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0462:小説『やくみん! お役所民族誌』[9]

第1話「香守茂乃は詐欺に遭い、香守みなもは卒論の題材を決める」[9]

<前回>

        *

「というわけなのよね」
 二階堂麻美は、昨日の顛末を15秒の情報量で説明した。
「でも、結果的には良かったんじゃないですか?」とみなも。「説明だけだと耳から入ってもすぐに忘れちゃうけど、あのインパクトは残りますよ」
「ぼくも香守さんと同じ意見ですね」と小室が言葉を継ぐ。「一視聴者として、公務員が言ってはいけない言葉だったとは感じません」
 二階堂は二人の顔を交互に見た。
「ほんと?」
 二人がそれぞれに頷く。
「そっか。そういって貰えるなら、少しは気が楽になるかな」
 少しは、だ。課長が怒っている。そう思うと、昨夜は寝つきが悪かった(眠れなかったわけではない)。きっと今、相談室では河上補佐と野田室長がその件を話しているのだろう。
 考え出すと気は重くなるばかりだ。目の前にやらねばならない仕事があるのはありがたかった。
「じゃあ、最初は座学ね。消費者行政の概要について説明します」
 そういいながら二階堂はプロジェクタのスイッチを入れた。

        *

 その頃相談室では、河上直(かわかみ・すなお)生活環境総務課課長補佐による野田彌(のだ・わたる)消費生活相談室長へのヒアリングが行われていた。案件は二階堂麻美主任の想像のとおりだ。
 相談室は4畳ほどの正方形のスペースだ。奥の壁に一辺を接する形で白テーブルがひとつ、その左右に椅子が二つずつ設えられている。壁は建物の一部ではなく、後付けのパーティションだから、薄い。それでも扉を閉めて小さな声で話せば、外から話の内容を窺うことは難しい。
 消費生活センターは消費者からのトラブル相談対応を業務の柱とする。相談内容は相談者の個人情報の塊、相手方事業者の営業情報の塊のようなものなので、開放空間で対応するわけにはいかない。そのために相談室が設けられているわけだ。
 相談室が本来用務で使用されていない場合は、人事情報など一般職員に聞かせられない電話や密談にも使われる。今回がまさにそれだ。
「柳楽記者にはその場で明確に『映像を使うな』と伝えてあった、ということですか」
 テーブルを挟んで対面する二人。河上の確認に、野田は頷いた。
「確かに言ってたよ、一言だけどね。ただ、相手の返事は聞こえなかったな。二階堂君によると、頷いたような違うような曖昧なボディアクションで、有耶無耶だったらしい」 
「その時に、きちんと相手の言質を取るべきでしたね。後ろで聞いていらしたなら、室長がフォローすることもできたのではないですか?」
 河上はメモの手を止め、まっすぐに野田の目を見た。河上に非難の色はない、ごく素朴に疑問を尋ねる体だ。
「相手が映像を使うと言ったなら、そうしたさ。でも、そのような反応はなかった。カメラが回っていたこと自体、偶然だったんだよ。狙って撮ったものじゃない。だから局側もそれを使う筈がないと思ったんだ。二階堂君も、僕もね」
 柳楽記者の口元に一瞬の笑みが見えた、もしかすると意図的に撮影したのかも知れない──そんな二階堂主任の証言については言わないことにした 。主観的印象を交えると事実認定を歪ませることになる。仮に確信犯だったとしたなら、その場で「使わない」という言質を取っても意味がなかっただろう。
 河上はペンを擱(お)き、一呼吸ついて、口をひらいた。
「小峠課長は、すまテレに厳重抗議すべきとのご意見です。これは県とすまテレとの信頼関係を損なうものだと」
「柳楽氏には僕からたしなめておくつもりだよ」
「いや、広報課長から向こうの役員に、ということです」
 わお、と声を出さずに野田は口を動かした。県庁の一所属と報道記者の関係ではなく、澄舞県と澄舞テレビジョンの組織対組織の抗議申し入れ。それがどれほど大きなことか、広報課経験のない野田にも容易に察せられた。
「そこまでしなくても、いいんじゃないかなあ。放送された映像では多少強い言葉を使ったけれど、特定商取引法担当者としての偽らざる想いだからね。僕も事前に彼女に「想いをぶつければいい」とアドバイスしたし、発言内容がそこまで問題とは、思ってないよ」
「そうですね、私も個人的には、内容そのものの問題は小さいと感じてます。庁内で何人か感想を聞きましたが、小峠課長以外にネガティブに捉えている人は今のところいません」
「だろ? なら」
「問題はそこじゃないんです」
 河上は野田の発言に被せるように言葉を繋いだ。
「使うなといった映像を使った約束違反には、きちんとペナルティを課さなければならない。そうでなければ、澄舞県庁が軽んじられてしまう。やらかしても許されると相手が学習して、同じこと、もっとまずいことが繰り返されるかもしれない。それを防ぐために、締めるべき場面なんです」
「うーん、それ、課長の意見?」
「そこまで確認した訳ではありません。課長の意向の正当性を私はそう理解している、ということです」
 河上の言葉に、野田は息を吐いて腕組をした。
 課長補佐の職務は、文字通り課長の権限執行を実務的にサポートするものだ。それぞれの部局を統括する主管課──多くは部局名を頭に冠して「○○総務課」の所属名がつく──の課長には、部局全体の人事と財政を司る強大な権限が付与されている。多方面にわたる調整実務の多くを課長補佐が担うことで、課長は「判断」に自らの知的リソースを振り向けることができる。その必要から、全部局の主管課と一部の枢要課に課長補佐が置かれる訳だ。
 言い換えれば、将来の上級管理職を嘱望される者のキャリアパスの要所が、課長補佐というポストだった。間違いなく優秀な者が配置され、組織管理実務に当たるとともに、その手腕を「上」から観察されている。それに応えることが将来の県庁幹部への道を開く。
 野田は河上の言葉を、そのようなポジションにいる者の見識として受け止めた。同意はせずとも、理解はできた。
「広報課には相談してるの?」
「先ほど課長から広報課長に電話で一報を入れました。この後私が行って、話をしてきます。どうも、柳楽記者に関しては別の案件もあるようですね」
 ふむ、と軽く首をひねって、野田は話の先をうながした。
「昨日の朝のニュースです」
「運動公園のレポートだね? 見てたよ、でも特に問題には気づかなかったけど」
「すまいぬにマイクを向けて喋らせようとしてたでしょう。あれ、広報課的にはダメだそうですよ」
「そうなの?」
 澄舞県マスコットキャラクターとして10年前にデビューして以来、すまいぬは「とぼけた可愛い犬キャラ」として活動してきた。声は出さないことが多かったが、イベントによって異なる職員が声をあてる場合もあって、設定が安定しない時期が続いたことになる。
 変化が現れたのは昨年のことだ。広報課がキャラクター強化を打ち出し、すまいぬに少年のような女性の声が固定された。同時に、それまで「ゆるい」だけだったすまいぬの動きにキレが現れ、さまざまなスポーツやアクションに挑んで、時に驚異的な身体操作を見せつけるようになった。間違いなくスーツアクターが交代していたが、広報課の部外秘事項で、詳しい事情を知る者は庁内にもほとんどいない。なにしろ「すまいぬに中の人などいない」のだから。
 ともあれ、すまいぬの存在感が増したことで、県民だけでなくネットを通じて固定ファンが付くようになった。広報課の戦術変更は一定の成功を収めたといえる。
 しかし──ひと月ほど前、SNSですまいぬの言動が軽くバズった。いわゆる「大きなおともだち」、子供向けに作られた作品を真剣に楽しむ大人のアニメーションファンの琴線に何か触れたものらしい、ということは野田も耳にしていた。何故かその時期を境に、すまいぬは喋らなくなった。
「広報効果を考えれば、むしろ積極的に喋らせる場面だろうにね」
「そう単純な話ではないらしいですよ」
 おや、と野田は河上を見た。何か事情を知っているのだろうか。野田の視線の意味に気づいて河上は慌てて
「いや、私も詳しくは知りませんけどね。すまいぬ問題は広報課マターですから、うちの関与する話ではありません。生活環境総務課としての見解を伝えた上で、広報課の判断を待ちますよ。結果はまたご報告します」
 そういうと、河上は椅子から腰を上げた。予告どおり所要時間は十分。本当に几帳面な男だ、と野田は思った。

        *

 消費者って言葉はみんな知ってると思うけど、消費者の対義語はなんだろうね。うん、そう、生産者がそうだね。あと販売者も。作る人や販売する人をまとめて事業者といいます。これに対して消費者は買って使う人です。
 大昔は自給自足で、食料も生活用品も服も自分で作って自分で消費していた。でもそれでは効率が悪いから、分業が行われるようになる。食料を作る人、家具を作る人、服を作る人がそれぞれに専門家となり、互いの製品やサービスを交換すると、全部自分で作るより良い品質のものが手に入る。物々交換はやがて貨幣経済に移行し、流通や販売も専門化する。つまり現代のわたしたちはみんな、高度分業社会の中で誰かから物やサービスを購入して生活をする「消費者」なんだ。
 そんな社会を維持する上で、大事なものはなんだと思う? 言い換えると、それがなければ消費経済社会の安定を損なってしまう鍵といえるもの。うん。うん。いろいろ考えられるね。ここで注目したいのは「信頼」ということです。
 私たちは買い物をする時、広告チラシや店頭のポップに書かれたものを参考にするよね。「この店はあっちの店より安い」とか「有名な産地の野菜だな」とか「これで病気を防げるなら」とか。私たちはこうした広告を信頼して買い物をする。もし広告に嘘が氾濫していて信頼できなければ、私たちは安心してお金を払うことができなくなってしまう。押し売りみたいに強引に買わされてしまうのも迷惑だよね。自分の自由意志で選んで買い物をできるのでなきゃ、怖くて迂闊にお店に入れないしネット通販も使えない。私たちが消費経済社会を維持して安心して暮らすために、「信頼」が決定的に重要なわけ。
 でも、世の中にはいろんな人がいる。善良な市民も、悪人も、まぜこぜなんだ。商売は「儲けること」が目的だから、儲けのために小さな嘘、場合によっては大きな嘘をつく人、平気で不公正なことをする人間は、必ずいる。
 だから、誰かが社会の信頼を護る活動をしなくちゃならない。それが消費者行政の根っこなのよね。
 消費者行政の仕事は、大きく規制、支援、相談の三分野に分かれます。
 規制行政は文字どおり事業者側に「嘘をつかない」「無理強いしない」などのルールを課して、ルールを守るように指導したり、ルール違反があったら「こらっ」と叱ったりするもの。昨日報道発表した業務停止命令がこれに当たる。
 行政は法律に基づいて事業者を規制する強力な権限を持ってます。でもね、規制行政も万能というわけじゃないの。まず、法律の裏付けが必要だから、法律の裏をかく新しい悪質商法には法改正まで対応が難しい。次に、行政職員の数が限られていて、世の中の全ての違法行為をすぐさま止めさせるだけの体制がない。被害の大きくなりそうなものから優先順位をつけて対応していくので、後回しになるもの、結局対応できないものも生じてしまう。
 そこで、消費者が自分自身の身を守ることが重要になる。それが支援行政の役割ね。最近の悪質商法の手口を広報して注意を促したり、製品事故が起きないよう正しい使い方を周知したり、消費者を護る法律の仕組みについて学習できる機会を提供したり。でも知識だけじゃだめなのよ。消費者の自立という言い方をするんだけど、「自分の暮らしを自分で護る、良いものにする」という意識を持ってもらうことが一番大事で、一番難しい。
 理想的な「自立した消費者」なんて、実はどこにもいないのよ。多かれ少なかれ、誰もが弱さを抱えている。消費生活の中でトラブルが起きた時に、どうすればいいか。頼りになるのが消費生活センターです。センターには専門資格を持った相談員がいて、消費者からの相談を聴いて解決のためのアドバイスをしたり、場合によっては消費者に代わって事業者と交渉することもある。もちろん行政サービスだからできることには限界があるけどね。これが相談行政。
 事業者規制と、消費者支援と、消費者相談。この三つの取り組みを通じて世の中の信頼関係を維持し、消費者が安心して暮らせる社会、事業者が健全に事業活動を展開する社会を支えることが、消費者行政の役割ということなんです。
 ここまでが序論です。大丈夫? 途中で分からないことがあったら質問大歓迎だから。
 じゃあ、消費者行政の三分野それぞれにディープな世界を説明していきます。こっから先が面白いんだ──。

【続く】

--------(以下noteの平常日記要素)

■本日の司法書士試験勉強ラーニングログ
【累積182h41m/合格目安3,000時間まであと2,818時間】
やくみんに集中してノー勉強デー。

■本日摂取したオタク成分(オタキングログ)
『RErideD-刻越えのデリダ』第11~最終話、うん、面白かったぞ。本作も集中して観れたわけじゃないから筋立ての幾ばくかは分かってない、それでも最後のタイムライドとその後の世界は余韻たっぷりだと思えた。世評の酷評は、一定の面白さがあるからこその高望みなのかもね。『NHKスペシャル ドラマ「詐欺の子」』、やくみんの参考として視聴。予想以上に重たい話だった。繰り返し観るに耐える作りだな。『無職転生』第19話、つくづく面白い。『岸辺露伴は動かない 背中の正面』市川猿之助すげえなあ、このキャラクターに他の役者は想像できない。てか本作は昨年の第一期を含めてゲストキャラが素晴らしい。

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