腐れきったような夜  行きあてもない朝を探す

宮沢賢治
日本の童話作家
彼の作品を好む人間は
共通して彼には
「人間美と幸福」がテーマとしてある。
そのように言う

猫の事務所という作品で
宮沢賢治は
1つの道徳的な結末に対して
半分賛成という見解を出した。

何が正解か分かってない
もしかしたら分かってるのかもしれないけど
考えれば考えるほど
道徳なんてもんは分からなくなっていく

それと同時に人間が腐ってく
腐ってるかなんか分からないけど
何もしてねぇ間は少なくとも
どっかしら腐ってる
何かしてても腐ってく

腐った後に考えることはみんな一緒
腐る前が「幸せ」だったと
でも、その腐る前も
どっかしら腐ってるだろう

それなら、もう全部ぶっ壊そうと
考える人が居る
全部ぶっ壊すことは
しばし、この世界では
幸せの対義語として捉えられる事が多い

皮肉だとは思わない
それが正しいとも思わない
自分は腐ってても
周りを見渡したら
綺麗な何かがある
目に見えるものかも
目に見えないものかも
分からない。

それが、分かるうちは
それを守る役割がある。

周りを見渡した時
綺麗なモンが見えなくなった時
人はぶっ壊したくなる

綺麗なモンを作る役割がある。

日本人の乗客がいないとか
日本人の乗客がいたとか
イジメの助長とか
勇気づけられるとか
そりゃあ目を向けた方が良いけど
目の向け方が正しいとか
目の向け方が正しくないとか
全部、人それぞれの
幸せの形あるから
難しいんだろうな
そのズレが意外と大きいし

綺麗なモンを作る役割がある。
それをきたねぇモンだと思う人もいるだろう
それをきたねぇモンだと思う人の為の綺麗なモンを作る。
それをきたねぇモンだと思う人の為の綺麗なモンをきたねぇモンだと思う人もいるだろう
それをきたねぇモンだと思う人の為の綺麗なモンをきたねぇモンだと思う人の為の綺麗なモンを作る。
それをきたねぇモンだと思う人の為の綺麗なモンをきたねぇモンだと思う人の為の綺麗なモンをきたねぇモンだと思う人もいるだろう
それをきたねぇモンだと思う人の為の綺麗なモンをきたねぇモンだと思う人の為の綺麗なモンをきたねぇモンだと思う人の為の綺麗なモンを作る。


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