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映画「イコライザー」殺し屋に戻った理由

冒頭にまずこの言葉から始まる。

人生で一番大切な日は生まれた日と、
生まれた理由が分かった日

マーク・トウェインによる言葉だ。

私にはまだどちらも分からないでいる。
だが、いつか気が付けばいいとは思っている。

今はまだ答えを求めるには早過ぎるのだと、
自分でも思える言葉だからだ。

映画の事はたまに書くが、見る度に、
どこを重点的に見るかは、私の現実の世界の
変化によるものだろうと思う。

過去の自分を知るために、
昔の自分を振り返ってみた。

完璧を求めるよりも前進する事が
大切だ。

他人の為だけでなく、
自分であり続けるために行動を起こす。
人助けは自分のためにするものだ。

それが大事だと理解はしているし、
実践もしている。

しかしだからと言って、悟れているのか
どうかは別になる。

ヒューマン系映画を見る度に気づかされる事がある。
理由は明白だ。
自分の現実での変化があれば、見る目も変わる。

この映画の中でも、主に二人の人物が主人公だと
言える。

二人ともが孤独であった。
一人はロシアンマフィアが仕切る店で
働かされる女の子で、
もう一人は過去に人殺しを生業としていた
妻に先立たれた男。

映画の外にいる私も同じように孤独である。

だから時間は作れるし、時間の多くを自由に使える。
孤独になってから数年が過ぎたが、
寂しさを感じる事はほとんど無い。
何故なのかは分からないが、
強がって言っている訳でも無い。

だが彼は違った。
孤独な女の子がいつもの店に入ってきた時、
ほんの1,2秒程度だが、彼女に目を向けていた。

彼女もまたいつも一人で、紅茶を飲む彼に対して、
何かしらの感情が芽生えていた。

彼は他の男とは違い、彼女に一切の興味も
示さなかった。それは心とは裏腹のものであったが、
彼は敢えて彼女の領域に踏み込まない事で、
彼女の方から話しかけてきた。

この二人のセリフを一部抜粋したものがこれになる。

「それは見方による。老人は人生の黄昏で
最高の敵に出会い、魚に自分を見た。
戦うほどに敬意を覚えた」

「なら逃がせば?」

「老人は老人。魚は魚。自分以外にはなれない。
しょせんね」

二人の会話は映画の中で、このシーンの場合、
5分に満たない程度であった。
しかし、充分に考えさせられる会話であった。

彼は普段は自分を隠している。
仕事場では陽気な男で、仲間うちからも
良い人だと思われている。

そうする事によって、本当の自分ではないが、
明るく過ごせている。

老人は人生の黄昏で、最高の敵に出会い、
魚に自分を見たとある。

そして戦うほどに敬意を覚えたともある。

この意味は実に深い。巨大な魚である故に、
当然ながら高齢である事から、自分自身を
見た。

相手は巨大な魚ではあったが、釣り上げる
事によって、人生の黄昏、つまりは最後の
戦いのような、出会うべくして出会えた事は、
運命にも似たような感情が入っていた。

魚も必死で抵抗する事によって、生きるか
死ぬかの堺にありながらも、諦めない精神を
魚に見た。

だから戦えば戦うほどに敬意を覚えた。

「なら逃がせば?」と思うのは当然とも
取れるが、所詮は生きる世界が違っていても、
お互いに全力で頑張る事に意味があった。

「老人は老人。魚は魚。自分以外になれない。
しょせんね」

この言葉は自分自身と、酷な事だが彼女に
対しても伝えた言葉だった。

彼は彼で、妻がいたからCIAで殺しの仕事を
していた。二つの現実がある事によって、
彼を安定させていた。

しかし、妻に先立たれ、彼は死を偽造して、
誰にも知られることなく、
CIAから遠ざかって行った。

一番の旧友にでさえ、彼は自分が生きている
事を教えなかったが、彼女は自分の旦那に
言っていた。

「彼は絶対に生きてる」と。

「老人は老人。魚は魚。自分以外になれない。
しょせんね」

彼がいくら自分自身を、昔のように殺しの世界
から遠退とおのいても、しょせんは、
一番得意なのは殺しでしか無かった。

誰かを助けていてもキリが無い事は
知っていても、身近な存在だけでも助けて
あげたいと彼は思った。

きっかけは、彼女がロシアンマフィアによって、
ボロボロにされて入院していたのを目にした
からだった。

穏便に済ませたいと彼は願って、全財産を
持ってロシアンマフィアのアジトに向かった。

しかし、彼には分かっていた。
例え自分が全財産払ったとしても、
相手が言うことを聞く訳が無いと。

彼は強迫性障害を映画の中で演じていた。
難しい病気の一つで、本人は周りから理解されず、
周りからは頭のおかしいヤツだと思われる。

この映画の中では重度では無いが、所々に
それは入っている。
彼の場合は軽度なので、ホームセンターで働いて
いる時は、そう見られないようにしていた。

彼がこの言葉を言った時には、自分自身も含めて
彼女自身も含めて、現実を教えた。

だからこそ彼は再び彼女を助けれる立場に
あったので、立ち上がった。

殺しをずっとしていれば、何か大きなきっかけが
無ければ、その力を振るおうとはしなかったはずだ。

しかし、彼女の夢である歌手になるには、
マフィアと縁を切らせないと、一生食い物にされる。
その現実を知っていたから、彼は皆殺しにした。

本土から彼を殺しに来ると知っていながらも、
彼は自分自身に戻る事を決意した。

良い映画は1シーン、1シーンにもこだわりを
見せている。

俳優は演じる役になり切るために、
没頭して生活をする。
それがよく出せている映画は、見る度にこだわりの
シーンを見てしまう。

だから同じ映画を題材として書いても、
また違った面から見た思いを語る事が出来る。

そこには自分でも気づかない何かしらの感情の変化か、
成長が垣間見える。
だから私はその時の気分次第でもあるが、
映画を見た際には、noteにメモを書いていて、
そのシーンを深く見るようにしている。

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