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感覚的には7月1日の日記

 お元気ですか(挨拶)。

 ◆

 Twitterが死んでる!!!!
 いやまあ、Twitterが死んだからと言って困るほどTwitterに依存しなくなっているし、そもそもSNS全般に対して「これがないと生きていけない! これからワシャどうすりゃええんじゃ!」というほど入れ込んでもいないのでどうということはないんですが、なんかやることもなくて暇なので、打鍵リハビリを兼ねて日記でも書こうかというわけです。
 えー……前回の日記が、5月10日に書かれています。

 ここでも触れている通り、別にインターネットはやめていないし、あんまりSNSに頼らなくてよくなってはいたんですが、まあだからと言って無理にTwitterをやらないとか、そういうのもおかしな話だよなということで最近は普通にTwitterに「ウワーッ! 俺はこういう人間で、こういうことを思っているぞ!」ということを頼まれてもいないのに呟いていたんですね。
 というかまあ、割と平穏というか……上記、前回の日記を書いた頃の僕は結構心が落ち着いていた……落ち着いて……? いや、なんでしょう、僕自身は結構、「穏やかな日々だ」と思い込んでいた。今から怖い話をするんですけれども(別に心霊現象とかではないんですけれど)、本当に、前回の日記を書いている時は、心穏やかだと思い込んでいたんです。僕はそう、なんか日々、変わらない生活が送れていて、それが喜ばしいことだと、思い込んでいたんです。
 全然違ったようです。

 ◆

 話せば長くなるので割愛したいところなんですが、全部端折っちゃうと日記を書く意味がないので掻い摘まんで説明します。
 あのー……まあ、現状、福岡さんは社会人で。サラリーマン、多分8年目くらいです。もう一端の社会人ですよ。狂おしいくらい社会人です。なんですが、まあ元々はサラリーマンなんかあんまりしたくなくて。うーん、語弊があるな。サラリーマンよりもやりたいことというか、夢みたいなのがあって、その夢に向けて頑張ってた時期があったですよ。それが小説なんですね。
 で、まあ現在は独身なんですが過去に結婚をしていまして。いわゆるバツイチというやつに該当するんですけれども……急に余談ですが、離婚したことのある人間をバツイチ、つまり×が1個ついている、と表現するなら、結婚している人はマルイチなのか……? あるいは、空白状態に急に離婚という契機によって×が1個つくんでしょうか。気になって調べたところ、「バツイチ」という表現は、戸籍上の×を考慮して付けられた名称のようです。要は、僕の元奥様は僕の戸籍に入っていただいていたんですが、離婚したことにより除籍されているわけでして、その表現としての×なんですね。でもそもそも、元奥様が僕と結婚してくれる時に実家の籍から除籍になっているわけで、そうなるとバツニなのでは……? そして同時に、僕は別にどこからも除籍になっていないので、虚無なのでは……?
 いや話が逸れました。逸れましたというかなんというか、結婚する際、除籍になって名字を変える側って大変だよね、という、どうでもいい感情まで渦巻いてしまいましたが……話を戻しましょう。路線を戻しましょう。本線に戻りたい。本線以外を脱線と表現するのであれば、基本的に全ての人間は脱線しまくってますよね。あるいは横道に逸れると言うべきか……いや話を戻してさ! 頼むから!

 ◆

 結婚してたんですね。で、その結婚のために就職したんですね。
 で、結婚する際、まー当時26歳とか27歳とかそれくらいだったと思うんですけれども、高卒・無資格・未経験という負の三冠王であったどこの馬の骨とも分からない人間が、就職なんか出来るわけないじゃないですか。当時の僕に誇れることと言えば、執筆速度だけでしたし。もうなんか、1週間に1本くらい長編を書いて投稿していたような時期があったんですよ。おかげさまでなんか、そういう……なんだろう、編集部というか、出版社というか、そういうところからお声を掛けていただたいたこともあった。もちろん、「完全に出版、というわけには行かないんですが、自費出版という形でなら……」というよくわかんねえ話を持ちかけてくる出版社もいましたし、「今、漫画原作者を探していまして……」とか言う人もいたし、「今回の話は良かったので、編集者と話しながら、次の賞を狙いましょう」とか言ってくれる出版社もいたり。まあそういうアレがあって、全部断ったわけでもなく、いくつかお仕事させていただいたり、当時はペンネームで仕事をしていましたから、別途本のお仕事をしたりもしていた時期だったんですね。いくつか書籍に名を残したり、ネット上の文章のお仕事をしたり、まー悲喜こもごもです。
 その当時、結構僕も精神的に参っていて。あのー……結婚するなら自由業は嫌だと。元奥様は仰っていて。就職して欲しいと。そりゃそうだと。そりゃ当たり前の感情ですから、そりゃそうだよなと。で、僕自身も、「小説を、文章を仕事にするって、不自由なことばっかだな」と思ってたんですよ。そのー……小説って自由なんですね。自分の空想を、思い通りに表現出来る、唯一の場所です。そうやって書かれた小説が面白い面白くないかはさておき、楽しいんですよ、小説を書くってことは。ただそこにお金が絡むと、どうしたって衝突が起こる。そりゃ当然ですよね、人の命がかかってるわけですから。冗談じゃなく、変な本出して売れなかったら出版社は打撃を受けるわけで、要は編集者の進退に関わるわけで。で、小説家側からすれば、売れなきゃ死ぬわけで。そうなってくると、仕方なしに売れ線の小説を書くことになる。
 でもさーーーー!!!
 異世界転生とか書きたくないじゃーーん????
 いや書きたくないわけじゃないんですよ。多分ねえ、やったらやったで楽しいと思うんです。だって小説は自由だから。でも今書きたいものはそうじゃないじゃん! 書きたいものを書きたいだけ書けるのが小説のいいとこじゃん! それがお前でしょ!? まあそんな、そんな色々があって、当時の僕は「うーん、小説を仕事にするって、あんま良くないかもな」と思い始めてたんです。性格上。
 例えば、Aというものを提示した時、Bにしろと言われたら、Bには出来ないんですよ僕は。百歩譲ってA’みたいなものを作ってお出しするくらいのことしか出来ない。でも、そんなやりとり100回も200回も今後の人生やるのか? と考えた時に、それだったら小説なんて書いてる意味ねーじゃんと思ったわけです。
 今だって、ハチャメチャに自由に文章を書けるから日記を書いていますが、これが検閲されて、誰かの手によって表現を変えられて、「あと、ここで宣伝も何パーセントか入れてください」とかやられたら……それ……それもう仕事じゃーん! 楽しくないじゃーん!! という感じになるわけです。
 いやね、食って行くのは大切ですよ。飯を食うために働くのは大事。だからと言って、じゃあ好きなものを犠牲にして金をたらふく稼ぐのと、別に好きでもねえ仕事をして安定した給料を得るんだったら、後者の方がいくらか自分に嘘をつかなくて済むなと思ったんです、当時。やりたいことをやって、やりたいことが出来なくて、すごく辛い思いをしてギャンブルするのと、やりたくないことをずっとやりながら安定した給料を稼ぐんだったら、まあ後者の方が心が削れない。
 最初から受け入れているから、どんな理不尽も受け流せる。
 そういう想いで、当時文章関係の仕事というか関係性は全部断って、社会人として、サラリーマンとして就職活動をしたわけです。

 ◆

 結局掻い摘まんでなくねえか。
 まあともあれ、そういう色々があって就職して、気付けば8年。役職も付いて、もうどこに出しても恥ずかしくない(なんてことはないが)社会人です。サラリーマンです。業務的な知識も、仕事で扱う専門的な知識も身に付いた、労働バーサーカーです。そんな僕ですが、まあ小説を書くのは好きなままだったので、小説を趣味で書いていて、なーんか色々が上手く作用して本を出させていただくことになったのが、2021年の4月のことです。
 で、
 じゃあ、
 そっからあんた、文筆業はやってないのかと。
 ぜーんぜんやってません。
 いやね、これ……あんまりまあちゃんと話していなかったんですけれども、全然やってなくて。なんでやってないかって言うと、自分には自由に小説を書けるだけのスキルがないんだってことを受け入れてしまったからなんですね。
 自由に小説を書くってどういうこと? って話なんですけれども、それは、「書いたものをそのまま色々な人が受け入れてくれる」ということ。身近なところで言えば編集者さんですけれども、自分が書いたものを、「これは天才の所業! このまま本にする!」と言って、「ワー、アリガトウ」となるのが理想なんですが、そういうのは僕には出来ない。そういう文章は、僕には書けない。そもそも、「こういう話を書きました」と言って、「うーん、今はこういうのが流行りだからそちらの路線に乗りませんか」みたいな話になるわけですね。
 それはもう仕事じゃんと。
 こういう話になると、大抵の場合は「え、でも好きなこと仕事に出来るなら、それくらいの条件のめば?」という話になるんですね。「自分の本が流通するんだし、いいじゃん!」みたいな。いや全然良くないんですよ。
 だって僕は卑屈で根暗な人間だから。
 そもそも、そういう、光り輝くスターダムというか、著名人とかを全員嫌って生きてきたわけで。金持ちも、才能ある人間も、美男美女も、全員に対して復讐心と嫌悪感を抱いて育ってきたわけで、そんな僕がそもそも「自分の書いた本が書店に並ぶ」みたいなステータスに強い憧れを持っているわけがないんです。
 ただもちろん、卑屈で根暗な人間とは言え、自分を生かしてくれた、自分を救ってくれた文学という物に対する憧れと敬意はありますから、「あの偉人たちと同じように自分の本が書店に並ぶ」という方面からの憧れはあります。だからなんだろう、「そんな生やさしいもんじゃないんだよ」という感じでしょうか。僕の小説に対する想いは、憧れは、願いは、そんな「人間が生きるためには仕方のないことなんだよ」で済ませられるほど輝きを失っていないんです。
 なんか……うまい例えが見つかりませんけど、「テレビ出る」とかそんな感じ?
「すごいからすごい」みたいな感じというか。そういうの嫌いなんですよ。「有名人と知り合いなんてすごい」とか「新聞に載ってすごい」とか。大嫌いなんですよ。いやいや、お前、なんですごいのか説明出来るのか? と。説明出来ないだろと。「すごいからすごい」なんですよ大抵のことって。だから「本出るなんてすごいじゃん」の「すごい」って何なのよと。そんな生やさしい気持ちでやってるわけじゃねえんだこっちは! 本屋に本が並ぶってことはな! 誰かの人生を、誰かの命を救うことなんだよ!!! ちょっとした小遣い稼ぎが出来るようなもんじゃねえの!!!!!! 引っ込んでろ!!!!!!!!
 まあその、例えばSNSでちょっとバズった漫画がどこぞの出版社から出ます、みたいな。
 これまでの活動の実績として、「出版」というステータスを得ました。
 良かったね。これで大台に乗れたゾ。
 そんな生やさしいもんじゃないんです。全然。
 他人の人生を変える覚悟でやってんだこっちは、と。

 ◆

 とか言うと批判人間のように思われそうですが、いやまあ別に、他人がやってることに対してどうこうは思いません。そもそもそういう本買わないし。
 ただまあ、世間一般が思う「本出せてすごいね、印税生活ジャーン」みたいな気持ちとは全然違う、尊くて、気高いものなんですよ、出版って。僕にとっては。
 自分に一切疑念がなくて、自分に一切非がなくて。
 要は強く宣伝するでもなく、黒歴史になるでもなく、一生フラットな関係で付き合えるような作品じゃないと、本になんてしたくないし、出版なんかしたくないわけで。だって一生付いて回る作品なわけですから。何もない僕の人生において、真っ先に出てくる評価がその本になりかねない。それを、おいそれと、目先の金に目がくらんで出版してしまうようなことはしたくないわけで。
 何を言ってるんださっきから。
 まあとにかく、そういう強い気持ちを持って趣味で小説を書いてきたんですが、多分どっかの日記で書いてるような気がしますけれども、当時出させていただいた本はそういう美しい憧れや気高さの結晶だったんですね。これがもし、「面白かったんでネット連載とかしましょう」とか「コミカライズ前提の原作として一応本出しましょう」みたいな話だったら、「いや結構です」で終わっていたと思う。そういうのがない、混じりっけのない仕事だったから、小説を全編書き直して出版させていただいた。本当にお世話になった。得がたい経験だった。
 だけど、それはそれで終わり。
 それは別に、作家としてのし上がるための礎でもないし、切っ掛けでもなくて、単発として終わったわけです。だって僕はその話が書きたいから書いたわけで、それの続編なんて考えてもいないし、別の物語を一から編集者さんと練って売れるものを考えたいわけでもないし。大金持ちになりたいわけでもないし。
 だから、終わったんです、そこで。
 色々が。
 その後はまあ適当に仕事したり、感染症大暴れで大人しくしていたり、そうやって生活を続けてきて、もう2023年の7月ですか。平穏無事に暮らしてきたわけです。俺はこのまま仕事をとりあえず続けていれば、少なくとも金銭的な問題で死に直結することはなさそうだぞと。日々平穏無事に、1日1日を最大限楽しんで死にたい人間ですから、これでいいんだと、自分に言い聞かせていたわけです。

 ◆

 ただなんか……アレおかしいぞと。
 役職付くことになって、今までの頑張りが評価されたんだ! もっと頑張るゾ! なんて可愛らしい気持ちで頑張っていて、お仕事をもっと頑張ろうみたいな気持ちで生きていたわけなんですけれども、アレなんか……アレ? みたいな。
 急に疑念が湧いちゃって。
 あれ俺……すごく頑張っているつもりだけど、あれ? あんまり頑張っていない人も同じ会社にいるし、あれ、年功序列みたいな感じで偉くなってる人もいるし、あれ? なんか……僕がお世話になった師匠とも言える上司が辞めるらしいし、アレ? なんで? めちゃくちゃ優秀なはずなのに、上層部と意見が合わないというだけで辞めるの? なんで? 仕事って頑張れば認められるんじゃないの? 結局コミュニケーションとかコネクションとかそういう……あ、アレ? あれれ〜? なんか、これ、もしかして頑張らなくてもいい……?
 みたいな疑念が、急に。急にふっと湧いちゃって。
 いやもちろん、徹頭徹尾仕事を頑張っていたかというと、たまには休んだりもしましたし、全てを捧げてきたつもりもないです。ただ……根底にある「仕事はしっかりやって、その分のお給金をもらっているんだ」みたいな自負が崩壊しちゃって。
 で、ぶっ壊れちゃったっぽいんですね、僕。

 ◆

 その壊れている期間っていうのが、上記した、前回の日記の時期。
 後になって色々な人から意見を聞くと、「死んでいるようだった」とか「心ここに在らずという感じだった」とか「発言のひとつひとつが重い」とか言われる感じの時期で、僕としてはすごく心穏やかだと思っていたんですが、要は死に体だったんですね。冷静に考えると、LINEとかを返信出来ない時点で結構やばかったとは思う。死は安定、とはよく聞く話ですけれども、ほぼ死に近しい場所にいたっぽい。自分自身はすごく穏やかだと思っていたけれども、恐らくは、自分が何も考えたくない、これ以上何も疑いたくないみたいな気持ちになっていて、それから自分を守るために鈍くなっていたんだろうと。
 お、恐ろしい話だ……。
 でまあ、切っ掛けは色々なものが総合作用した感じではあるんですけれども、ちょっとしたことで決壊しちゃいまして。なんかまあ、仕事、忙しいし、やることいっぱいだし、大変だなぁ……でも、その仕事のご褒美というか、「この日のために頑張ろう!」みたいな、数日先に目標みたいなものを作って、そのご褒美のために頑張って働くことで耐えようとしていたんです。「旅行のために頑張ろう」とかと似た動機ですね。
 なんですけど、そのご褒美が流れちゃって。誰が悪いとかでもない、何が悪かったかと言えば天気が悪かったんですけど、そういう不運でご褒美が流れちゃって、で、まあそれは仕方ないじゃないですか。物理的なことだから。仕方ないんですけど……それがショックだったと言うより、その、「ご褒美のために頑張ってたけど、ご褒美なくなっちゃった。あれ? でも俺意外と平気なんだな」みたいなことがショックで。それに気付いた瞬間、一気に崩壊しちゃって。崩壊というか、ぶっ壊れた状態から、再生したのかもしれない。
 自我が。
 あ、俺、もう何でもないんだ、別に何のご褒美もなくても普通に働けるし、頑張れちゃうんだ。人間としての、人としての尊厳を失いつつあると、思ったんです。その……なんだろう、「お前はこれから1年間労働してもらう。1年後には自由の身だ」と言われて奴隷になったとして、1年後に「やっぱり嘘」って言われた時、本当は戦うべきだし、憤るべきなんですよ。でも「あー、天気悪いし仕方ないね」でその理不尽さを受け入れられる自分に気付いて、なんというか、うーん、俺って奴隷じゃんみたいな。
 俺はもうただの奴隷なんだっていう絶望で気が狂ってしまいまして。
 結果として残ったことって、「ただ耐えた」だけなんですよ。「ご褒美のために頑張りました。ご褒美はなくなりました」ですから、「頑張りました」という忍耐だけが結果として残った。で、そのご褒美がなくなった空虚な時間も「仕方ない」で耐えるわけで。あ、じゃあ……そんなに簡単に消えちゃうご褒美のために日々を耐えて、それがなくなっても全然平気で、だったら俺、もう頑張る必要もないし、耐える必要もないし、別にいいじゃん。
 別に頑張らなくていいじゃんと。
 約束も守らなくていいじゃんと。
 人って、約束を守る必要はない。つまり、真面目に働く必要はないと。
 その約束を守らない説明をしなくてもいいんだと。なんで真面目に働かないかという理由を、懇切丁寧に説明する必要もない。
 その補填をする必要もない。約束はただ破ればよくて、それが罷り通るんだと。契約があるわけでもない、法で強制されてるわけでもない、ただなんとなく存在する約束ってそこまで守る価値がなくて、じゃあもっと自由でいいんじゃない? と。
 だって誰もそれを保証しないわけですし。
 なんとなく……神様を信仰しているわけじゃないですけど、強いて言えばお天道様に顔向け出来ないような生き方はするまいと思っていたんですけれども、意外と全然、人って平気で人を傷つけられるし、保身のために自分を優先するし、それが当たり前だし、自分が得をすることだけ考えればいいじゃね? とか。
 そういう色々が渦巻いてしまって。でもそれを言語化も出来なくて。
 最近やっと考えがまとまってきたのでこれを書いているんですけれど、決壊した当時は全然分からなくて。俺はなんでこんなに悲しいんだろう? 俺はどうしてこんなに世界が憎いんだろう? どうしてこんなに、怒りに満ちてるんだろう? そういうことが言語化出来なかったんですが、最近やっと分かりました。
 僕は、当時の自分のことが、すごく嫌いで。
 それ故に、心を閉ざしていたっぽいんですね。

 ◆

 そもそも僕が今現在、文筆業の分野をまーったく進めていないのも、このまま行くと自分のことを嫌いになるな、と思ったからなんですよ。
 なんか、書きたくないものを書いてお金をもらって、自分の中の小説に対する憧れを削ってしまうのが嫌だった。もちろん小説は嘘を書いて作られていますから、嘘なんですけど。全部嘘ですよ。この物語はフィクションです。なんですけど、それは人を傷付けるための嘘じゃない。誰かに喜んでもらうために付く、とても美しくて優しい嘘です。
 人間関係が希薄な堅物は、「それでも本当のことを伝えるべきだ」とか分かったようなことを言いますが、コミュニケーションにおいて、優しい嘘はつくべきです。今日は愛せない日でも、愛する人に愛していると言うべきですし、友達が全然格好良くないものを大喜びで買った時に、わざわざ「ダサいよ」と指摘する必要なんてありません。お前の感情やセンスは、答えではないからです。ただの感想であって、お前にとってはよく思えないけど、そこまで確固たる自信がないことを言って、わざわざ他人を傷付ける必要なんてないんです。
 お前はそこまで正しくありません。
 お前がやっていることは、何も持っていない自分を慰めるために、他人より優位に立とうとする愚かな行為なのです。
 だから嘘なんて付いていいんです。相手を傷付けないように言葉を選んで、選ぶ言葉がない時は、嘘を付くんです。その優しい嘘は相手にちゃんと届くからです。
 だけど、自分に付く嘘には、優しさも厳しさもないんですよ。
 自分はその全部を分かっているから、騙せないから、真実か嘘かの二択なんです。

 ◆

 まあそういうあれこれがあって、どうも僕は自分に嘘をついていたなと。
 そもそもにして、「この日、こういうことをして、そのご褒美のために仕事を頑張るぞ!」自体が、僕にとっては嘘で。別にそんなこたぁしたくないんですよ。まあ仕事は仕事なんで仕方なくやるとして、毎日楽しく暮らしたい。「この日のために頑張るぞ!」じゃないんですよ。「今日こっからここまで適当に仕事して、今夜はなんか楽しいことするか〜」なんですよ。
 いやね、僕はよく、「明日死ぬんだし」と口癖のように言っていて、これは昔から変わらない僕の人生の指針です。それに背いていたんですよ。「この日、楽しいことがあるから、それのために頑張る!」ってのは、そもそも成立してない。明日死ぬ僕が、未来のご褒美のために頑張るなんて、そもそも自分に嘘を付いているわけで。今日を生きないといけないのに、なんか……なんなんでしょう? 誰に言われたわけでもないに、知らないうちに僕は「未来のご褒美のために頑張る」社会人を演じていた。
 それに気付いた時、もーどーでもいーや、になってしまった。
 なんか、別にどーでもいい。本当、心底どーでもいい。会社頑張る意味も分からん。仕事やる意味も分からん。どーでもいい。マジで全部どーでもいい。真面目に働く意味も分からない。かと言って、別にサボるわけでもない。なんだろう……嘘をつきたくもないし、お天道様に顔向け出来ない生活をしたいって話ではなくて、ただ、そこまで張り切らなくてもいいや、という。
 だからなんか、うーん、ここしばらく、割と仕事に対してやる気を出していなくて。やる気を出していないと言っても成果はきちんと挙げているつもりなんですが、まあその、無理をしなくなった。必要に駆られて時間外労働をしたり、暇すぎて仕事はするけれど、そのために何かを犠牲にすることはしなくなった。それは当たり前のことなんですけれども、その当たり前が最近出来ていなくて、結構、参っていたっぽい。
 で、ようやく最近、色々な感情を取り戻してきたので、なんか考えもまとまったし、文章化しとこうってことで、これを書きました。

 ◆

 端的に言えば元に戻りすぎてやることがないくらいです。
 まあゼルダの伝説の最新作もほぼやりきってしまいましたし、最近は日々やれるゲームがないので退屈しております。漫画を読んだり、映画を観たり、服を買ったり靴を買ったりして日々をなんとか凌いでいる。
 でもまあ、最近少しずつ心が回復してきた感じがあるから、また小説を書こうかな〜という気持ちになってきた。なのでまあ、リハビリも兼ねて、これを書いたという感じです。
 暇だというのもあるし。
 まあそのなんでしょう、僕はどうやら「平穏」と感じている時間のほとんどが「嘘をついている」状態なんだろうということに、今回気付いた感じです。自分で「最近平和だなぁ」と思っている、つまり自分に言い聞かせている期間って、自分に対する何らかの不満があって、その不満を気取らないように、心を鈍くしているんだろうなって。
 なので、相変わらず色々なことに疑問を感じたり、すぐ疑ったり、何か楽しいことをしたり、何もすることがなくて暇だったり、そういう風に1秒1秒を強く感じて、なんとなくではなく、心から生きている自分の方が、僕は好きです。
 で、そういう好きな自分が書く文章も、好きです。
 それが社会的に、世間的に迎合されるかっちゅーと微妙なところですが、どうせ明日死ぬんだし、明日死ぬならせめて今日くらいは自分が好きな自分でいたいし、そういう日々を積み重ねて今後も末永く生きていきたいですね、という感じで、締めの文章っぽくなりましたか? なりましたね。
 そんなわけでアレです、おかえり福岡さん。一時はどうなることかと思ったけど、ぶっ壊れたまま治らないかと思ったけど、いつものお調子者の福岡さんが戻って来てほっとしたよ。

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