体内出血、悪夢、の
恐ろしさは、予想出来ていなかった。
結局のところ、体験しないと何も分からない
に近い事だと、経験を経て理解できた。

哲学は実にそれに近いものだと、思える
ようになっていった。
総称して哲学と呼んでいるが、それぞれが
自分の仕事、あるいは趣味として、理論を
打ち立てようとしている人は大勢いるが、
挫折すれば、哲学にはならないし、哲学の
本当の意味を知る事も無いまま終わる。

一番大事なのは、共通して言えることだが、
自分自身が精神的に強くなる事が一番必要
だと気づいた。

折れない心、文字では書けるが、実際に
それを持っている人は極々少数だと
カウンセラーさんは言いたかったが、
言葉として出すには、それなりに文章力が
無いと言葉には出来ない。

彼女はノベル、ライトノベルは幾つか
趣味で読んでいたが、noteなどで書いている
訳ではないので、言葉としては出なかったが、
気持ちは理解できた。

私がnoteを彼女に勧められた時、
アクション描写が書かれたモノはあったか
尋ねた。
彼女は考えた後、答えた。
「ノベルの場合は挿絵とかが入るので、
小説よりは読みやすくはなってますが、
〇〇さんが求めているようなアクション描写
は無いですね」

私は書けば書くほど、アクション描写を文字に
する難しさを知った。
しかし、書けば書くほど、上達しているのは、
自分の過去の文章を見て実感していった。
その多くは下書きとして残してはいるが、
今となっては不要の産物でしかないので
消す事になるだろう。

アクション描写の難しさは、読み手に伝える
為に、文章が長くなりやすい点、
出来るだけ同じ言葉は使わない点、
そして山場を何処にするか等、他にもあるが、
それを書けるようにするには、
まずはアクションシーンを知らなければ
ならない。

私は映画や漫画等、多くを何度も読み返し、
以前話した、「七王国の玉座」のドラマでは
描かれなかったプロローグのアクション描写
をもう何度読んだかも忘れるくらい、
読み返した。私の狭い知識の中では、
確かなアクションシーンがあったのは、
あのプロローグだった。

海外ドラマでは描かれていなかったのも、
良かった事だった。
仮にドラマで描かれていたら、
脳内に残るので、描写に対して簡単に
思い返せるが、ドラマにはないものであった
為、自分の想像力で描く力が試される。

今はある程度は書けるようにはなったが、
そのプロローグは今でも読む事は多い。
原点とも言える1対1の戦いではあるが、
戦闘時の描写の表現力は、まだまだ
足りないと自覚しているからだ。

ただ単に戦う描写なら簡単だ。
だが、それでは人の心を惹きつけられない。
戦いの中でもセリフや、どのようにして
戦っているか詳細を描写できなければ、
アクション小説とは言えない。

少なくとも、国内で出ている有名な小説
の中には、それは無かった。
ある程度、アクション描写が書けるように
なった時、1話完結の現代ミステリー小説
を2本書いてみたが、非常に楽だった。

私が3度ほど書いたのは、
長編アクションファンタジー小説だった。

これは私の中で決めている事だが、
矛盾が出たら終わりだと思っている。
そう言った意味では、
「ハンター✖ハンター」での
ヒソカ対クロロ戦で、ヒソカを
生き返らせた時には非常に残念だった。

惜しいキャラ過ぎるのは理解できる。
だが、生き返る事を話に入れると、
全てが砕け散るように、何でもありに
なってしまう。

長編アクションファンタジー小説とも
なると、世界設定から国々や種族、
関係性、そして単にファンタジーに
するのは簡単だが、そこにも理由を
考えた。物語上、読者が納得できる
理論的な意味を持たせた。

ほとんどは同じ物語であったが、
内容は最初から書いていけばいくほど、
自分の目で見ても上達していったが、
今はまだ無理だと判断した。

少なくとも自分が納得できる
ものでない限り、公開する気は無い。
自分で満足していなくても、
評価されるものになる場合もあったが、
それでは駄目だ。

「名ばかりの成功者になるよりも、
真に価値ある人になれるように努力しよう」

アインシュタインの死から
約70年ほど経つが、
彼の言葉が色褪いろあせる事は無い。

現代に於いても、この言葉は的確に
人の心に突き刺さる。

アインシュタインの言葉には特徴がある。
それは分野に関係なく、全ての分野に
対しても、適応するという点だ。

こういった人物は数少ない。
しかし、彼もまた過去の偉人から
学んで、自分という人間を確立させた。

真に理解する事は、何事に於いても
非常に難しいものであるからこそ、
彼のような人物は少ないのだと私は思う。

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