Revo’s Halloween Party 2024でサンホラにどハマりした
大前提として、私の生まれ故郷は長野県松本市である。
◇
前提として、僕はいわゆる「ローラン」と呼ばれる、Sound Horizon(以下サンホラ)のファンではない。簡単に経歴を説明すると、恐らく『Thanatos』と『Elysion 〜楽園幻想物語組曲〜』と『Roman』と『Moira』の4作のアルバムを聞いたことが過去にあり、あとは『ヴァニシング・スターライト』という曲を結構聞いていた。だが、4つのアルバムに関しては、特定の曲をよく聴く程度で、何曲あって、その曲たちが何というタイトルなのかさえ知らない程度の、にわかもにわか、素人に毛が生えた程度というか、「あーサンホラね、知ってる知ってる。『黄昏の賢者』って曲よく聞いてたよ」レベルの人間である。歴史も知らなければ、どのくらいの作品が世に出ているかも知らず、そもそも各アルバムで描かれる物語の登場人物さえ知らない。唯一きちんと認識しているのは『ヴァニシング・スターライト』のメインボーカルである「ノエル」だが、その「ノエル」にしてみても、じゃあどういう経緯で唄っていて、今はその「ノエル」はどうなったのか、みたいなことは何も知らない。
サンホラについて知っていることと言えば、「Revo」というメインボーカル(?)を務める人物がいて、その人がそれぞれの作品で別人を演じており、あとは声優陣が語りをやったり、ゲストボーカルが大量にいるくらい。「Jimang」というボーカルの方のお名前と、「Aramary」というボーカルの方が初期の頃はメインを担当していた、ということくらいしか知らない。
本当に何も知らないと言っていい。
だが、それぞれの曲については一時的に熱狂的にハマっていたことがあるため、そこそこ聞き込んではいる。内情は知らずとも、「音」としては聞いている。僕自身が音楽を趣味としていることもあり、「音」としてのサンホラ楽曲には非常に傾倒している。タイトルは知らないが、上記した4つのアルバム曲に関しては、全曲通して聞いている。好んで聞いていたためにタイトルを知っている曲は『Ark』『StarDust』『朝と夜の物語』『黄昏の賢者』『人生は入れ子人形』くらいなものである。わかりやすいので『Sacrifice』も認識はしているが、好んで聞いていたかというと微妙だ。まあ、上記ラインナップ、加えて『ヴァニシング・スターライト』に一時期どっぷり浸かっていたことから考えると、僕は「Revo」「Jimang」両名の男性ボーカルがどうやら好きなのだろう、という感じだ。書いていて思い出したが『天使の彫像』もそれ経由で認識していた。
が、今を持って、音とタイトルがしっかり一致しているものは少ない。
そんな人間の、備忘録的な文章でしかないのだが、いわゆる「ハロパ2024」に行って、相当に脳どころか海馬までしっかり焼かれてしまったので、書いておこうと思う。
◇
本当は上記の「遍歴」みたいなものを2万文字くらい書いていたのだけれど、流石に本編に行かないので割愛した。
さて。
まずは「ハロパ2024」に行った経緯を簡単に説明したい。
実を言うと、サンホラのコンサートに行ったのは初めてではない。親しい知人に同行する形で、過去、『絵馬に願ひを!』のコンサートに参加したことがある。いわゆる「絵馬コン」というやつだ。通常回(?)と、前楽的なものに参加した。この時点で『絵馬に願ひを!』の一定の曲に関しては認識があり、特に『狼欒神社』という曲が非常に好きだった。『絵馬に願ひを!』のリード曲でもあるし、何より上記した『ヴァニシング・スターライト』のリード曲である『よだかの星』を彷彿とさせる部分がある。メインボーカルも「Revo」……もとい「神社関係者/能楽関係者」であるため、耳馴染みも良い。実に10年ぶりくらいにサンホラの新しい楽曲に触れたわけだが、『絵馬に願ひを!』の曲たちは非常に楽しめた。
楽しめた、のだが。
楽しめこそすれ、だ。
だからじゃあその後も継続してサンホラを聞いたかと言うと、そうではなかった。具体的には、『絵馬に願ひを!』という作品はCD販売がなく、BDでのみの展開だった。これがどういうことかと言うと、気軽に聞けないのだ。音源として(販売はしているようだが)スマホで手軽に聞けるわけでもなく、何より曲を聴くためには『絵馬に願ひを!』のBDを買い、再生し、その中でリスナーが物語の結末を選択し、選択した結末によって聞ける曲が変わるというノベルゲームのような構造をしている関係上、おいそれと聞くわけに行かない。「なんか赤髪のバイク乗ってる兄ちゃんが担当してる曲、リズム感いいし聞きたいな」と思っても簡単には聞けない。なので、「絵馬コン」はとても良かったのだが、楽しかったのだが、それ止まりだった。コンサートに参加し、リアル体験をし、楽しんだはずなのに、じゃあそれ以上発展するかと言うとそうではなかった。
ただ、間違いなく、サンホラに対する「敷居の高さ」は少し減った感覚があった。特に「絵馬コン」はまだコロナ禍の影響を受けながらの開催であったため、声出しNGであったり、過度な盛り上がりがないよう指示があったため、何も知らなくても楽しめた。時折、優れた「ローラン」たちが考察めいたどよめきを漏らすくらいで、なんというか、静かに見られた。僕自身は好きなバンドのライブを見て盛り上がったりする経験があるので、そういう騒がしさが嫌いなわけではないが、完全アウェーな状況で、おとなしく座っているだけでいい、というのは、サンホラという独自の世界観がある作品に接するにあたり、抵抗感をかなり軽減してくれていたように思う。
ともあれ、そんなこんなで「絵馬コン」を終えた僕は、だからと言って『絵馬に願ひを!』のBDを買うでもなく(そもそもBD再生機器がなかったというのもある)、その後サンホラを聞くでもなく、また通常の生活に戻っていた。たまに『ヴァニシング・スターライト』を聞き直す程度で、サンホラの音楽を積極的に取り入れるということはなく、2023年が過ぎ、2024年が始まり、その後も特にサンホラと関わることなく、日々を過ごしていた。
◇
2024年の5月末、急に「ハロパやるよ」みたいな告知があった。
へえ、やるんだ、くらいの気持ちだったのだけれど、前回行われた「絵馬コン」に参加し、良い体験が出来たと思っていた僕は、機会があれば参加してもいいなぁ、くらいの気持ちだった。前述した通り、前回は同行するという形を取っていたため、有識者であるローランが隣にいたわけだが、今回参加するとなると完全なるソロ参加ということになる。流石にいい大人なのでコンサートにソロ参加するくらいどうってことはないのだが、過去の曲も演奏する(=何が演奏されるかわからない)闇鍋的なコンサートである以上、曲を知らないのでは楽しめるわけがない。
そもそも、これは「ハロパ2024」が発表された直後くらいに個人的に調べて知ったことなのだが、僕が特に気に入っていた「Jimang」というボーカリストは、2019年時点で正式にサンホラから離れていたらしい。「Jimang」をサンホラで知り、ソロ曲などもいくつか嗜んでいた身でありながら、そういう内部事情的なことは全く知らなかった。つまり何が言いたいかというと、闇鍋的なコンサートとは言え、僕が好んで聞いていた時期に唄っていた人たちは、もう「Revo」しかいないのである。加えて、これは「絵馬コン」の際に予備知識として知人から聞いていたことなのだが、僕が特に気に入っている――という言い方では計り知れないな。気に入っているとかではなく、うーん、人生の中でもトップに入るくらい敬愛している「ノエル」というキャラクター(?)は、10年前から安否不明状態で、表舞台に出てきていないということなのである。まあ、そもそも10年前くらいに行われた『Nein』というアルバム曲をメインに行われたコンサート以降、サンホラは目立った活動をしておらず、Linked Horizon(以降リンホラ)の活動が目立っていたらしい。『紅蓮の弓矢』が爆発的な人気になったのは記憶に新しいが、そちらの活動で忙しく、サンホラ的活動は縮小気味になっていたようだ。
話が少し遡るが、そもそも「絵馬コン」は「Around 15th Anniversary」的な側面を持って行われたものであるらしい。リンホラの活動とか、コロナ禍とか、色々あって、15周年きっかりにお祝い出来なくなった代わりに、「まあ15周年くらいで……」という感じでふわっと行われたものだったようだ。で、それより遡ると、10年前に発売された『Nein』以降は目立った活動やリリースがなく、15周年として『絵馬に願ひを!』が発表され、それを何年も掛けて形にし、気付いた時には20周年を迎えていた……ということらしい。
◇
僕と同じように、あんまりサンホラ知らねえよ、という方がもしかしたらいるかもしれないので、念のためサンホラのリリース情報について軽く触れておく。
そもそもサンホラは同人活動からスタートしているため、いわゆるインディーズであった時代が存在する。冒頭で触れた『Thanatos』というアルバムは位置づけ的には「2ndアルバム」になる。より正確に言えば「2nd Story」だ。サンホラのアルバムというのは、基本的にはこの「Story」を主軸に展開されていると考えて良さそうなので、実質的な「2作目」と言えるだろう。ちなみにこの「Story」を関するアルバムは、「第二の物語」ではなく「第二の地平線」と呼ぶのが一般的であるようだ。
第一の地平線である『chronicle』は2001年12月30日発売、第二の地平線である『Thanatos』は2002年8月11日と記載がある。まあこれは発売というか、コミケの日程なのだろうと考えられる。第三の地平線『Lost』に関しても、2002年12月30日と記載がある。基本的にはこの第一から第三の地平線が「同人活動時代」の作品であり、現在では入手困難とされているそうだ。
さて、そこからもいくつかのアルバムを発表はしていたのだが、メインの物語の動きはないまま、2004年頃にサンホラはメジャーデビューを果たす。そこで発売されたのが『Elysion -楽園への前奏曲-』であり、これはメインの物語ではなく、第四の地平線の先行収録であったり、過去作品の再収録であったりする、いわゆる「メジャーデビューに先駆けて、どういうミュージシャンなのか知ってもらおう」とする作品と思われる。余談だが、この作品は「エリ前」と略されるらしい。
その後、2005年4月13日、『Elysion 〜楽園幻想物語組曲〜』が発売される。これが第四の地平線であり、サンホラの世界観というか、雰囲気というか、そういうものを決定付けた作品と言えるだろう。前述した『Ark』と『StarDust』はこのアルバムに収録されており、非常に良い曲であるのでオススメしたい。ちなみにこちらの作品は「エリ組」と略されるそうだ。「えりゅしおん」または「えりしおん」と発音すると、前奏曲と組曲で区別が付かないということらしいが、まあそういうものとして理解しておこう。
次なる第五の地平線『Roman』は2006年11月22日に発売され、この作品によりサンホラの世界観は世間一般に対して確立されたものと個人的には思っている。これには、インターネットの普及が関与しているものと考えられる。特に、ニコニコ動画のサービス開始がこの辺なので、その辺り、密な関係性があるだろう。考察についてはローランたちにお任せしたいが、当時無法地帯であったニコニコ動画でサンホラを知った人間も少なくないのではないかと思われる。
第六の地平線『Moira』が発売されたのは2008年9月3日。メジャーデビューから4年ほどが経過している。僕が聞いていたのはここまで。この『Moira』に関しては、実を言うと『人生は入れ子人形』しかきちんと認識していない。もちろん、曲を聴けば「あーあれね」くらいは聞き込んでいるのだが、歌詞やらタイトルやらをきちんと把握していない程度である。ギリシャ神話をモチーフにしているので個人的な馴染みはあったのだが、そこまで楽曲的にどハマりする感じではなかった。
次なる第七の地平線『Märchen』が2010年12月15日に発売されている。個人的な肌感覚として、サンホラ好きにはこの『Märchen』ファンが多いように感じる。2010年には僕は既に学生ではなく、社会人として世に出ていたので、いわゆる思春期に該当していない。が、インターネットの普及、というかニコニコ動画などの動画サイト、歌ってみた文化、ボカロ文化というものにド直球に触れた世代(1990年から2000年の生まれ)にとって、このアルバムはドストライクだったのだろうと思う。様々な童話をモチーフとして、且つ七つの大罪にも言及し、さらに初音ミク(及びその声優である藤田咲)の歌唱パートもあるため、まさに当時のオタク文化の最先端であり集大成である作品のように思われる。話が前後するが、僕も『Märchen』を今回のハロパの前に急いで履修したのだが、きちんとドハマリした。当時聞いていたら、今頃違った人生を送っていたのかもしれない。
◇
個人的な肌感覚として、ここまでで一区切りと思われる。なんというか、綺麗に「片付いた」というか。もちろん全然片付いてはいないのだけれども、「第〇の地平線」というコンセプトの元、アルバムを作り、物語を提供し、サンホラという世界観をコンスタントに提供していた時期と考えられる。
さて、文章中何度も触れているが、突如として『ヴァニシング・スターライト』というシングル曲が発表された。正確には『少年は剣を…』『聖戦のイベリア』『イドへ至る森へ至るイド』『ハロウィンと夜の物語』というシングル曲も、メインアルバムの間に前奏曲として、あるいはまったく異なる小規模な世界観として発売されてはいたのだけれど、ややこしくなるので一旦割愛する。
2014年10月1日、『ヴァニシング・スターライト』は発表された。
過去の傾向から見るに、これは次なる物語、つまり第八の地平線の前奏曲的な立ち位置のように思えるが、これは曲を聴いてもらわないとわからないのだけれど、今までサンホラが持っていた「ゲームBGM感」なり「ゴシック的な雰囲気」なり「プログレロック的な側面」なり「ヴィジュアル系ロックバンドの気配」なりが感じられない、純粋な「ロック」が急にお出しされた。で、元々ロックミュージックが好きだった僕は、この『ヴァニシング・スターライト』にまんまとやられたのである。今まで聞いてきたサンホラのどの曲よりも、この『ヴァニシング・スターライト』というか、リード曲である『よだかの星』に様々な勇気をもらった人間なのだ。私生活的にも、趣味の活動的にも、社会人としても、色々と難しい局面にあり、そんな自分の背中を何度も押してもらった。生きることに、生きていることに、生き続けることに、真っ直ぐなエールを何度も何度も受け取った。
サンホラの楽曲というのは、色々難しく考えて、どちらが正しいのか、何が正解なのか、生きることは、死ぬことは、愛することは、失うことは、という死生観を常にまとっていて、リスナーに問いかけるような性質のものが多い。だが、『よだかの星』はとにかく様々な説明を省略して、生を肯定するメッセージ・ソングである。「死んでもいい、生きてるなら燃えてやれ」なのだ。僕はこの曲を聞いた時に、今までのサンホラの楽曲を何ひとつきちんと聞いていなかったと自覚した。それくらい、『よだかの星』を聞きこんだ。よく、たくさん聞いた楽曲に対する評価として「〇千回は聞いた」みたいな表現があるが、そういう回数では測れないほどに聞き込んだ。音楽が、詩が、静脈に流れるようになるまで聞き込んだ。今でも落ち込むとたまに聞いては、明日も頑張ろう、と思うほどである。
そんな『ヴァニシング・スターライト』だが、繰り返すようだが2014年10月1日に発売された。つまり、サンホラメジャーデビューから10周年なのだ。実際、このシングルは「Anniversary Maxi」として、10周年記念作品第2弾として発売されたらしい。ちなみに第1弾は「おせち」と呼ばれる、過去のライブ映像などを詰め合わせた映像作品らしい。
そして第3弾として、堂々の第九の地平線『Nein』が発売されることになる。これが2015年4月22日のこと。
お気付きと思われるが、第八の地平線をすっ飛ばして『Nein』が出たわけである。
この当時、『よだかの星』に狂っていた僕は当然アルバムの発売についての情報を仕入れていたのだが、なんかこう……なんだろう……思ってたんと違った。『よだかの星』というか「ノエル」を主軸にしたアルバムが展開されるのかと思っていたのだけれど、そうではなく、うーん、上手く言えないのだけれど、過去の地平線(すなわち、過去のメインアルバム)の曲に対してちょっとした改竄を施し、運命を変えるみたいなコンセプトなんですね。いや、厳密に言えば「ノエル」を主人公にしたアルバムでは確実にあるんですが、やはり音楽を聴く心構えとして、過去の曲を知らないのに改竄すると言われてもついていけないというか――正直、敷居があまりにも高かった。
なので僕はこの第九の地平線(第九の現実?)にも手を出さなかったわけです。それからサンホラは目立った活動をしなくなり、2024年現在、Nein以降はアルバムが出ていない状況となります。前述した『絵馬に願ひを!』は一応メインストーリーの続き物と言えるのですが、立ち位置がBDであったり、第漆.伍、もしくは第捌.伍の地平線であるので、正史なのかどうかも定かではない立ち位置なのですね。
故に、
・1st Story『Chronicle』
・2nd Story『Thanatos』
・3rd Story『Lost』
・4th Story『Elysion』
・5th Story『Roman』
・6th Story『Moira』
・7th Story『Märchen』
・9th Story『Nein』
の、8アルバムが出ている。
且つ、一旦同人時代の音楽は思い切って忘れ(1st Storyに関してはインストらしい)、現在入手可能で且つ視聴可能な地平線だけを考えれば、『Elysion』『Roman』『Moira』『Märchen』『Nein』の5作品を聞けば、割と簡単にサンホラを知ることが出来る状況にある、ということになる。
ただこの聞き方は非常にロックバンド好きの聞き方であるので、物語性を理解するためには各シングルや、地平線同士の繋がりにも注意を払わなければならないのだけれど――ともあれ、「サンホラ入門」あるいは「サンホラって聞いたことはあるけどとっちらかっててよくわかんねえよ」という同士のために言っておくと、ぶっちゃけ『よだかの星』から聞けばよくなる。
もう、第○の地平線とかはどうでもいい。
一旦置いておこう。大丈夫。
『ヴァニシング・スターライト』の1曲目にある『よだかの星』を聞け。
それから考えよう。
そのくらい、シンプルな構造なのだ。
◇
長々と歴史を書いてしまったけれど、そういうことが書きたかったわけではない。が、まあ話したいことを書くためにはどうしても時系列に触れざるを得なかった。
さて。
ここからが本題になる。
2015年に『Nein』が発売されたあと、まあこれが2014年から始まる10周年記念作品だったわけだから、2019年には15周年となる。で、おそらくは2019年から15周年を開始して2020年辺りに爆発的に盛り上がる予定だったのだと思われるが、前述した通りリンホラ活動なりコロナ禍なりで色々後ろ倒された結果、Around 15周年記念となったのが『絵馬に願ひを!』である。
何が言いたいかというと――僕はこの『絵馬に願ひを!』を実際に見に行っているわけだが、じゃあその間にサンホラが何をしてたかと言うと、実は『Nein』を発表しただけなのだ。「だけなのだ」なんて言うと失礼な言い方に聞こえるのかもしれないが、要は『よだかの星』から『絵馬に願ひを!』の間には、『Nein』しかないのだ。ないんだ。10周年記念からA15周年記念の間には、さほど接種すべき物語がない。いや、あるか。あるにはあるのか。一応補足的に説明しておくと、サンホラは「CD販売」とは別に「コンサート」に重きを置いている感覚がある。それはライブ活動で生の音を届けることに注力しているという意味ではなく、そもそも「コンサート自体で物語が動く」というものだ。
詳細は省くが、『Nein』のコンサートで再三言っている「ノエル」が安否不明となる。安否不明となった上に、「第八の地平線は『Rinne』というタイトルだよ!」ということが発表される(これは知人に映像作品を見せてもらって知った)。それ以降、「ノエル」の行方は誰も知らないまま、10周年が終わり、A15周年となり、その記念作品として行われたのが「絵馬コン」である。だがしかし、A15周年記念作品の『絵馬に願ひを!』は、時系列的には「7.5th or 8.5th Story」なのである。第七の地平線『Märchen』があり、第九の地平線『Nein』があり、その間には本来、『Nein』コンサートで発表された『Rinne』が来るはずだったのだが、さらに分割して『絵馬に願ひを!』が登場した。
何なんだ一体。
どういうことなんだ。
もちろん、絵馬コンに足を運んだ当時の僕はそんなことは全く知らずに曲を聴いて、「へー、和風なサンホラ好きだなぁ」みたいなことを思っていた。その程度だった。それからも別にこんなに詳しくなっていない。
やっと本題である。
大前提でも触れたが、こっからが書きたいことである。
呪いというのは、前提条件が必要である。つまり詠唱がいるのだ。言葉の通じない外国人に日本的な呪いが通じないのと同じように、ある程度同じ境遇に身を置いてもらわなければこの呪いの感覚は共有出来ないだろう。
さておき。
◇
2024年の半ばに突如として「ハロパ2024」は発表され、周囲は多いに沸いていた。僕が観測する限りでも、結構狂っている人間が多かった。それもそのはずだろう。10周年記念の『Nein』から5年以上経って『絵馬に願ひを!』が発売され、コンサートが行われ、気付いた時には20周年になっていたのである。その20周年記念作品として発表されたのが、
『ハロウィンと朝の物語』
である。
寡聞にして存じ上げなかったのだが、上でちろっとだけ触れたがサンホラにはシングル曲として『ハロウィンと夜の物語』というものがある。これは2013年10月9日発売されている。こちらは(完全にとは言えないが)独立した物語となっているのでシングル3曲で楽しめるので聞いてもらうとして――とにかく、その『ハロウィンと夜の物語』と対となる作品のように『ハロウィンと朝の物語』が突如として発表されたのである。
僕はハロ夜を知らなかったので、ハロ朝が来たことに大した感慨もなく、あ、コンサートに先駆けて新曲も出るんだぁ~くらいの気持ちだった。コンサートの開催は2024年6月には既に発表されていて、その会場が「ぴあアリーナMM」であった。現在暮らしている場所から徒歩で行けるような距離にあったため、まあせっかくだし参加することにした。チケット代も安いわけではないのだけれど(2万円くらいする)、まあいい機会であるし、とりあえず参加するかぁ……くらいの気持ちで、10月に入ってすぐくらいだろうか、2日間あるうちの、1日目のチケットを一般席で購入した。
情報は少しずつ小出しにされていったのだが、一般的なローランは、参加者一覧を見るだけで「果たしてどんな曲が演奏されるのか」といったことや「この人が来るのは○年ぶりである」ということがわかるのだそうだ。加えて、その参加者一覧に「Jimang」の名前があることに、往年のローランたちは大層驚愕したらしい。少しだけ触れたが、このボーカリストは2019年には正式にサンホラを離れていたので、「あのJimangが帰ってくる!」と盛り上がっていたようである。流石の僕もこのことには多少の喜びがあった。何しろ、『よだかの星』以外で聞いていたサンホラ曲の大半は彼のボーカル曲なのである。もし知っている曲がなかったとしても、生でその歌唱を見られるのならこんなに喜ばしいことはない。1日だけとは言え、参加出来るなら参加しておこう、これも人生経験であるし、僕の人生を形作る要素のひとつになるであろう――と、なんかそんな程度に考えていた。
それからしばらくして、徐々に情報が解禁され、ハロパ2024に対する機運は高まっていった。結局、家が会場から近いという理由から、知人を宿泊させる計画を練ったり、仕事の休みを調整したり、知人が2日間とも参加するというので「まあ2日行ってもいいかもなぁ」みたいな気持ちで、日曜日のチケットも追加で押さえたりした。この間、僕は別にサンホラの曲を履修してたりはしなかった。今から聞いて間に合うとも思えなかったし、間に合ったところで付け焼き刃である。ならばもういっそ、身ひとつで参加して、そこから始めればいいかもな、くらいの気持ちだった。
◇
2024年11月13日。
『ハロウィンと朝の物語』の配信が開始された。
どうやらそれに先駆けてタイトルの一部が情報解禁されていたようなのだけれど、僕は当然ながら大した情報収集もせず、「あー、13日になったら聞くか」くらいの気持ちだった。配信なので、Apple Musicなどで聞けるのだ。CDを買う必要もなく、気軽に聞けるので、まあ出たら聞いて、とりあえずメイン楽曲だけ押さえていればコンサートも楽しめるだろう、くらいの気持ちだった。
で、聞いた。
じ……地元が唄われている……。
前述した『ハロウィンと夜の物語』には「朝までハロウィン」という歌詞があるのだが、どうやら今回のメインテーマは「浅間でハロウィン」ということらしい。「浅間」は「センゲン」ではなく「アサマ」と読む、長野県松本市に実在する温泉街である。正式には「浅間温泉」という地名だ。松本駅から徒歩で1時間くらいの高台にある温泉街である。旅館も豊富にあり、かなり上の方まで行けば、古い温泉旅館街といった雰囲気のある、由緒正しき土地だ。何が由緒正しいのかというと、天慶時代にまで遡るくらい、古い歴史を持つ温泉街なのである。
『ハロウィンと朝の物語』の中には随所に松本市に縁のある単語が出てくる。そもそも3曲目のタイトルが「あずさ55号」だ。完全に狩人の「あずさ2号」のオマージュ的意味が込められているのだとは思うが、情景全てが地元民の僕にはドストライクであった。加えて言うなら、僕は幼少期から学生時代まで、かなり浅間近辺を生活拠点としていたので(親戚の家とか、通っていた学校とか)、馴染み深いなどというものではない。長野県はとにかく広く、且つ、松本市だけ取ってみても、結構な広さがある。一口に「松本出身です」と言ったところで、その生活文化はかなり違うと言える。浅間付近は割と放牧的というか、実情まではわからないが、田舎らしいのほほんとした雰囲気と、浅間温泉を少し下りて商業施設がいくつかある地域に行けば、高校が2校、大学が1校あり、若者が予想外に多い。なんというか、割と活気があるのだ。寂れた温泉街というよりは、地元民と強力しあって逞しく生きて行きましょうね、みたいな活力に満ちた雰囲気がある。且つ、ここ数年は浅間温泉街にも小洒落た建物が増えて来て、場末のスナックとお洒落なカフェが同居するような不思議空間になっている。そこで暮らすみんなが(実情は定かではないが)なんとか一致団結して頑張りましょうね、という雰囲気を、帰省する度に感じられる、なんというか生命力に溢れた雰囲気がある。
他の地域を差別化するような言い方になりかねないので慎重に言葉を選びたいところだが、まあ実際はどこもそうかもしれないが、浅間温泉はどこまで行っても「田舎」である。というか、松本という土地自体が、そういう「田舎」らしさを持っている。その「田舎」は、物もなければ若者もいなくなる寂れた田舎ではなく、「観光客を迎える気持ちのある田舎」的な雰囲気だ。実際、長野県内の他の地域と比べると、「松本」は少し特殊な環境にあると言える。とにかく目立つのが「松本城」だが、この城を見るためにインバウンド客が大層な数やってくる。周辺は山々に囲まれているので、都会から登山のために長野にやってきて、とりあえず松本で一泊、みたいな登山利用客も少なくない。駅前は中途半端な賑やかさを持っていて、とにかく若者が多い。長野県が広いのと、松本市近辺の主要な公立高校は割と近い距離に乱立しているせいもあり、学生が多い。巨大なイオンモールもあるし、ある程度のチェーン店も駅前に密集している。一極集中型都市と言える。
その中でも、松本駅から車で20分ほど、歩いて1時間ほどの場所にある浅間温泉は、意外と気軽に行ける温泉街である。公共交通機関で行ってもいいし、タクシーに乗ってもいいし、まあ川を眺めながらのんびり歩いてもいい。そうして至る浅間温泉街は、まぁとにかく店が少ない。ギリコンビニがあるくらいで、一般的なチェーン店というものはほぼない。僕の知る限り、浅間温泉の入り口あたりにローソンが1軒ある程度で、それ以外はもう完全に個人経営の店ばかりだ。だから全く様相が違うし、松本城目当てでやってきた観光客にとっては、浅間温泉の雰囲気はマッチすること請け合いである。もちろんちょっと下りて道を外れるだけでファミレスもあるしコンビニもあるのだが、「松本駅で降りる、一旦松本城まで行く、夜は浅間温泉でゆっくり風呂に浸かる」みたいなコースを堪能すると、都会の喧噪からは離れたゆっくりとした時間を過ごせるはずである。
まるで松本市PRみたいなことを書いているが、まあとにかくそんな雰囲気なのだ。それは逆に言えば、温泉旅館への宿泊客がいないと成り立たない構造をしているとも言える。とにかくまあ、僻地にある。奥座敷と呼ばれるくらいなので、メインの繁華街から離れて、さらに奥に向かって、その先はもう山ばかり、という土地である。要は「浅間温泉」に用がない限りたどり着けないような場所と考えていい。
そうなると、コロナ禍でインバウンド需要が減り、そもそも国内旅行客も減ってしまった浅間温泉を盛り上げるために、みんなに声を掛け、長野県の名産品を使ったフードメニューを開発して人を呼び込もうとし、ポスターを作り、奮闘する内容を書いた『《光冠状感染症狂詩曲》』という曲を聴いていると、なんとも言えない郷里への愛憎と、「みんな負けるな!」という歌詞に込められる強いメッセージ性、生命活動への熱い想い、自己を奮い立たせようとする啓発性が感じられ、思わず涙を流さずにはいられなかった。「うわあ、今回のサンホラは地元が舞台だ! やったぜ☆」みたいな軽いものではない。そういう催しを小さい頃からすぐ近くで見ていたからなのかもしれないが、冷め切った都会の関係性とは違う、母親が道ばたで出会う人はみんな母親の知り合いで、話したこともないのに顔と名前を知っている近所のおばさんがいて、玄関にビニール袋に入った野菜が知らぬ間につるされているとか、小さなお祭りをやるためにわたあめ機をレンタルするとか、子どもたちのために、未来のために、今を生きようとする強いエネルギーが伝わってきて、もうだめだ、書いてる最中に泣きそうになる。そのくらい熱い物語だったのである。
◇
何が書きたいのか自分でもよくわからなくなってきた。
ともあれ、一度客観的に今回の『ハロウィンと朝の物語』をサンホラ的視点で見てみると、僕が観測する範囲では「現代日本」が舞台になっている作品は、2024年11月現在、この作品と『ヴァニシング・スターライト』の2つのみである。
明らかに日本舞台っぽいタイトルをしている『絵馬に願ひを!』は、どうも日本と似て非なる「秋津皇国」が舞台となっているようである。実際、作品に出てくる地名は凪丘県(静岡県のことだろう)とか久生山(富士山のことだろう)とか東宮(東京だろう)といった、日本とは少し異なる名称で表現されている。だが、『ハロウィンと朝の物語』は完全に「長野県松本市浅間温泉」なのだ。
これを聞いて、ふと思った。
『ヴァニシング・スターライト』の物語は、全然終わっていないのではないかと。
そんな容易に、舞台を被らせるというような仕掛けを、サンホラがするとは到底思えないのだ。
実際、『ヴァニシング・スターライト』は、日本が舞台となった初めての作品――と、今の僕は認識している。『よだかの星』というタイトルは、まんま、宮沢賢治の「よだかの星」をモチーフにしている。にも関わらず、登場人物の「ノエル」はその小説の存在を知らず、また『Nein』に収録される『最果てのL』という曲では《オープニングアクトで訪れた第二の故郷とも言える愛すべき地平》という歌詞が出てくるのだが、これは『ヴァニシング・スターライト』の中の1曲、『Interview with Noël』に出てくる「聞いたことさえないステージ【渋谷公会堂】でオープニングアクトとして出演しないか?」というような歌詞があることから、「ノエル」は普段は日本には住んでいないが、何らかの手段で「日本ではないどこか」と「日本」を移動することが可能であると考えられる。ローランたちの間では、「ノエル」は「秋津皇国」の出身なのではないか? という説が濃厚であるらしいが、まあそれはさておくとする。『ヴァニシング・スターライト』が発売した2014年から『Nein』のコンサートが行われた2015年の間に「ノエル」は安否不明な状態になり、存在が確認されていないのだが、A15周年では「秋津皇国」を舞台にした『絵馬に願ひを!』という作品が発売され、これは物語の内容をよくよく読んでみると、非常に「ノエル」に関連した作品であることがわかる(実際、ノエルらしき人物の存在も確認出来る)。そして20周年記念作品としてお出しされたのが、現代日本を舞台にした『ハロウィンと朝の物語』だ。
どうやら、10周年記念以降、サンホラは「ノエル」という人物を主軸にした物語を延々と書き続けているのではないか? という疑念が生じた。
◇
一旦、流石にハロパ2024年に触れておく。
これはどこかでまた記憶が鮮明なうちに書き記しておきたいのだけれども、とにかくまあ、最高だった。順番が前後するのだけれども、2日目には『Ark』『黄昏の賢者』『人生は入れ子人形』が演奏された。まあもうこれだけで十分だ。1日目には『StarDust』が演奏された。もう成仏してもいい。散々にわかだと言っていたが、それでもやはり上記の曲たちはずっと好んで聞いていたので、嬉しかった。少し補足するなら、『Ark』『StarDust』は「Aramary」というボーカルの方が、『黄昏の賢者』『人生は入れ子人形』は「Jimang」というボーカルの人がメイン担当であったが、現在は双方ともにサンホラから正式に離れている(Jimangは今回参加したが)ため、オリジナル歌唱を聴くことは叶わないっちゃ叶わないのだ。だが、それを(Jimangに関しては本人の歌唱で)コンサートで生で聞けたというのが、なんとも嬉しい気持ちでいっぱいだった。欲を言えば――というか、本当の気持ちを言えば『よだかの星』が聞きたいのだけれど、再三言っている通り、「ノエル」は安否不明状態であるため(その中身がRevo氏だとしても)出演不可能なわけだ。だから演奏されないものと思っていたし、まあワンチャンあったら嬉しいな、くらいに思っていた。
詳細はローランたちによる詳しいレポを読んで欲しいが、初日に「ノエル」らしき人物が現れた。急に。客席から。
ライトに照らされて、ゆっくりと「ノエル」がステージに上がり、今回の物語の主役とも言える子役の「メイちゃん」が突如倒れてしまったものを、おんぶしてステージ奥まで運んでいくという演出があった。
の……ノエルじゃん!!!!!
生きとったんかワレ!!!!!!
多分多くの人が同じ気持ちになったかと思う。
だが、その後ノエルについて触れられることはなく、初日は終わってしまった。の、ノエルは……? さっきノエルいたのに……の、ノエルは? ノエルはどこに行ったの??? よくわからなくなりながらも、サンホラの往年の楽曲や、リンホラの曲などを聴き、ノリに乗って楽しんだ。余談だが、隣の席に座っていた方が同郷の方だったので開演前に二、三会話をしたのだが、終演後はほとんど脳の処理が追いつかず、どうやって帰宅したのかあまり記憶がない。別の席で見ていた知人と会場外で合流し、とりあえず居酒屋に入ってアホみたいに酒を飲み、家に帰ってからは「まずい、まずい」と思って『Nein』のコンサートBDを無理矢理見た。
◇
これについて少し補足がいるな……どれだけ書くんだ。
『ハロウィンと朝の物語』を聴いた直後に遡るが、これを聴いた時、「まずい、サンホラを聴こう」となった。この感覚を正確に伝えるのは難しいのだけれど、うーん、今まで僕はサンホラの曲を聴いても「わからないところはわからない」で押し通していたというか、それはそちらさんサイドに問題があるでしょう? くらいのことを思っていた。曲り形にも小説を書く人間であるから、作品で伝えきれない部分があったとしたらそれは作者の責任であり、且つ不十分な作品である、とするのが礼儀だ。楽しい楽しくないは別として、「その作品で理解出来ない部分があった」とするなら、それは作品の質の問題であって、受け手が気にすることではない。それは非情な言い方をすれば「魅力がない作品」なのだ。僕にとって、今までのサンホラはそういう「そこまでの魅力はない」音楽であった。だからと言って、音は好きだし、声も、歌唱も、編成も、全部好きだ。あくまでも「その奥底にある真理をきちんと理解しよう」と思えるほどの魅力がなかった、というだけの話である。要は、例えば漫画を見ていて「ここは何らかのオマージュなんだろうけど、まあ体験を損なうほどじゃないし調べなくてもいいや」と思うかどうか、みたいな話だ。
今まではサンホラとそういう接し方をしていたから、アルバムの構成だの、元ネタだの、台詞が何を言っているかだのということに興味を示してこなかった。『よだかの星』があれば十分だったのだ。シンプル且つ直球な火の玉ストレートを浴びれば十分だった。
だが。
だが、だ。
『ハロウィンと朝の物語』を聴いて、これは完全に運命のイタズラと言う他ないのだけれど、全部「わかった」のだ。
調べるまでもなく、考察するでもなく、聴いているだけでなんとなく「わかって」しまった。どこが舞台で、どういう状況で、どういう人たちが、どういう気持ちで、どんな生活をしていて……ということが、大体「わかった」。と言っても実際に理解出来ているのは二割や三割にも満たないのかもしれないけれど、それにしたって聴いているだけで「あー、はいはい。サンホラはそういうことをずっとやってきたのね」ということがわかった。
なんというか……「聴き方がわかった」のだ。
それを踏まえて、全く触れていなかった『Märchen』を聴いてみた。通勤中、Apple Musicで配信されている『Märchen』を聴きながら、とりあえず歌詞を調べて、それがどういう物語なのかをちゃんと理解することにした。「音」としてでなく、「物語」としてサンホラと触れることにしたのだ。
おもしれーのなんの。
20歳くらい若返ってしまった。
何より、『Märchen』が物語を読み解くアルバムとして適している、というのもあったと思う。童話の元ネタがあり、曲の構成が「何らかの理由で死んでしまった登場人物が、曲の後半で蘇って復讐する」みたいな感じになっている。一話完結の復讐劇が、オムニバス形式で収録された短編集のようなものだと思ってもらえれば良いだろうか。とにかく良かった。良かったために、僕は迷惑なくらい、ローランである知人に「これはこういうことなのか」とか「なんて素晴らしい作品なのか」とかそういったことを言い続けた。迷惑極まりない。
その後、ハロパ当日の朝くらいに『Märchen』のコンサート映像を見た。見て、感動した。もはやミュージカルみたいなものなのだが、今まで音でだけ聴いていた世界が眼前に広がっているのだ。やはりサンホラのコンサートは、ライブというよりはミュージカルや劇に近い。音を聞き、演技を楽しみ、映像を見るものだ。これは『絵馬に願ひを!』の頃にも思っていたのだが、人数の関係だったり、舞台装置の関係だったりで、それよりもさらに今回の「ハロパ」は素晴らしかったと思う。「絵馬コン」は『絵馬に願ひを!』の世界観をストレートに見せられているのに対し、「ハロパ」は本当にハロウィンのパーティだった。ごった煮で、何がどうなるかわからない。そういう見応えがあった。
とにかく僕は『Märchen』を予習してから初日に臨めたので、「ぐーてんもるげん!」も、自走式のエリーゼも、きちんと楽しむことが出来た。出来たのだけれど、出来たからこそ、それ故に、初日が終わって「やべえ!」となったのだ。「ノエルが明日出るかもしれないのに、俺は『Nein』を見てない!」
◇
家にはBDプレイヤーがない。
DVDはギリギリ見られる環境があるのだが、BDを見られる環境がない。且つ、知人が持っていた『Nein』のコンサート映像はBDであった。
仕方がないので、1日目の公演が終わってアホほど酒を飲み、脳がおかしくなった状態の深夜0時過ぎにドンキに向かい、BDプレーヤーを買った。
家に帰ってシャワーを浴び、とりあえず『Nein』を再生する。歌詞を見ながら映像を見つつ話を理解するに、やはり過去作をある程度知っていないと理解するのは難しそうだということがわかった。だが逆に言えば、それはあくまでも「過去作の改竄の物語」であって、「ノエル」はあまり関与しないのだ。否、より正確に言うなら、改竄行動は「ノエル」を介して行われているようなのだが、あくまでも舞台装置としての機能であって、「ノエル」でなくても成り立つ物語と言えた。
実際、「ノエル」がメインで登場するのは『西洋骨董屋根裏堂』という曲と『最果てのL』の2曲だけと考えてしまってもいいだろう。この2曲の履修を優先した。まあ、『Nein』を超コンパクトにしてしまうと、「突如見知らぬ骨董品屋に紛れ込んでしまったノエルは過去を改竄出来るグラサンを手にしたことでサンホラの過去曲の結末を変える曲が続くが、過去なんて改変しなくていいよ、間違ってたって上手く行かなくたってそれが人生だろ?」みたいな話だ。やはり「ノエル」、熱い男である。
で、その演奏が一通り終わり、コンサート終盤で寸劇みたいなのが行われるのだが、突然「ノエル」はぶっ倒れて終幕。『8th Story Rinne』が近いうちに発売されるぜ! みたいな予告をして、『Nein』コンサートは終わったらしい。ちなみにその告知がされてから10年経過しようとしている。おいおい。
◇
超絶付け焼き刃ではあるが、2024年11月13日からハロパが行われた2024年11月23日、24日までの間に、なんやかんやでメインストーリーの全てを追いかけることになった僕であった。いや、正確には『絵馬に願ひを!』は履修出来ていなかったのだが、知人言うところによると絵馬はそこまでしっかり理由しなくても理解は出来るであろう(=優先順位的には『Nein』である)ということだったので、とりあえずの知識で2日目に向かうこととなった。
だけどもうその頃にはかなりどっぷりサンホラに浸かっていたので、何を思ったか、物販で『絵馬に願ひを!【Full Edition】』を買った。22,000円もしたのだが、カードを切っていた。なんとなく、終演後に気が狂ってしまうだろうから今のうちに『絵馬』を押さえておこう、と思ったのだ。何しろ『絵馬に願ひを!』はCDがないし、配信もされていないので(買い切りの音源は存在するが、量が膨大すぎる)、もう買っちゃえ、と思ったのだ。
余談だが、『Nein』を見て「ノエル」がぶっ倒れたのを見たあとでかなり気が狂っていたのと、2014年に始まった「ノエル」の物語がまだ続いていること、というか現在進行系で語り継がれていること、さらに今日の公演で「ノエル」が出てくる可能性があることなどを色々と加味した結果、気が狂ってサンホラのファンクラブにも入会した。「年会費4,200円? 初年度の入会金と合わせても5,000円ちょい? はした金じゃねえか」くらいの気持ちで意味もなく入会した。これはなんか、未来への準備というか、先行投資というか、とにかく「ノエルを、『よだかの星』を生で聴く機会がまだ生きているうちにあるのかもしれない」という期待から、今のうちに出来ることをしておこうという予防線が働いたのである。
まあそんなこんなで様々な準備をして、僕は2日目に向かった。
◇
演目の構成とかセトリについては有識ローランを参考にして欲しいのだけれども、まあ冒頭は同じであった。『ハロウィンと朝の物語』を通しで演奏して、まだ配信されていない8曲目である『約束の夜』という曲が演奏され、その曲の途中で、主要人物の「メイちゃん」が突如舞台上で倒れる。その倒れた「メイちゃん」を、初日に「ノエル」が客席から急にやってきて助けるという、阿鼻叫喚、本当に「阿鼻叫喚」としか表現出来ない状況になった。「黄色い声援」とか「歓喜の声」とか、観客が声を出す描写を文字上で行うことは多々あるが、あそこまで綺麗に「客席から悲鳴が上がる」という状況を初めて体験した。「悲鳴」どころじゃないな。やはり「阿鼻叫喚」としか表現しようがない。困惑している人もいれば、嗚咽を漏らしている人もいるし、ずっと叫んでいる人もいるし、泣いている人もいた。
とにかくそれくらい「ノエル」は愛されていたし、待たれていたのだ。
僕は紳士的なリスナーでいたいし、フェアなファンでいたい。当時、「ハロパ2024」は、2日目の公演が終わった21時までネタバレ情報をSNSなどに投稿しないよう箝口令が敷かれており、それは広義で言えば「2日目にしか来られない人も新鮮に楽しめるように」という配慮だと考えていた。要は、「メイちゃん」が倒れたあとに「客席からノエルが急に生えてくる」という仕掛けを知られてはならないし、気取られてはいけない。多分、大多数の客が同じことを思っていたことだろうと思う。「ノエルが来るのはわかっているが、それにしてもわざわざオペラグラスで探すとか、そういう素振りを見せるべきではない」と考えていたように思う。
だって一度見ているのだから。
新鮮な驚きは、初見の人間に譲るのが筋というものだ。
実際、2日目も新鮮な悲鳴が上がっていた。「メイちゃん」が倒れたあと、客席後方にスポットライトが当たり、2名が立ち上がった。上では「ノエル」とだけ書いたが、実際には「ノエル」と、いわゆるカップリング相手として、あるいは公式的に広義に解釈すれば交際相手と思われる「マリィマリィ(正確にはmarie*marie)」という女性が2名でステージに向かって歩いていた。2日目も当然、2名の影が映し出された。さて……じゃあまた今日も「ノエル」の顔を拝んでやりますか、と思ってオペラグラスを覗き込んだら、そこにいたのは「ノエル」ではなく、「メル」だった。何が起きたのかわからず、僕の喉からも初見の新鮮な悲鳴が上がったのであった。
◇
「メル」というのは『Märchen』という作品に登場する主役級の男性である。非業の死を遂げた女たちに復讐を勧める、彼自身非業な運命にある男なのだが、まあとにかく肌感覚的にサンホラのキャラクターの中でもトップクラスに人気があると思われる。その「メル」と、「エリーザベト」という、まあこれもまた人気がある――というか、なんだろう、俗な言い方をすれば「サンホラのベストカップリングオブザジェネシス」という感じの組み合わせだ。前述した「ノエル」と「マリィマリィ」も、『Nein』コンサートの際になんかいい感じの雰囲気が見て取れる。つまりはまあ、イチャコラカップルが急に出てきて「メイちゃん」を助けに来る、という仕掛けだったわけだ。
◇
ここで『ハロウィンと朝の物語』に触れる必要がある。
「メイちゃん」と記述している少女は、正しくは「皐月」と書いて「メイ」と読む女の子だ。詳細については『ハロウィンと朝の物語』を聴いて欲しいところだが、まあ色々あって両親がおらず、叔父と一緒に暮らしている。叔父というのが「Revo」扮する文筆家であるのだが、これも過去のコンサートやテキスト媒体から考えるに「革命先生」という人物であるらしい。まあともあれ、「メイちゃん」は幼い頃に両親を亡くし、中年男性の「革命先生」は「メイちゃん」の母親でもある自身の妹を亡くし、二人でなんとか生きていたのだが、「メイちゃん」の夜泣きなどを理由にアパートを追い出され、困っていたところ、旧知の間柄と思われる、浅間温泉にある旅館の娘である「うみさん」に、実家の旅館の離れに住まわせてもらうことになる。元々はどこか別の場所で暮らしていたらしい「メイちゃん」と「革命先生」は、知人の口利きによって、浅間温泉に引っ越したというわけだ。
「うみさん」についても簡単に補足すると、元は旅館の娘として生まれたものの、厳格な母の背中を見て育った「うみさん」は自分が女将をやるのは無理だと悟り、勘当同然の状況で都会に移り住み、役者として活動することになる。「革命先生」は文筆家でもあり、歌詞の中でも劇団に身を置いているという描写があるため、同じ劇団で「役者」と「戯曲作家」としての交流があったものと思われる。そのツテで、居候させてもらっているというわけだ。
さて、役者として活動していた「うみさん」だが、突如、母親である女将が倒れたという知らせを聞いて「特急あずさ55号」で地元に戻ることとなる。そして母親を助けるために若女将として修行を始め、気付けば地元浅間温泉の若女将としての生活を始めることとなった。この頃にコロナ禍が訪れ、客足が減り、これは何とかしなければならない――と決意を固めて、地元を盛り上げるために「浅間でハロウィン」というお祭りを企画するに至るのだ。背景を考えると色々と想像の余地が広がるのだが、亡くなった「メイちゃん」の母親であり「革命先生の妹」である女性は、どうも「うみさん」とも面識があるらしい。曰く「チートな絵描き」というほど絵が上手いのだそうだ。実際、歌詞の中に「妹さんのDNA継いだメイちゃんにイラスト頼めないかな」と、ハロウィン用のポスターイラストを依頼している。それほどまでにイラストの才能を目の当たりにしているということは、そこそこ親しい間柄だったのではないか? と考えられる。実際、部屋が空いているとしたって、同じ劇団に身を寄せていただけで、実家の旅館の離れに居候させるだろうか? そう考えると、「うみさん」は「革命先生」とも「妹さん」とも親交があったと考えられる。
さて、時に「うみさん」は「サンホラが好き」だ。「メイちゃん」の年齢や「うみさん」の境遇、様々なことを考慮すると「うみさん」の年齢は30代くらいと思われる。「うみさん」の母親である大女将の権力次第ではあるが、いくらフレッシュな勢いがあっても、温泉街をまとめてお祭りを計画するほどの政治力があるとも考えにくいので、そこそこの人生経験は必要だろう(まあ劇団をやっていたくらいだから現実的な手配には長けているのかもしれないが)。加えて、松本の片田舎に暮らす少女が、第五の地平線である『Roman』の初回限定版に付属したハンカチを保存用として保持しているという描写があるが――まあ2006年当時に買ったわけではないとしても、仮に現行で買っていたとしたら2006年当時に中学生くらいだろうか(サンホラにハマるくらいなのだから)。「うみさん」が松本に帰省し、上記の「ハンカチ」に触れる下りは2020年のことなので、14年前に15歳くらいだと考えると、まあまあ30歳くらいが妥当かというラインになってくる。「メイちゃん」も小学生中学年くらいな雰囲気があるので、10歳前後としよう。妹さんが20歳前後で「メイちゃん」を生んでいたら、まああり得なくもないくらいの年齢感だ。
何をこんなに真面目に書いているのかというと、「ハロパ2024」の1日目に出てきた「ノエマリ」の2人と、2日目に出てきた「メルエリ」は、「メイちゃんのご両親なのではないか」という考えである。これを裏付ける情報として、「うみさんと妹さんは(生きていれば)30歳前後くらい」とし、「うみさんはサンホラ好きであり、親交があった妹さんもサンホラが好きだった」と仮定する。加えて「メイちゃん」について唄われている歌詞の中にも「幼少の砌より地平線の英才教育を受けてきた」というものがあるので、「メイちゃん」は小さい頃からサンホラを聴いていたということになる。幼少期から英才教育を受けるほどなので、妹さんは相当にサンホラが好きなのだろう。こうなってくると、「ハロパ2024」で行われた演出は、「死んでしまったが、ハロウィンの夜に幽霊となってコンサートに参加した両親が、サンホラのキャラクターのコスプレをしていたものなのではないか」というのが一番しっくりと来る答えとなる。否、あそこは「ぴあアリーナMM」ではなく間違いなく「長野県松本市」だったので、ご両親はずっと、浅間温泉に移り住んだ「メイちゃん」を見守り、近くにいたのだろう。
1日目のコンサート中のMCで主催の「Revo」氏(?)は、「死んだあとでも見に来られるコンサートがあってもいい(大意)」というようなことを喋っていた。実際、コンサート会場はチケットSOLD OUTだったのだが、ところどころに空席があった。その空席というのも、まばらなものではなく、完全に1ブロックが空いているというものだ。演出上の理由か、何かしらの理由があるのだとは思うが、僕は「死んだ人用の席」が空いているものと解釈した。空いているというか、埋まっているのだろうが、我々にはその客たちは見えなかったのかもしれない。何度も何度もサブリミナルに、「死んでも来られる」という印象を受けるコンサートであったから、意図的であれば美しいな、と思うことしきりだ。
いやでも――つまり、どういうことだってばよ?
つまり……その……「ノエマリ」も「メルエリ」も、「メイちゃん」のご両親が仮装して参加していたのだとすると――
じゃあ「ノエル」はどこ行ったんだよ。
◇
詳細は省くが(というか改めてどっかで触れたいが)、どうやら終始歌ったりMCしたり飛んだり跳ねたりしていた主催の「Revo」氏は、「Revo」氏に見せかけた「ノエル」だったんじゃねえか説が浮上している。僕の中だけで。
色々と考察が捗っているので一旦この辺で締めようと頑張りたいのだが、とにかく2014年から始まった「ノエル」の物語は現在進行系で続いていて、『Nein』コンサートでぶっ倒れたり、『絵馬に願ひを!』で目を覚ましたっぽい描写があったり、「ハロパ2024」にて実はずっと「ノエル」がグラサンを掛けていたのではないか――というような感じがある。感じがあるということは全く確証がないのだが、いずれにせよ「ノエル」を取り巻く物語は現在進行系で進んでおり、その「ちょい出し」みたいな感じで、今回「ハロパ」をちょっとやったの、という感じがある。初日に「ノエル」のコスプレをしたお父さんらしき人を出したり、2日目に「ノエル」がメインボーカル(?)を務める『西洋骨董屋根裏堂』という曲を演じたり、そもそもにして、『ハロウィンの朝の物語』に収録されている『小生の地獄』という曲には「だから悲しみに追いつかれぬよう真っ直ぐに空に手を伸ばし続ける」という、完全に『よだかの星』のメロディと歌詞が入っている。だからといって、今回のメインボーカルの「革命先生」こと「かわみー」こと「ことおじ」こと「かわみさん」がイコールで「ノエル」であるわけではないのだが(そもそもノエルは日本人ではないため)、何らかの示唆というか、うーむ、今後に関わる描写ではあったのだろう、と考えられる。
◇
全く研究が進んでいないので、とりあえずは一旦、20年近く前に聴いていたサンホラとかいう音楽に、この1週間程度で急激にどハマりし、湯水のように金を使って情報を収集しているよ、という話が書きたかった。あと「ハロパ2024」がめっちゃ良かった、という話が書きたかった。
『ハロウィンと朝の物語』は来年、2025年3月5日発売となっている。公式サイトの記述を見るに「2013年にリリースしたStory Maxi『ハロウィンと夜の物語』にも関連を持ち」と言われているので、何らかの関連性があるのかもしれない。僕は未だにその関連性を見いだせていないが。『ハロウィンと夜の物語』は現実のアメリカを舞台にしていると思われるので、「現実が舞台」という点では関連性があるのだろうか。あるいは登場人物の類似性なのか――まあ、おいおい、少しずつ吸収したいところだ。
ひとまず当面は、きちんと聞き込んで来られなかった各物語を理解したいところである。ローランたちの見解を見るに、そもそも『Roman』に登場する人物が「ノエル」と非常に関係が深いのではないか? という考察もあるそうなので、それも含めて理解しつつ、次回の物語、およびコンサートに向けてたくさん素振りをしたいところだ。触れた時期は早いが、指先にまでしか触れていなかったので、今は肘くらいまで沼に手を突っ込んだところだから、肺をLCLで満たしてサンホラから肺に直接酸素を送ってもらえるようになるまで聞き込みたいところである。
◇
以上――あと何かあったかな。
ああ、『絵馬に願ひを!』に関しては、スプレッドシートに独自のチャートを書いたりしながらプレイ(視聴?)して、粗方聞き終えたと思われる(初見はネタバレが苦手な古いオタクであるため)。次は……次は一旦、『Elysion』からかな……理解を深めつつ、万全な状態で『ハロウィンと朝の物語』の発売を待ちたいと思う。
気が触れたらまた何か書くかもしれませんが、まあ一旦そんなところで。
人に勧める気は全くないのだけれど、淡々と、深々と、物語を理解するのが好きな人間には向いていると思われるので、興味がある人に「意外と履修する対象少ないんだな」と思っていただければ幸いと思って書いたのだが、文章量的にそんなことなさそうな気もしてきた。まあ、僕はある程度の知識があったからいいけど、一から入るのは難しいかもな……その辺もなんか、布教活動を手助け出来るような何か活動をしていきたいところだ。
ひとまずそんなところで。
Revo’s Halloween Party 2024、すごく良かったです。また来年! ハロウィンの時期に!