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第二話 ヴラド公爵

真新しく、それでいて貴賓高い者しか身に着ける事の出来ない程の美しさの服装であったが、それさえも霞んで見えるほど、青年に近い男はまるで夢に出て来そうなくらいの綺麗な顔立ちをしていた。彼女は彼の前に抱き抱えられるようにして馬に乗っていた。疾駆する馬から発する心地よい香りのする春風を浴びながら、彼女は彼に身を寄せていた。その温かみのある息吹が男の黒髪を靡かせて、その青くも白くも見える顏が見えていた。

程なくして、ハッキリとは分からなかったが、石が敷き詰められている一本の道の周りには春を感じさせる草花が、彼女の心の癒しの糧となって行き、自然と落ち着きのある軽い笑みが生まれていた。

銀杏並木の通りを過ぎた頃、城のようなものが見えてきた。彼女はこの全てが庭園である事に気づいたが、彼への興味が深すぎて、美しい至大な庭も、冬を過ぎた事を告げる草木や花などは、彼を彩るためにあるのだと思わせた。そして彼が何もしなくても、青い目の馬は速度を落としながら、木々に隠れていた白い城が現れた。使用人であろう男が馬の手綱を取ると、彼は彼女をとても貴重なモノを扱うように、そっと抱くようにして馬から下りた。

城の扉は黒く統一された服装の使用人たちによって開かれ、当たり前のように中へと入った。男はメイドに呼びかけ、彼女の古くて穢れているドレスを着替えさせるように命じて、メイドたちに連れて行かれた。ヴラドは使用人たちに食事の用意をさせるよう伝えると、自室のある三階へと上がって行った。汚れた古いドレスには名前が刺繍《ししゅう》されており、そこには
アリスと書かれていた。そして暖かいお湯で満たされた大きな浴槽には、芝桜が一面に、まるで本当の芝桜畑のように咲いていた。彼女はゆっくりと湯舟に入ると、花々の香りで心地よい別世界にいるように思えた。

浴槽から出ると、メイドたちは彼女の体を、傷つける事など出来ないほどの、柔らかい素材で作られたもので、彼女の体の汚れを丁寧に落として、再び芝桜の香るお湯に浸ると、心地よさから深くて長い息を吐いた。そしてその場から出ると、体に残されたお湯をメイドたちがふき取り、金色の髪をすかしながらゆっくりと乾かした。

新しく用意されたドレスは、明かに高価だとすぐに分かるほどのものであったが、彼女は躊躇《ためら》う事無くドレスに腕を通した。それは彼が自分に対して少しでも好意を持って欲しいと言う欲望に近い願望から来る想いがアリスをそうさせた。先ほどまでの事が、まるで昔の忘れられない想い出のような気持ちにさせる大切な人のように彼女の心は彼に惹かれていた。

希少な宝石や、金銀に施された職人の技から出来た一流の至宝を身につけてアリスは彼の待つ特別な部屋へと案内された。その部屋は古くはあるが、華麗とは真逆の一見すると質素な部屋に見えたが、床も壁も天井も全てに細工師が魂を込めて創ったと思わせる程の特別な部屋だった。思わず床を踏むのを躊躇うと、ヴラドは彼女の手を触れるように優しく引いて中へと招き入れた。アリスは本当は夢なのかと思っていた。さきほどまでの自分のいた世界が現実で、今は夢を見ているだけなのかと思わずにはいられ無い程の別世界だった。

丸いテーブルに真っ白なテーブルクロスがかけられていて、彼との距離は遠くは無かったが、アリスにとっては遠く感じていた。お互いが手を伸ばせば届く程の距離でも、彼女からすれば遠すぎるものだった。豪華な食事も色あせて見えた。とても美味しいはずの料理の味が落ちるほど、アリスの心を満たしていた彼から目を離せずにいた。「メイドに聞いたが、君の名はアリスで間違いないかい?」彼の透き通った声がお酒を飲んだ時のように、その美声に酔いしれた。「そうです。貴方様のお名前は?」アリスはうっとりしながら声を出した。「僕はヴラド。他の者たちはヴラド公爵と呼ぶが、アリスにはヴラドと呼んで欲しい」男は彼女を見て言った。「わかりました。ヴラド様」彼女の眼と彼の眼が合わさりながら言葉を交えていた。「様はつけなくていい。ヴラドと呼び捨てで呼んで欲しいし、敬語も使わないでほしい」彼女は彼に言われるまま従った。「わかったわ。ヴラド」彼は微笑み、「ありがとう、アリス」と言った。その言葉は彼女の心の中で木霊していくように身体中に響き渡った。

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