自衛とかについて

こんばんは。思った時に思ったことをオブラートに包みながら発言しているツイッタラーの私です。

この記事は一度削除しましたが思うところあってもう一度書くことにしました。ネット炎上してるとある人について私が思った事です。以下ほぼコピペです。

まず、自衛は自由を阻害しないと思います。

ネットに自分で個人情報を出す自由はもちろんあります。でもそれに伴うリスクもあります。誰が見ているのか分からないという点です。

そのリスクがなかったなら、今頃は自分の写真の写真をアイコンにして本名で話し合うネット環境だったと思います。

ネット広告でたまに見る写真、無断転載のものもあるそうですね。特に女性の写真が多く使われるとのことですが、無断転載や画像加工する人達の言い分は「ネットに上げた時点でフリー素材だと思ったから」なんだそうです。

私は自分の顔をネットに出そうとは思いません。私が外見の情報をネットに提供したいと思わないのと、前述のとおりデメリットばかりでメリットが見つからないからです。

自衛してる人が自由がないかというとそうでもないです。顔や名前を出さなくても、ネット上ではお互いに気が合う同士楽しい話題を共有できます。私もそうしています。

ツイッターの機能の魅力は見たくない物を見なくできる点です。通知設定やブロック、最近は相手を刺激しない為にミュートなんていう便利な機能も付きましたよね。TLが嫌だなと思ったらRTをミュートするか、フォロー整理なんかもおすすめです。さらに鍵をかけると見えない人に直接何も言われなくなります。公開設定をもっと細かくしたいのであればLINEやmixiがいいと思います。そこはセキュリティをどこまで設定するのか、自分とよく話し合って決めてくださいね。

次の話題ですが、ネットで発言するときに重要視されるのって、名前でも顔でも内容でもなく、その人の信頼の担保なんじゃないかなと私は思います。

信頼の担保。自分を汚く見せないように汚い言葉を使わないように気をつけたり、自分の落ち度を表面上認め反省する振りをする演出だと思ってください。演出で良いんです。だって誰にも心の中なんてばれないので。世間が許しても、自分だけは一生許せない相手がいても良いと思います。自由です。

信頼の担保は感情のまま誰かを口汚く罵らないだけである程度獲得できます。自分の承認欲求を満たす為に誰かの名前を借りないだけでも十分です。事実をオブラートに包むだけでも、自分のマイナスな思考を出さないでも獲得できます。過去の自分の過ちを見なかったことにしないで謝罪するだけでもいいと思います。適度に律儀な人は信頼されますね。

信頼の担保がたくさんあると多くの人から信用されます。逆に信頼の担保が少ないと現実で繋がりがある人とコミュニケーションをたくさん取ってきた人以外には信用されにくくなります。

今回ネットで叩かれ続けているのは、そういう信頼の担保が少なかったんじゃないかなと、私は思います。でも信頼の担保が少ないのは悪いことじゃないので気にしなくてもいいと思いますよ。ネットの世界で嫌われても気にしないメンタルを持つか、現実の世界で楽しく生きてください。



ちなみに私は自分も他人も守るために本音と嘘を混ぜて日々生きているし、ネット上でもそれは変わらない人間なので、ネットに書き込んでいる情報が事実かどうかの信頼の担保は「それ」が嘘でないと確実に知っている自分一人だけで良いと思って生きています。そうして生きるのも楽ですよ。それでは。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?