日記20240919

ねこ

おつきさま

本当はもっと丸くて綺麗に見える、光の広がり方がhaloっぽかったから撮ったけど、スマホカメラの限界

山海経イベが楽しみ。ひっそりとルミがすき(セリカもカズサもそうだけど、耳ってとても素敵なところ)。グループストーリーもわちゃわちゃしててにっこりやね。

あと、↓は今日のハイライト。本読んで、映画観て、元気なみさきさんです。


絵が全然描けていない。机に向かう気力がない。布団で勉強するか寝るかのどっちか。勉強せないかんという強迫観念と、勉強してる時一番心が落ち着く、というのが半々ぐらいで難儀。学ぶことが一番楽で、適当にやっててもそれなりに上手くやって来れてしまったから、難儀。
絵が呼吸するみたくすらすら描けないのは、なんだかんだ自分にとって難しくて、適当じゃどうにもなんないことの証左なのかな。上手くなりたいし、もっと沢山描くぞ、と思うけど、ちょっと気持ちに身体が追いついていない今日この頃。明日はバイトがないし、講義もない(あるけど、家で勉強すれば構わない)ので、ちょっとゆっくりしましょうね。

思索がしたい。わたしは、ある人からある人へ何かが渡る(伝わる?自覚させる?)瞬間が好きなんだろうな、と思う。別に実存しなくてもいい。手袋でも、腹巻きでも、マグカップでも、過去の記憶でも、恩返しでも、逞しく生き続けている事実でもなんだって、実存や観念を超越して、それらに特別なアタッチメントが付与されることに、どうしようもなく魅了されている。そんな作品ばっかり描いている。

常々思念体になりたいと言っている(この世から消える、とは全く違う)。この世の理不尽や不正の大半が、実存としての人間から生ずるように思われるから。
全ての価値判断から自由になりたいと思っている。世界はただの二分法で捉えられるほど単純ではなく、マジョリティが優位に立つことが大方確定している社会を成り立たせるべく存在している象徴界に己を揺さぶられることが腹立たしいから。

そんな具合に、のらりくらりと実存そのものを媒介として、その奥にあるものを観測しようとし続けていると、どことなく、自分が忌避してやまない実存としての人間に、ひいては動物としての人間に回帰しているような気がしてならないのである。

価値を棄てたかった。「良い」「悪い」を棄てようと思った。しかし、それらを介して受容してきた世界は、他の「象徴的なもの」では捉え得なかった。論理なる毒に冒された脳には、漠然と浮かんでくる「嬉しい」だとか「楽しい」といった、本能から湧き上がってくるように思われる何かを掬い上げる程度のことしか出来なかった。これでは幼児と変わらないではないかと、時々自嘲したくなる。言葉がうまく扱えないのだ。価値判断を加えることは己のスタンスに反するから、漏れ出る言葉も何もない。

だからわたしはクソ無口で全然ツイートすることがない。話しかけられれば、これまで学習してきた社会性なるものに基づいて、適切な応答をきちんと返すけれど(返せているつもりだけど)、ゼロから生み出せるものがない。わたしの現在の最優先事項は生存と健康なので、それらを脅かしうるもの以外には、殆ど関心がない(最近自分でもすごい素っ気ない返し方してる自覚あるし、それでも話しかけてきてくれる人は、わたしに何をみているんだろうと、少しだけ気になることがある)。色々な役を演じるだけの動物であり、コンピュータみたいなものかもしれない。でも、「動物であり、コンピュータ」って、普通にただの人間かも。私は人間です、残念なことに。

こんなことばっかり考えているアルティメット逆張り(世界に対する)だから、みんなと同じことしたくなくて色々やるけど、同時に寂しがりやだから、対等に(ナメられている状態で)話せる人がほぼいないことを憂いてもいる、ような気がする。もっと色々、「普通」っぽく喋った方がいいのかな、さっさと透明に溶け込めば、空を流れる雲みたく過ごせるのかな、なんて思う。
うーん、まだまだパワーが足りんわ、考えていることを表現するの、あまりにも難しい。実存としての人間から抜け出したいのに、逆に動物に近づきつつあるこの感覚、あまりにも「感覚」すぎて、既存の語彙ではうまいこと表せない。

今日までエストロゲンがエストロンやエストラジオールの総称だと知らなかった。あまりにも無知。明日は産婦人科の勉強頑張っちゃうもんね。明後日はサキちゃんのかき氷食べちゃうもんね〜🍧🐰おやすみ〜💤

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