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アリストテレスの人間存在思想

“幸福は人生の意味および目標、

人間存在の究極の目的であり狙いである”


アリストテレスの言葉です。
私がこの言葉を目にした時、
まず最初の「幸福」の時点で、
さすがだと思いました。

それと同時に大勢の人は勘違いする
だろうなとも感じました。

大抵の人の場合は、幸福という言葉
の意味を良いものと捉える人が絶対的に
多いはずです。

幸福の意味は、恵まれた状態にあって、
満足に楽しく感ずること。
満足できてたのしいこと。

これが幸福の意味となります。

アリストテレスくらいの人の言葉に
なると、簡単な事はまず言いません。

深い意味が込められた言葉が非常に
多くなります。

理由としては、やはり西洋での哲学者の
祖の一人でもあるので、今の時代のように
人間そのものを深く捉えやすい時代でした。

今から約2600年近く前の人の言葉である
ので、人間と言う生き物がよく視えた時代
でしたので、甘くは無い世界で生きた言葉
ですので、当然のように見える言葉であっても
自分の持つ知識だけでは、なかなか紐解くには
困難な言葉が多くあります。

哲学の言葉などを安易に、
流し見する人は実際、多くいます。
そうした人はその言葉を言うだけで、
知的だと思われがちですが、実際の所は
何も解ってない人が大勢います。

話を「幸福」に戻します。

普通に考えれば、幸福とは幸せが連想
されやすい言葉です。
しかし、人間には善悪と言う概念が
あります。

ざっくり言うと、人を殺した時に
幸福を感じる人もいるという事です。

つまりは頭の中にあるありとあらゆる
事を考えても足りないほどの幸福が
存在する事になります。

私も当然ながら把握しきれないです。

ただアリストテレスの言葉の意味は
わかります。

それでは続きを見て行きましょう。

“幸福は人生の意味および目標、
人間存在の究極の目的であり狙いである”

幸福の意味が分かったのであれば、
前文である、
幸福は人生の意味および目標」
ここまでは理解できると思います。

自分の幸せを感じるために生きている
と言う事になります。

あくまでも自分、個人の幸せである
という意味になります。

後文の頭にまた意味深な言葉がきています。

「人間存在」とはいったい何でしょう。
流し見する方なら人間として捉える言葉に
なります。

しかし、この「人間存在」という言葉は
単語として存在するのです。
つまりは単純に人間を指す言葉では無い
という事になります。

調べた言葉をひとまず載せます。

生命や生存、生活様式など、
人間のあり方そのものに
目を向ける言葉
である。

この言葉を見ればお分かりの通り、
人間そのものを指すだけの言葉では
無いのです。

かなり幅広い意味を持つ言葉だと
言う事がお分かりだと思います。

それではひとまず続きに入ります。

「究極の目的であり狙いである」

またかなり意味深な言葉だとここまで
読めばお分かりだと思います。

「究極の目的」「狙いである」

かなり深い意味が込められた言葉です。

しかし、前文を理解したのであれば、
最初の究極の目的というのは理解に
達すると思います。

問題は「狙いである」という言葉です。
何とも悪意ある人間を指していそうな
言葉のようにも見えます。

ここでまず、目的との意味の違いが
調べたら載っていましたので、
それをこちらに書きたいと思います。

目的、そして、ねらいは、
目的とねらいという意味であり、
「目的」と「ねらい」に分解される。


「目的」は、その行動または計画の
範囲内で実現しようとする成果であり(注)、

「ねらい」は、その行動または計画の
範囲外で実現を期待する成果である

ついでなので、目的から紐解いていきます。
目的とは、その行動または計画の範囲内で
実現しようとする成果である。

行動または計画には変わりありませんが、
それ以後の内容が異なっています。

成果とは、
何かをしたことで得られた良い結果のこと
を指す言葉です。
あることをして得られたよい結果。
このように説明されています。一応より理解
しやすくするために、「結果」にも触れます。

結果とは、結果はある物事の最終的な結論を
指すものであり、
良いケースも悪いケースも含まれています。

対して、成果はある物事の最終結論の中でも
良いケースのみを意味しています。

この言葉から成果とは良い事のみを指す事が
お分かりになると思います。

つまり、成果とは、
何かをしたことで得られた良い結果の事を指す
ものであり、悪い結果をここで除外できます。

「ねらい」は、その行動または計画の
範囲外で実現を期待する成果である

ここでまず成果の意味を鮮明にします。

「ねらい」は、その行動または計画の
範囲外で実現を期待する良い成果を指す。

このように難しい言葉を理解するには、
言葉の意味をしっかりと知る事が鍵と
なります。

言葉を理解した上で、更に哲学的思想
の場合は、言葉を言った人物の思想概念
などを知る必要も出て来る場合もあります。

では一応、ここまでをまとめて書きます。
あくまでも私的な紐解きでありますので、
その点はご了承ください。

“幸福は人生の意味および目標、
人間存在の究極の目的であり狙いである”

人間がそれぞれ幸せを感じるために人々は
生きているのであり、幸せ及び幸福になる
ために人は行動や計画を成して、
生命としての喜びを得る事により、
生存する意味を見出すことが人間という
生命体の目的や狙いであると言える。

即席ではありますが、深く考えたら
このようになりました。

アリストテレスの時代は色々ありました。
そのため、現代でもそういった人はいますが、
昔は、今から見れば無法地帯に近いものでも
ありましたので、

悪意に幸せを感じる人も多くいました。
そのため、このような幅広い視野での言葉に
なったのだと思われます。

現代であれ、彼の時代であれ、彼の言葉を
真に理解出来る人は多くは無いので、
その点も踏まえて、命の危険が及んだ場合
等の時のために、幅広い意味を持たせたのだと
考えられます。

時代、時代でそういった時代背景が大きく
関わっていた事は事実として認められていますし、
中国などではそういった思想を持っただけで、
今現在でも、公安等に逮捕されたりしています。

昔は遥かに、もっと酷い時代でしたので、
そこを考えれば、この言葉に関しても危険では
あったと思われます。
幅広い意味を持たせる事により、
意味を理解されたとしても、逃げ道として
敢えてこういった言葉にしたのだと思われます。

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