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第一章 第四話 刃黒流術衆の戦い

しんッと音も風も置いていくよう消え去ると、
北の強者が手本を示すように、
疾風の如く黒刀を抜き切る時、曲刀のようにあまり
の速度から曲って見えた。
先が地面につかない程度に力を抜き、
黒衣の仲間たちを追い抜きざま、力まず左の肘で
鍔《つば》を上げて、横一線に勢いに任せて一回りして
見張り兵らが一声を出せないよう、
目に映る全ての声帯を一瞬で裂いた。

それらが倒れる前に火を落として、
更に奥へと強者は無言で突っ込んで行った。

公言通りのあまりの的確さと強者の強さに圧倒されたが、
すぐに彼の命令通りに、黒い者たちは闇へと散っていった。

時間差は全くないほど、闇の中で銀色の兵たちは
バタバタと声も出せぬまま、もがき倒れた。

誰にも知られず、叫ぶ声さえ出せず、
陣営は力を失うように火は消えていき、
人も闇に何も出来ずに倒れていった。

この立地で波状に陣営を張るということは、
一番奥の中央が大将の幕舎だということは
分かりきっていた。

着実に殺し、ひと時が過ぎた頃、
闇より薄くて細い煙が、夜の隙間に幾つものぼった。

(頃合いだな)千人隊長はそう思うと、
敵陣中から闇の世界まで退いてから、
油の玉を布にくるませてある物を、
ぶんぶんとまわして、勢いをつけて放り投げた。

皆も隊長に見習い、同じように敵には見えない場所まで
下がると、特殊な技法で固めた油を火のある所に
繰り返し放り投げてやった。
 
三百の黒い玉が、一斉に暗い空から地に落ちた時、
陣営内に落とされた火は一気に火力を増し火柱がたった。

火勢はさらに増して幕舎から幕舎へと燃え広がっていき、
収拾がつかない状態へと僅かな時間で追い込んだ。

隊長を見習い、投じるのを止めるまで、
黒玉を三百名の兵士は投げ続けた。
多数の厩舎にも火の手がまわり、
縄を引きちぎり炎が馬体に散った数千の馬が暴れまくった。

火が炎を呼び寄せ、それは大波となって
鉄のものたちを飲み込み、
鎧の者たちはなすすべもなく叫び暴れながら焼け死に、
馬に踏まれて絶命するものも、多数出た頃には
消すことも難しいほどの大きな火柱が散在していた。

敵兵は身を守るはずの鉄の熱気と炎に囲まれ、
逃げ場のないところで朽ち果てていった。

声も出せないほど肉が焼けただれてから、
鉄から解放された。

鉄の鎧を脱ごうとすると熱で皮膚と一体化し、
大勢の硬い鉄に守られた者たちは絶命した。

赤い炎と黒い煙と白い幕舎がまじりあいを見せた頃、
奥にある一際ひときわ目立つ豪華な幕舎から、
明らかに他の者とは違う
高貴な鎧をつけた大将らしき人影が見えた。

「退くぞ」姿は闇にあったが、
見つかる前に北の千人隊長の一声で、
黒い影の集団は素早く対応して命令通り引き上げて行った。

攻める時とは違い、彼らは実戦から連携の意味を知り、
勝利に酔いしれる意味の無さを学んだ。

一日目の夜が明け二日目になった。
西の関門の上から黒装束の千人隊長は
敵陣の被害のほどを見ていた。

勝つ事を前提として陣営を敷いていただけに、
頼りとする投石機は前に出していた為、炭と
なって地面に散乱して使い物にならなくなっていた。


「失礼します。私はエルドール西関門国防隊長の
アビゲイルと申します」
まだ国防隊長としては若い、
三十路前後ほどの小柄な女性だった。
眼差《まなざ》しと所作から、心中を察することはできた。
それが謝罪の意を秘めていることは
目を見れば容易に分かるほどだった。

「わざわざのご挨拶痛み入ります。
私は隊を率いている千人隊長を務めるオリバーと申します」
エルドールにきて以来、挨拶らしいものは初めてであった。

王だけでなくエルドールの多くの武人や文官は、
かれらの過去は書物でしか知らないものとなっており、
過大に書かれているものだと誰もが思っていた。

仮に書物通りだとしても、心中では三百人ごときでは
役に立たないと思われていたのは
昨日の態度であきらかに分かっていた。

オリバーはかれらの侮辱に対して
戦いで魅せればそれでいいと考え、
それを実行して見せた。

「昨夜は申し訳ありませんでした。
本来なら昨日おもてなしするところでしたが、
ルドラ王の命により様子を見るよう
言いつけられていたもので‥‥‥言い訳でさらに見苦しい
醜態を‥‥‥どうかお許しください」
アビゲイルは頭を下げて謝罪した。

「頭をお上げください。三百の兵では少なすぎましたかな?」
オリバーは笑みを浮かべて1つしか無い答えに問いかけた。

「お恥ずかしい限りです。偵察したところ昨夜だけでも、
ドークスに大損害を与えております。
私の兵と共に今から攻勢をかければ
更なる被害が期待できますが、いかがでしょうか?」
女騎士は謝罪を言葉だけではなく行動で示そうとした。

オリバーはアビゲイルに対して誇りのある
者であると心から思った。

「それには及びません。あと六日の猶予が
ありますのでご安心ください」

「私を含め、皆、実戦は初めてでしたので
攻より防を優先し、被害が出ないようにしたまでです。
それよりも情報を頂けたら助かります。
ドークスに警戒に値する人物はいるのですか?」
男は女騎士に尋ねた。

国防隊長はこの質問には即答した。

「我々と貴方がたでは強さの次元が違います。
貴方がたが苦戦を強いられることは決してないでしょう」
アビゲイルははっきりと答えた。

忌憚きたんの無いご意見ありがとうございます」
オリバーは正直な意見に感心を示した。

「ですが我々はまだまだ若輩者です。
私を指導している方々には手も足もでません」
苦笑いを交えて男は言った。

関門の国防隊長は驚きを隠せなかった。

「私には指揮官の権限はありますが、領主や世継ぎさまには
常に百名の精鋭部隊が選抜されます。
この三百名からも何名かは選ばれるでしょうが、
まだまだ鍛えねば無理です。
私は世継ぎさまに選抜されたもので、
御庭番衆という世継ぎ様直属の部隊に所属しています。
私は御庭番衆の百人の中の一人でしかありません。
そして世継ぎ様の強さは私を遥かに上回ります」

アビゲイルは信じ難いような面持ちで答えを求めた。

「ぶしつけな質問ですが、その精鋭部隊に女性の兵士は
いるのですか?」

「勿論います。百名ほどは女兵士です。
奥方さまの護衛が主な任務になりますが、
今回の戦にも二十名ほど参加しております。
身の軽さと体の小ささを活かして、
華麗に戦えるのは女兵士の方が得手と言えるでしょう。
手合わせなどはしたことはありますが、
実際どちらが強いのかは分からないほどです」

オリバーは返事を返して尋ねた。

「興味がおありのように見えますが‥‥‥
今の身分を捨ててでも、我が領国での鍛錬を
希望されるのでしたら受け入れます。
我らの主は心の広い立派なお方です。
お会いになればお分かりになるかと思いますが、
我ら御庭番衆は誰もが主の為ならば命を賭す覚悟は
出来ております。
我らの技を得るには正直申し上げて、
耐え難いものとなるでしょう。
強さを終生かけてでも求めるのであれば
来られることをお勧めします。
あと六日あります、その間にお考えください。
領主様も世継ぎさまも実に立派な方です。
普通に暮らすにも自然に囲まれた良い場所でもあります」

オリバーは彼女の忌憚きたん
無い意見への返礼をした。


夜に近づくにつれ、天に隙間がないほどの大雲が
大粒の雨を降らし、天の怒りかのように、
轟々ごうごうとした落雷が地を叩いた。

ドークスは昨夜の惨事を警戒して兵士を配備したが、
雨が土を流し泥濘ぬかるみに足をとられて
まともに歩けずにいた。

大粒の雨は、ドークス軍の兜や鎧に当たると
カンカンッと音ならし、月は雲に隠され
大雨で更に視界を悪くした。

昼間は死体運びや、生きている非戦闘員にされた者
たちを荷台に運び、ドークス帝国へ向かわせた。
その馬車の列は止む事の無い雨のように延々と
続いていた。

雨のためか、ろくな食事もろくに取れないまま
寝ずの列をなした脆弱な者たちは、
防壁を命じられていた。

ふらふらと整列する脆い壁となっている
ドークス兵の誰もが生きては帰れないと悟っていた。

士気は下がってはいたが、
帝王の命令に逆らえば命は無い。

暴君イライジャ・ドークスの逆鱗に触れれば
家族も殺される。現状で何のためにこれ以上戦うのか、
死を前にした兵士たちは疑念を抱き、
色々な思いが交錯していた。

黒装束の刃黒流術衆の武器である黒刀は、
鋼を裂いても刃こぼれしない切れ味の恐ろしいものだった。

そして彼等の黒い刃は、鋼の者たちの声が聞こえるくらい
すぐ近くの場所まできていた。

鋼の鎧と違い、彼らの黒い皮の防具と、身を包むマントは
音は殺して視界は一寸先も黒いだけで何も見えなかったが、
暗殺者として鍛錬してきた者たちは皆、まるで昼間のように
見る事を可能にする夜目よめが使えた。

暗闇からかれらの黒い刃は真っすぐ突いてきた。
陰影からの一突きは、一瞬見えたか見えないか
判断が出来ない程、闇と同化していた。

空から降る雨に黒刀が打たれて、
初めて刃だと気づくほどだった。

鋼の鎧をまるで空を突くように貫き、
そのまま身を引き、再び体と共に闇に溶けていった。

声も上げられず、心の臓を貫かれた隣の兵士が
崩れ落ちる自分に目をやった。
そこで初めて、自分が倒れていっていることに気づいた。

見えない刃を目で追うと、視界の隅に自分の心臓に
黒い刃が刺さっているのが見えた。

ドクドクと熱い血が黒刀を抜かれると同時に噴き出した。
痛みは感じず、疲弊した体は思い通りには動かず、
姿勢が崩れていることだけは視界の変化で感じる事ができた。

倒れゆくあいだ、時間が止まったように長く感じた。
その短いが、長く感じる時間に見えたのは、
次々と暗闇から見える黒い刃だった。

鉄と鉄が当たり鋼は音を出していた。
横目に少し姿勢を前にかがめると、
正面に黒衣が一瞬だけ見えた。

目で追おうとしたが、それは幻のように消えていき、
そこには誰の姿は無く、黒刀が引き抜かれる瞬間だけが
見えたか見えないか、分からないほど速くて確実に一撃で
声を上げる間も無く死を迎えていた。

何も感じる間もなく膝が落ちて、死を間近に感じた。
倒れるとき目に映ったのは、列をなした仲間たちが
自分と同じように次々と倒れる光景だった。

死を近くに感じる——目と目が合った。
その目からは命の火が消えて、
生を感じる事のできない不動の目だった。

千近くの兵が煙のように気づけば一斉に
倒されていて、気力だけで立っている怯えた
勇気の失せた兵士たちは、剣を抜いて警戒した。

油松明を持ち暗闇をゆっくり進んだ。
火の動きで、鋼の兵士たちの居場所は簡単につかめた。

闇の戦に慣れてないのか、ただの錯乱か、
黒刀を持つ者たちにとってはどうでもよかった。

確実に急所を狙い一撃で倒される恐怖に、
剣を縦横にぶんぶんと振りまわす兵士も、
あっさりと胴の横から、
目では追えない速さで貫かれて倒された。

真正面から何も出来ないまま突かれている現実、
闇に溶けあう黒衣から姿が現れ、
手を伸ばせば届きそうな距離なのに、
届かず一呼吸をすることもなく息絶えていった。

銀色の鋼の戦士の数がみるみるうちに減っていき、
落ちた松明は雨と足で踏み消された。

最前線の防衛兵がどんどん倒されているが、
何が起きているのか中衛部隊は理解できなかった。

仲間の鎧は見えるが黒装束の集団は、
昨夜と同様に一切相手に姿を晒していなかった。

すでに彼らの殺しの技によって、
三千近くいた前衛部隊は何もできぬまま消えていた。
中衛部隊から前線部隊に何が起きているのかを探る為、
数十名の斥候が出された。

慎重にぬかるんだ土に足を取られないよう
気をつけて前に進んだ。視線は前では無く下に落とした
まま進んでいた。

中衛の視界の領域から離れて前に進むと、
足に何かが当たった。
身をかがめて松明をあたえて見ると、
仲間の死体だった周囲も同様に皆死んでいた。

彼らは報告しようと立ち上がろうとしたが、
かがめた己の胸から黒い刃の切っ先が出ていた。

背中から心臓を正確に貫かれていて、
立ち上がろうとするが力が入らず、
そのまま仲間の死体の上に落ちた。

物見にきた十数名の兵士たちは、
数で上回る複数の刃に次々と倒れていった。

身分のある武人は斥候が誰一人として
戻らないことに不気味さを感じていた。
何も動きはないまま時間だけが過ぎていった。

雨が小雨になり雲が薄れてきた。
「退け」オリバーがそういうと、
皆一糸乱れることなく死体の山だけ残して
音もなく闇夜に消えていった。

三日目の朝がきた。
オリバーは敵陣営の様子を見るため
関門に上がっていた。そこにはすでに、
西門国防隊長のアビゲイルがいた。
オリバーを見ると、微かに苦笑いをこぼした。

彼女のその顏は戦士では無く、女性の顏をしていた。


次回予告 ロバート王の策


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