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第三話 永遠の命を求めるアリス

木製の材質が使われた明かに高価な貴賓《きひん》漂う椅子をヴラドは引いて、彼女の手を取り、その椅子に導くように座らせた。彼女が椅子に乗ったまま、ヴラドは力を込めた様子も全く見せずに、アリスが食事をするのに最適な位置まで動かすと、ゆっくりと椅子を下ろした。浮いた感覚も、置いた感覚も全く感じなかった。

彼女の顏を見つめたままヴラドは使用人に椅子を引かせるとそこに座った。
男が椅子を引いた場所は的確で、ヴラドが席を動かす事無く、丁度心地よい場所をわきまえているように、使用人はそのまま姿を消した。もう何年も前からそうしてきたように、メイドたちも無駄な動きが無いまま料理を運んできた。食欲を欲する香り立つ食事が、アリスの食を満たしたいという欲求から、部屋中から馥郁《ふくいく》のする彼の部屋で、深く息を吸い込むように、鼻でその香りを楽しんだ。

使用人が赤と白のワインを礼儀正しく彼女の前に差し出した。アリスはヴラドに目を向けると、赤いワインが注がれているのを見て、彼女も赤いワインを指さした。使用人は白いワインをメイドに手渡すと、赤いワインを両手で持って彼女に出されたワイングラスに注がれた。使用人はお辞儀をしてその場から去った。彼と出会ってからまだ数時間しか経っていなかったが、彼女にとって何もかもが初めての経験であったが、彼女の心を満たしていたのはヴラドだった。

彼女は彼だけを見ていて気付くのが遅れたが、ヴラドにはワイングラスを赤く染めているグラスしか出ていなかった。料理は一切出ず、彼はその赤いワインを味わい深く飲んでいた。紳士の嗜《たしな》みかと思ったが、彼はそのグラスを手から離さず、公爵ならいくらでも手に入るモノを、彼は大切にゆっくりと香りも愉しみながら、グラスに口づけをするように少しづつ味わっていた。

彼が統治する国に彼女も住んでいた。どんな事があっても彼を敵に回そうとはせず、いずこかの国軍が彼の領土を横断する時には、多くの貢ぎ物を差し出して通っていた。当然、ヴラドの軍勢も周辺を固めていたが、彼の軍勢よりも遥かに多いどこかの国軍も、何かに怯えるように足早に彼の地を後にしていた。

当然、人間は何かにつけて噂話が好きであったため、色々な噂は飛び交った。ヴラドが公爵になる前、大きな戦があった。その戦ではヴラドは敵だけでなく、味方からも恐れられるほどの武功を上げた。彼が戦場に現れると死の騎士が現れたと言って敵は逃げ出した。ヴラドの元、主はその功績に見合うだけの褒美を与えれる事が出来ないほどだった。その為、ヴラドの産まれた聖地を与えて公爵として領土を統治するようにした。こうしてその土地の全ての権限はヴラドが握る事となった。

女子供には分からない世界の中で彼は生き残り、そして数々の伝説を残す戦いをした。居城からはあまり出る事も無く、小さな問題などは彼の腹心たちが問題に当たり、ヴラドが自ら公式に外に出る事は、殆ど無かった。それは平和の象徴でもあったが、強いであるが故、人間では無いとの噂も出たが、彼に運よく出会えた者たちは皆が口を揃えるように、彼の魅力の虜となっていて、誰一人彼を悪く言う者はいなかった。アリスも話は聞いていたが、一生合う事も無いだろうと思って、あまり話には参加していなかった。

外で噂をする領民たちの話等、所詮は噂に過ぎないと彼女は思った。その外見だけでなく、犯されそうな自分を助けてくれた上に、二度と味わえないであろう、豪華で全てが上等なモノが使われ、何より、彼女に対する優しさは本物だった。彼が何者であろうとも、自分のような者にまで優しく接してくれるのは、彼女の体目当ての男たちばかりであったが、ヴラドは違った。公爵の権限を使えば、助けた御礼として、体を差し出さそうと思えば出来たが、彼は誠実な男だった。

彼女は思い切って声をかけた。「ヴラドは何も食べないの?」彼は彼女の眼を見てワイングラスを乾杯でもするように前に出した。「私はこれだけで十分だ。アリスは私を気にせず食べてくれ」そう答えた彼のグラスに机の上に置かれた燭台のロウソクの火が当たった。男のグラスに入っていた赤ワインの色は実に濃い赤さで、その上濃密な様子を見せていた。彼が差し出した時にも一切揺れる事も無く、明らかに自分が飲んでいるワインとは違っているモノを飲んでいた。

彼がグラスに口づけをするように、そっと触れる程度に唇を当てると、ほんの一口だけ喉に通した。本当に美味成るものを感じるように愉悦に浸っていた。快楽を味わっているかのようにも見えるその顏は、彼女を見てうっとりとしていた。その魅力的な目に彼女はワインよりも酔いしれた。

アリスは赤ワインよりも赤く、ワインよりも濃度のあるモノじっと見つめた。「ヴラド。噂は本当だったけど、貴方は誰よりも優しくて紳士的で知性もあって……その上、こんなに魅力的な人に出会ったのは初めてよ」アリスの息は興奮して荒々しくなっていた。それは性的な感性に似たものだった。

「ヴラド、お願いよ。私は貴方とずっと一緒にいたいの。だからお願い」
彼女は席を立ってお酒の力から来るものでは無い、誘惑されたように千鳥足でヴラドの元まで静かに近づいて行った。


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